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【閑話】遺品整理で見つけた母との日記とメッセージ

書いている。
今年の正月休みに突如noteを立ち上げて以来、何かに取り憑かれたかのように、毎日書いている。通勤電車の中で、夕食後に風呂から上がって、空いた時間ができたらとにかく書いているのだ。

それも何の目的もなく、ただ自分の中に60年間眠っていた出来事を、自分の記録のためだけに吐き出している。「還暦後の生活の不安を解消するため、副業、収益化で経済的自立を目指す」などといった、noteを立ち上げるきっかけ(※)など、政党の選挙前の公約のように雲散霧消もいいとこである。

きっとタガが外れたのだ。今更思い出したが、私は書くことが好きだった。上手いのではない。長いし、まとまりがないし、独りよがりだ。でも好きなのだから仕方がない。「俺の思いを歌にしたから聞いてくれ!」なんてハイカラなことはできないので、とりあえず気が済むまで書くしかない。還暦後の生活の不安の解消は、その後で考えよう(いつになるのだ?)。

(※)noteを立ち上げるきっかけ・・・

そうだ、日記の話だった(冷静さを失っている)。

私はいつからこんなに書くことが好きになったのだろう。小学校の頃は、とにかく文を書くことが嫌いだった。読書感想文で原稿用紙2枚以上とか言われると、本の後書きを丸写しする(いや、参考にさせて頂く)のは当然として、句読点と改行を駆使し、実質半分くらいの文字数で仕上げることしか考えていなかった(今のAIの要約より優秀だ)。

そんな人間がこうなったのは、もしかすると「これ」がきっかけだったのかもしれない。それが実家の遺品整理で見つかった、小学校時代に書いていた日記である。確か小学校の2,3年生の頃から、国語のノートに毎日書いていた、いや書かされていたのだ。

遺品整理で回収された当時の日記帳。小5の時の2冊だけ見つかった

当時、短くても一言でも良いからとにかく毎日書け、と母に書かされた日記。嫌で嫌でたまらず、「べー」とだけ書いた日もあった(と思う)。私が書くと、翌日、母が赤鉛筆で返事を書いてくれるのだ。そんな日記のやり取りが、家の引っ越しで転校した小5の途中まで続いていた。

母がなぜ私に日記を書かせたのか、今となってはその理由はわからない。何せ、遺品整理(※)でこの日記が見つかるまで、自分が日記を書いていたことさえ、すっかり忘れていたのだ。

書くことが嫌いなまま大人になるとマズイと思ったのか、子供とのコミュニケーションの手段だったのか、目的はともかく、毎回返事を書くことは相当大変だったと思う。嫌々「ベー」などと書かれた日は、いったい何とコメントされたのだろう? 残っていないのが残念である。

(※)遺品整理の記録・・・

見つかった日記を、ほぼ半世紀ぶりに見る。酷い! 嫌々書いただけあって、とても第三者が読めた字ではないのだ。罵詈雑言を書き連ねただけのページもある。なんて子供だ! 親の顔が見たい!

かつての自分に呆れ果てながらページをめくっていくと、ほぼ2~3行の書き殴りで終わっている日が大半な中、時折、少し読みやすいページがある。機嫌のよいことがあった日は、それなりに読みやすい字で書いているのだ。まったく現金なものである。

さらに読み進むと、時々長文を書いたページに出くわす。見ると、TVドラマ「太陽にほえろ」を見た日は、そのあらすじを1ページ全部使って書いている。明らかにヲタクだ。さらに旅行に行った日は、その日の出来事を2ページ以上にわたって書いている。機嫌の良し悪しでここまで極端に態度を変えて良いのか? 一番付き合いたくないタイプの子供である。

それはともかく、嫌なことはやらないくせに、自分が誰かに伝えたいことがある時は、気が済むまで書きまくるという今の私の原型は、どうやらこの日記の中で形作られたことは間違いないであろう。

最後に・・・
たまたま見つけた1ページ。先生と言い合いをしたけど、何度も言って最後はわかってくれてスッキリしたという日記。恐らくスッキリして機嫌が良かったのだろう、割と読みやすい字で書いている。どう見ても、しつこいヲタク気質で面倒なガキである。私が親なら先生に「申し訳ありません」と謝るところだが、母の返事を見て、少しばかり視界がぼやけた。

あなたが肯定してくれたおかげで、還暦になった今も、私はその性格をそのままに、こうして人生を歩き続けています。
もしそれがあなたが願っていたことと違っていたら、まあ、それはまた次の人生で考えましょう。

半世紀前から届いた母のメッセージ

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