青年期を一瞬で振り返れる曲
ごきげんよう。荻原博士です。
博士には青年期を一瞬で振り返れる曲があります。
それはマキシマムザホルモンの「鬱くしき人々のうた」という曲です。
4分30秒くらいの少し長い曲です。
まあしかし曲の最後の40秒くらいまでは曲を聴いているというより思い出がフラッシュバックし続けているという感じです。
ではその最後の40秒まで何を思い出しているのか、そんなお話をしようかななんて。
今回は長いですよ。
本当に支離滅裂だと思うので大目に見てください。
博士は幼稚園からサッカーをやっていて、めちゃくちゃうまかったんです。神童というにはふさわしくないですが、上手と表現するほど並大抵ではなかったのです。まじでまじで。小中学生時代はそれはもう隆盛を極めていました。
しかし一緒にプレーしていたチームメイト様には多大なご迷惑をおかけしていました。旧友によく言われることだったのですが、当時の私はコートの中では下衆の極みだったのです。少年サッカーでは結構よくいる、「お山の大将」です。偉そうなだけならまだしも、私は人格を否定するようなことも言っていたのでまあ最低最悪でした。
でも振り返るとそんな自分になってしまっていたのは父親の影響がかなり大きかったんです。
(言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが自分なりに解釈した道理なので、当時の方々はご了承。本人にも罪意識は当然あります。)
父親は私のサッカーに対して非常に面倒を見てくれました。送り迎えなんかもそうですし、試合があれば必ず見にきてくれていました。しかし私のサッカーを見た感想は毎回罵詈雑言の叱責ばかりでした。褒められたことはほぼありません。叱責の方法もひどいもんで粘着系の激長説教。ストレスかかりすぎて途中で耳聞こえなくなるんすよ。なんか違う空間にいるみたいな感覚になる。
しかも叱責の内容は当時全く納得できませんでした。なぜならチームで一番上手いのが博士だからです。しかもしかも面白いのが叱責している当の本人はサッカーをしたことがありません。これは面白い冗談です。明治大正くらいなら墨で風刺画描かれてたと思います。暗くてお靴が分からないわ、ちゃうねん。言うてますけど。
蛙の子は蛙。この言葉で片付けられるほど簡単なことが起こりました。親父みたいな暴言でチームメイトを叱責しだすのです。
博士がもっと家で怒られないようにあんたらも頑張れ、なんて思っていなかったはずですが近い感情があったのかもしれません。
負けず嫌いってのもあったでしょうが、自分がクソになっていた事実を、説明し得る事柄は父親の影響も大きいでしょう。
そんな中サッカーをしているとサッカーが大嫌いになります。好きなのは練習だけでした。なぜなら父親が見にこないから。
だから僕はサッカーをやめた。
ハイ出ました。ヒルシカ。違うだろ。ヨルがヒルになっちゃってるだろ。おかしいだろ。
面白関東ツッコミが炸裂して場が大盛り上がりのところ悪いんですが話を戻します。
辞めたんです。サッカー。高校で。もううんざりで。まあ中学くらいから反抗期丸出しになっちゃって、高校受験とかも親父の意向とは真反対の学校に進学しました。その高校で軽音部に入ったんです。その頃に出会ったがハードコアなパンク。そうマキシマムザホルモンです。
いやああの時の衝撃。こんなかっこいいサウンドがあるのかと。
サッカーを辞めたからこれが手に入った、みたいな感覚がありました。アイデンティティの引き出しに一個穴が空いたからそこに入ってくれた、みたいな。
ほんで自分もギターやりたいっつって軽音入って。
まあーーーーーーーーーーーーーーーーー
つまんない。信じられないくらいつまんない。
性に合ってなかったんですね。悲しいことに。
半ば強制的にやらされていたサッカー。その鎖を脱ぎ捨てた先に得た、喉から手が出るほど欲しかった自由。音楽。
やってみたらゲロゲロ楽しくなかった。ゲロゲロ。いや、楽しくなかったんじゃない。それなりに楽しかった。仲間もいた。
ただサッカー部がもっと楽しそうに見えたんだ。お天道様の下で仲間と切磋琢磨して過ごす毎日。
自分のことが何もわかっていない(同年代に比べて自我が出来上がっていないガキ)奴が自分の居場所を悟りました。
サッカー部だ。
一年の夏にサッカー部に入りました。なんだこれ。でも楽しかったやっぱり。全員思春期でプライドと幼稚さとか何か色々混じりあったあの環境は割と楽しかった。つらかったけど。
通学路はずっとマキシマムザホルモンでした。新幹線から見る景色も思い出します。
サッカーをもう一度始めた時のテーマ曲、みたいな感覚です。
「鬱くしき人々のうた」のイントロが始まるとこれまで書いてきた博士のサッカーと父親への負の感情が全て思い出されます。なぜサッカーを辞めるに至ったのか、なぜこの曲に出会えたのか。憎しみ、怒り、悲しみ。メロディーと速いテンポがそれを掻き立てます。
でもこれらの感情がある程度思い出された後に親父がどんな考え、気持ちで当時の博士に
接していたのかを振り返りだすんです。
親父のやっていたことは全て間違っていたと思います。言葉の使い方も態度も全てです。
でも時々、詳細に当時の説教を思い出すんです。自分に足りないところをずっと言い続けてはいたし、やれば絶対できるとか言ってたんすよね。
振り返ればそこに自分への気持ちが見えてくるんです。今までの自分と親父を少し許せるかも、なんて思ってる時に最後の40秒が始まるんです。
聴いて確かめて欲しいです。
まあこの曲が刺さっちゃう人は危ないんですけどね。もうぐちゃぐちゃの人。何かのストッパーが外れたら涙が止まらなくなる人。
強くなんて生きれない自分達に寄り添ってくれる人がいることに感謝しましょう。
今度は自分が誰かに寄り添って生きれるようになりましょう。
すみませんなんか、バカで性悪なくせにおセンチなことばっか書いて。まとまりもさぞなかったでしょう。
博士にとって特別な曲を、博士の人生の少しを添えてみました。
以上です。