雑記(2024/09/06)
1.はじめに
最近、生成AIなんてAIじゃない、という言説を見かけました。その方がAIとはどのようなものと考えるかは自由なので別にその言を否定するつもりはありません。ただそれを見て世の人のAIという言葉のイメージはかなり過剰な期待を抱かれているなと感じたので、前々からぼんやりと思っていたことを書こうかなと思った次第です。
2.AIって?
AIとはなにか、これは単純な疑問ですが結構ややこしい問題だと思います。Artificial Intelligence(人工知能)の略ですが、この字面を見れば、読んで字のごとく人間の手によって作られた知能のことでしょうよと、まず思うことだと思います。それ自体間違いではないでしょうし、究極的な目標はそこだと思います。一方でこれは学術的な定義としてはかなり多義的で曖昧です。知能に見えればいいのか実装上知能でないといけないのか、そもそも知能とはなにか、一つとして定かではありません。そしてはっきりと言ってしまえば、AIという単語はこれ以上明確な定義がない状態です。 研究者の間でも明確に定義が統一されてはいないでしょう。
ただ一般にAIとはざっくりこういうものだろうという、運用上の理解というものはあります。それは、人間の知的活動を代替するソフトウェアやアプリ、アルゴリズムという考え方です。また近年では専ら深層学習のことをAIという向きもあるかと思います。[1]前者の方でいうと、ゲームにおけるNPCの行動決定アルゴリズムを指してAIということに馴染みがある方もいるのではないでしょうか。
これらは、人工的な知能と言うより具体的で意味のある定義だと思います。前者はチューリングテスト的で、知的に見えれば知能という考え方と言えます。また後者は深層学習そのものが知的だと考えられていると言え、これは過程重視的な人工知能の捉え方でしょう。
3.AIと呼べるか
前章で述べましたが、AIとは大体において人間の知的活動を行うソフトを指します。とすれば会話や創作、運転やゲーム、そういった知的活動ができるようなソフトウェアは現状の運用からすると、十分AIと呼べるのではないかと思います。
勿論そういったものが実際人間と同等の精神活動を行っているかと言われれば、そこには議論の余地があると思います。その意味で真に知能かと問われれば個人的にはそうではないと感じます。言語を入力してノイズから画像を生み出すだけの機構が知能か?というとちょっと肯定しがたいです。一方でLLMでチャットなどをしているとついそこに知能を見出してしまいそうになります。チューリングテストなど今日日流行らないでしょうが、こうなるとチューリングの言い分にも理があるような気がしてきます。
過程重視的な考え方に寄り添うと現在知能と呼びうるソフトウェアは存在しないと思いますが、もっとも知能とは何か、が十分に明確でないのでは議論のしようもないと思えます。
4.要するに
長々と書いてきましたが、つまるところ世に飛び交うAIという語は、かなり空虚な言葉であるということです。人工的な知能である、というほぼ何も定義されていない、何も言っていないような言葉です。知能が何かを置き去りにしてそれを人の手で作ろうとしている、雲をつかむような話だと思います。なので、人間の知的活動を代替可能な技術という限定的な形で捉えるのは、かなり地に足のついた意義のある方針ではないでしょうか。
参考文献
[1]総務省,「令和元年版 情報通信白書」,https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd113210.html, 閲覧日 2024/09/06.