大学生がnoteをやるべき3つの理由

大学生はこのnoteという媒体に挑戦すべきだと私は考えます。noteを通して得られる能力、マインドについて考察していきたいと思います。


そもそも、、、。

大学生におけるレポートについて


レポート。それは大学生における避けては通れぬ道です。

ですが指導の立場から見るとレポートという課題は非常に理にかなっていると思われます。レポートと言うのは無から有への形成です。つまり自分の頭の中で思考されていることが文章によって組織化され長期記憶へフェーズが動かされます。

学修において整理→組織化→記憶というサイクルが非常に重要です。

その観点から見てレポートという課題は理にかなっているといえるでしょう。


ですが、レポートの文字数について、私は苦言を呈したいと思います。それは私の大学のレポートの文字数が少なすぎるということです。(え?、、、以下大学の愚痴ですはい、、、。)
国立大学に進学した友達によれば、その日の授業の感想に2000字、参考資料等を読んでのレポートで20000字が当たり前だそうです。
これは私の大学では考えられません。私の大学のレポートはせいぜい1000字程度で、出される頻度もおそらくですが他大学と比べて少ないと思われます。偏差値通りと言われれば仕方ありませんが、やはり私自身物足りないと感じてしまう節があります。


そのように大学のレポートに満足していない人にこそ、そこで腐っていくのではなくnoteを初めてほしいと思います。前述の通り、レポートというのは自分が学修したことの発表の場です。その機会がないのであれば作ればいいのです。自分で学習したことを一度熟考し、文章として構成し添削していく中で、自分の考えを組織化することができ長期記憶にすることができます。noteに書く内容は何でもいいと思います。学習したこと、考えたこと、問題提起したいこと、不安なこと、何でも構いません。まずは文章として構成してみないと気づけることも気づくことができません。

毎日の学習に満足していないあなたこそいますぐnoteを始めましょう。


…といいたいことは前述の通りで、本記事を締めてといいと思います。ただ、ほんとにnoteという媒体はいいので、これからはもっと細分化してnote並びに文章を構成するメリットを書き綴りたいと思います。



①文章能力が付く

②思考停止の人生からの解放

③すべてが財産になる

(上から順に重要度が高い)


①文章能力が付く


私は義務教育、高等学校で文章の書き方というのを習った覚えがありません。記憶を振り絞って教えてもらったことを思い返してみると、文章は相手にわかりやすい文章で書きましょうだとか漢字で書けるところは漢字で書きましょう程度の簡単な指示から抽象的なものまで、これといって書き方の型を教えてもらったことがありません。文章にも誰にでも伝わる型というものがあります。(1番有名なものでPREP法だと思いますが、本記事では割愛。)これを習得しないからには文章の能力を上げることができません。そして習得したからと言ってすぐに書けるようになる代物でもありません。習得してからは練習がやはり必要になってきます。練習、つまるところ実際に文章を構成することです。文章能力を上げたいのならば文章を書くしかありません。

例えば、サッカーが上手くなって試合に出たいと思っているとします。その時みなさんはどうしますか?必死になってボールをけるようになりますよね。サッカーのルールを調べたり、ユーチューブで絶対に抜けるドリブルの仕方など見ますよね。これは文章に取って代わっても同じです。まずは文章におけるルールを習得しなければいけないし、次にテクニックを調べる必要があります。ルールやコツをインプットしたらあとはひたすら文章を構成するほかありません。かの有名な東大理Ⅲ現役合格、国内三大難関資格取得の河野玄人さんのミーム、「勉強してください!」にもあるように賢くなるためには勉強するしかないのです。そして、大学生のうちに文章力を高水準のものにして多くと、レポートや大学院入試、大学院生活で力を発揮します。文章力は必ず自分の力となります。

②思考停止の人生から解放


人の行動原理として大切なことは目標です。人は無意識の状態でも何かしらの目的に対して行動しています。アドラー心理学によれば、すべての行動には目的があるそうです。それは長期的なものから短期的なものまでさまざまです。長期目標の例としては第一希望の大学に合格に向けての受験勉強であったり、短期的な目標としてはそれに受かるために今日はこのページまで勉強することなどです。長期目標から順に年単位、月単位、週単位、日単位というのに目標を細分化すれば目標に対してだれることなく意欲的にこなすことができるとされています。と、少し話が脱線しましたが、「今日こんなことがあった」「自分はこのように考えた」というような学習発表の場があると今日一日を刺激ある日にしようとは思いませんか。アドラーさんが呈したように人間の行動にはすべて意味があります。例えば、叱るという行為や褒めるといった行為には相手を支配したいという心理が隠れているそうです。しかしこんなこと誰も気づきもしないことだと思います。倫理から外れたことをしたら叱るべきだし、偉業を成し遂げたら褒めるべきだと考えてしまいますが、アドラー心理学によればその限りではありません。繰り返しになりますが何故そのように言えるのか、それは叱るという行為や褒めるといった行為には相手を支配したいという心理が隠れているからです。今日私は読者に「すべての行動には意味がある」というアドラーさんの教えを書きました。そしてこの後今日一日の自分の行動を振り返ってほしいと思います。人の行動は意外と無意識的に行われています。判例的に以前はこうしたから今回もこうしようといったように、思考停止で行動しています。それは脳が疲弊しない行動戦略としてだと思います。しかし私はここで苦言を呈したい。思考停止では何も生まれないし、時間を消費しているだけです。人生の幸福の充実度は刺激によって決まります。例えば、朝から好きな人と焼き肉に食べに行き、嵐山を巡ったとします。その後スタバへ行き、少し歩くとテレビのロケにたまたま出くわしました。ロケにはかの有名人がいて、実際に会うことができました。夜なると好きな人から愛の告白をされ、最後に彼氏とディナーに行きました。そんな日は非常に楽しいと感じる1日なのではないでしょうか。それはなぜが。非日常という刺激があるからです。刺激があれば幸福を感じることができるし、ルーティン通りの日だとそれは刺激がなくて幸福を感じにくいです。そして刺激を運んでくるのは人です。前述の例の通り刺激を運んできたのは人です。そしてに刺激に出会うのは行動する人です。つまり幸せな日々を掴みたいなら行動する他ありません。ルーティン生活はやめましょう。思考停止では何も生まれません。日々に変化を入れましょう。朝モーニングに行ってみたり、仕事場の一駅前に降りて歩いて職場に行ってみるのもいいでしょう。その中で私が最もおすすめしたいことはnoteを書くことです。「今日こんなことがあった」「自分はこのように考えた」というような学習発表の場があると、その新しい知見を文章化している時間は紛れもなく刺激だらけです。そして先ほど大変簡単にではありますが、アドラー心理学についてお教えしました。まずは自分の日々の行動行為を疑ってみましょう。きっと気づきがあるはずです。その気づきから文章を書いてみましょう。きっと新しい知見から刺激を得ることができ、充実感を味わうことができるでしょう。

③すべてが財産になる


書き留めた文章はすべてあなたの財産です。あなたの生きている証です。それはきっと自分の人生を肯定し、次なる行動に身軽に移せると思います。例えば、受験指導などではよくノートやプリントを捨てるなと言われませんか。それはきっと勝負の受験の日で気持ちで打ち勝つためです。受験当日のストレスは計り知れないものです。ドキドキやイライラ、ワクワクなど様々な感情があるとは思いますが、やはり一番は不安に思う気持ちでしょう。本気で今までやってきたからこそ不安に思うのでしょう。不安は本気な気持ちの証です。ですからその不安な気持ちに打ち勝つために自分を肯定する財産が必要なのだと思います。いま自信がない、胸を張れない、一歩行動に移すことができない人は簡単なものからでいいので財産を作るようにしましょう。学歴や資格というものは非常に難易度の高いものですので、まずはほんとに簡単なnoteから始めてみて成功体験を作っていきましょう。


最後に


この記事を要約するならば、「文章を書くだけで幸せになれる」ということです。言語化することはメリットしかありません。現代は1分程度のショート動画であふれかえっていますが、それでは何も記憶に残りません。大切なことは無から想起することです。無から有を生み出す作業は脳に負荷がかかります。ショート動画は受け身で何も考えなくても情報が視覚聴覚から入ってきます。端的に言うと楽です。ただそれでは何も記憶に残りません。必要なのは熟考することです。ショート動画で過ぎる1時間はやめましょう。皆さんも薄々時間を消費していることに気が付いているはずです。生きている以上脳に負荷をかけ続けましょう。脳を常に動かしましょう。すると幸せに近づくでしょう。

追記
誤字脱字、説明不十分なところ、意味不明なところ多数ありますので近日中に修正いたします。

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