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ムソルグスキー《展覧会の絵》とプロムナード:喪失と再生の物語

ムソルグスキーの《展覧会の絵》は、亡き友人ヴィクトル・ハルトマンの絵画展を訪れた内的体験をもとに作曲されたピアノ組曲です。この作品には、絵画展を巡る様子を描いた「プロムナード」という曲が何度も挿入されています。

「プロムナード」と聞いてもピンとこない方もいるかもしれませんが、ラヴェルがオーケストラ編曲したバージョンを思い出してください。

冒頭でトランペットが高らかに演奏するあのフレーズ――そう、誰もが一度は耳にしたことがあるであろう、堂々として印象的なメロディです。

このプロムナードは、単に絵画展を歩く様子を描いているだけでなく、ムソルグスキーの内的な心情を映し出す重要な役割を担っています。

プロムナードが映し出すムソルグスキーの心情

友人ハルトマンを失ったムソルグスキーにとって、この絵画展を巡る時間は、単なる鑑賞の時間ではなく、亡き友との記憶と向き合い、喪失を受け入れるための心の旅路だったのではないでしょうか。プロムナードには、彼の感情の揺れや葛藤が深く刻まれているように思えます。

喪失の悲しみと歩み

プロムナードは、その都度調性や情感を変えながら登場します。堂々とした明るさがある一方で、どこか不安や寂しさを感じさせる部分もあり、それがムソルグスキーの心の揺らぎを反映しているように思えます。穏やかで静かな調べは友人への追憶を、力強い響きは喪失感を乗り越えようとする意志を表しているのかもしれません。

絵画との対話

プロムナードは、ムソルグスキーが各絵画を巡りながらその絵を通じて友人の姿を追体験しているようにも感じられます。精神分析的に見ると、この行為は「喪の作業」に近いものと言えます。彼は亡き友人の記憶を絵画という形で再構築し、心の中でその存在を蘇らせようとしているのです。

プロムナードと自我との対話

プロムナードには、ムソルグスキーが自分自身の感情と向き合い、心を整理していく過程が込められています。絵画展を巡る歩みは、記憶を断片的に紡ぎ直し、喪失から再生へと向かう心理的なプロセスの象徴でもあります。

調性やリズムが微妙に変化するプロムナードは、彼の内的対話の複雑さを物語ります。特に最後のプロムナードが堂々とした調子で終わるのは、彼が喪失を完全に癒したわけではなくとも、記憶と共存する道を見つけた結果なのかもしれません。

《展覧会の絵》は私のライフワーク

私はこの曲を子供の頃から愛し、ムソルグスキーが描いたピアノ原点版で練習を続けてきました。ラヴェル編曲版の華やかなオーケストラの響きはこの曲には明るすぎるような気がして、この楽譜を手にとったのです。

ムソルグスキーの《展覧会の絵》は、ピアノ曲の中でも難易度の高い作品として知られています。その理由は、技術的な挑戦だけでなく、音楽的な表現力や物語性をどう表現するかが問われるからです。それぞれの曲が独立した性格を持ちながら、全体として一つの物語を紡ぐため、非常に高い集中力が必要とされます。

例えば「テュイルリーの庭」は優雅に聞こえますが左手は跳躍が多く優雅に聴かせるのはとても難しいです。つづく「ビドロ」は技術的には少し簡単なものの牛車の歩みの中に圧政に苦しむ民衆の声なき声を表現しなくてはなりません。また「卵の殻をつけた雛鳥の踊り」も軽快な曲ですがダブルトリルなど技巧的にクリアすることがいっぱいあるのです。

ラヴェル編曲のオーケストラ版が水彩画や油絵だとすると、ピアノ組曲《展覧会の絵》は、水墨画のような渋い曲です。

この文章を通じて、この曲の奥深さと、プロムナードが持つ特別な意味を少しでも感じ取っていただけたら嬉しいです。そして、曲全体を通して現れるプロムナードの解釈にはムソルグスキーの精神性に深く共感することが要求されます。

この曲は私にとって、ライフワークのような存在です。ムソルグスキーが喪失と向き合いながら描いたこの物語と共に歩み、少しずつでも成長していけたらと思います。

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