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昭和のヲタクが実家の遺品整理をした話
コロナ禍の直前、認知症で介護施設に入っていた母が亡くなった。遠く離れた実家の遺品整理という、初めてで一度きりの体験を、記憶の範囲で留めておこうと思う(これから実家整理をする方の参考になれば幸いです)。
■昭和のヲタクに実家の整理の時がくる
母の葬儀の終わりは実家の整理のスタートでもあった。隣家の土地を借りて、祖父母の代から70年以上も建つ実家だ。空き家となった今、何から手を付ければ良いのかさっぱりわからないが、諸々の手続きのついでに地元の役所に相談することにした。
田舎の役所で割と空いていたせいか(失礼)、係の方は恐らく役所の範囲外の事まで、親切に相談にのってくれた。
・固定資産税を根拠にして対象物件を確認
・地主さんに返却期限(の目処)を相談
・解体前に家財等の整理を行う(遺品整理)
・家屋の解体を実施
・不動産の滅失登記をして完了
と、ザックリ言うとこんな流れになるそうだ。
家屋の解体は地元の業者さんを何社か紹介できるが、遺品整理はあくまで任意で、自分でやる人もいるそうだ。どうするかは親族(私の場合は姉)とご相談を、とのことだった。
■遺品整理の業者さんを探せ!
さっそく地主さんに相談に行くと「70年も経ってるので、いつでも良いですよ~」と有難いお言葉を頂く。ホッとして改めて実家に帰ると、そこにあるのは認知症の母が残した家じゅうのゴミの山。田舎の古い一軒家なので、部屋数もかなりあるが、床はほぼ見えず、「ゴミ屋敷」以外の言葉が見つからない。
役所で聞いた「自分でやる人も・・」という言葉は一瞬で消え去り(諦めは早い方です)、即、遺品整理の業者さん探しに。困った時はネットに頼れ! 「遺品整理」で検索。私は以下のサイトで地元の業者さん2社に実家に来てもらい、見積もりして頂くことになった。
いずれも良い業者さんで、遠隔で立会無しでも大丈夫とのこと。金額面と、後は融通が利きやすく、きめ細かく対応頂けるところでお願いした(これが大正解!)
■コロナに翻弄されるヲタク
この頃からコロナがヤバい状況になってきたが、とりあえず業者さんと準備は進める。
・鍵を業者さんに預けて作業はお任せ。
・予定を聞いて可能な日は立ち会う
・写真と作業報告をもらい進捗を確認する
・地元自治体のゴミ廃棄ルールを確認する
・解体業者さんとも連携し、解体時に処分出来るゴミはまとめて残置する 等々
進め方も決まり、作業開始を待つだけになった頃、ついに恐れていた事態が。コロナの拡大により、世の中的に不要不急の帰省も、集団での作業も自粛。遺品整理は延期せざるを得なくなった。
いつ再開できるのか、そんな中、夏場に台風が実家を直撃。壁に穴が開き大量の雨水が入り込み、弱った床が抜け、家財一式も大変な状況となってきた。次に来たらどこまでやられるか想像もつかない。不安と焦りが募るだけの日々が続く。
■お待たせしすぎたかもしれません。遺品整理開始!
世間も落ち着き始めた2022年春、ようやく遺品整理を始めることになった。
遠隔で作業を行うので、どんなものを残しておきたいか改めて意識合わせ。ずばり現金や貴金属等は当然だが、その他、契約・権利の関係書類、写真やアルバム、形見になりそうな遺品等は当然残してもらう。
「その他に相模さんが気になるものは無いですか?」
「もしできるなら、アニメのLPレコードをお願いしたいです」
中学、高校時代に購入した、それこそ擦り切れるほど何度も聞いた思い出のレコード。母がどこに片付けたのか、そもそもまだ残っているのかもわからない。だがこの機会を逃せば二度と戻ってこない。昭和のヲタクの無理なお願いも付け加えて、遺品整理が始まった。
■懐かしい家の中が徐々に蘇ってきた
週1回程度、作業は一部屋ずつ行う。一部屋だけでも大変なのに、部屋の数も多いので気の遠くなるような作業だ。だが業者の皆さんは一つ一つ丁寧に根気よく確認しながら作業を進める。毎回、写真と一緒に「今日はこんなものが見つかりました」と報告を受け、こちらで要否を判断する。そんなやり取りが続いた。
月に1回程度、私も帰省して作業を見守る。驚いたのは、どうみてもゴミにしか見えないような服や食器、置物や、ハンガーのような物までリサイクルに回し、わずかでもお金に換えて頂いていたことだ。古物商免許のある業者さんの強みだろう。自分ではとてもできない。何と言っても、他人が見たらゴミのようだが、かつては我が家を彩った品々だ。直に廃棄されないだけでも、正直心が救われた。
案外大変だったのは封筒の類。意外とお札や金券が入っていることもあるので侮れない。その中に、大学に入学したての私に、父が送った手紙が出てきた。生活の覚書として、カードや通帳の保管場所、失くした時の連絡先、食事から睡眠時間の注意まで、初めて一人暮らしをする息子への、こと細かな注意事項が書いてあった。
私宛に送った手紙がなぜ実家にあるのか、今となってはわからないが、封筒には当時の私の写真と、なぜか新品の伊藤博文の千円札が2枚入っていた。大学3年の時に亡くなった父の、私宛に残された唯一の手紙。心配でならなかったのだろう。親となった今では、私も気持ちが痛いほどわかる。恥ずかしながら、一人、隠れて嗚咽を漏らす。
そんなエピソードも交えながら作業が進んでくると、かつての床や壁が徐々に広がってきた。解体までのわずかな期間ではあるが、実家はその懐かしい姿を取り戻しつつある。
■遺品整理の終わり、そして最後の団らん
いよいよ遺品整理も最終日。途中、休暇の期間も含め、開始から4か月がたっていた。家具や物は全て無くなっているが、床も、壁も、柱も、襖も、お風呂も、台所も、高校時代までを過ごした懐かしい家がそこにはあった。
そしてゴミの山の中から救出された品々。写真やアルバム、母が赤鉛筆で返事を書いてくれた小学校時代の日記、「EXPO 70」大阪万博のコインまで出てきた。幼稚園児だった私が太陽の塔に入るのを嫌がり、おかげで家族皆が入れなかったことを、50年以上もたって姉にひとしきり文句を言われた。
明日からは解体業者が作業に入る。姉とふたり、祖父母、両親の写真を囲んで思い出話が止まらない。笑いながら何故か視界がぼやける。いつしか遺品整理業者の皆さんも一緒になり、かつての実家の賑わいを思い出させる、この家での最後の団らんとなった。
翌日、解体作業の開始を見届けて実家を後にする。この家に戻ることはもう二度とないのだ。高校を卒業して故郷を離れた時とは、違った寂しさがこみあげる。鞄の中には、少し重たいが、あのゴミの山から奇跡的に救出されたLPレコードがあった。今日は、あの頃の思い出が詰まったレコード達と、一緒に眠りにつこう。一つの家族の歴史と一緒に、遺品の整理は幕を閉じた。
★追記:救出されたアニメのLPレコードたち
これが持ち帰った昭和のLPレコードです。自宅にプレーヤーがないので、今も音が鳴るのかわかりませんが、ライナーノートだけでも私にとっては宝物です。全てが強烈な思い入れを持つものばかり。この後、別の記事で少し語りたいと思います。
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