なぜnoteやpodcastを狂ったように出し続けているのか
ごきげんよう。荻原博士です。
今回はなぜ博士がnoteやpodcastを狂ったように出し続けているのかを皆さんに共有したいと思います。ここ数年にかけてこのようなことを急に始めた博士を見て、気でも触れてしまったのでないのかと思っている愚民が多いとお察します。
簡単に説明すると憧れです。
では何に対しての憧れか。ゼロイチをしている人たちへの憧れです。ゼロイチというのは言葉の通り、何もないところから何か創作物を生み出すという行動のことです。音楽や絵画、総じてアートと呼ばれるものが入ってくるかと思います。かっこいいじゃないですか。
またもう一つ憧れている対象があります。
それは自分の好きなものだったり得意と思うもの世界で本気で戦おうとしてたり、勝とうとしている人たちです。身の程を知って小さく生きるしかない博士には彼らの姿はとてもまぶしい。
これらの憧れと私の好みがマッチし、リスペクトが爆発しているのが芸人さんです。
まじでリスペクトしかないです。彼らは上記のような志を持って、その世界に飛び込んだんですよ。そんな心意気を持ったやつはいますか?
まあ彼らもそこまで覚悟を持ってやってるかどうかわかりませんが。ただの無知が故の無鉄砲かもしれません。
私は彼らの創作物を大量に消費しています。彼らに憧れの念が強いのにも関わらず消費することしかできない虚しさ苦しさがここ最近増幅してきたんです。
じゃあお前も芸人やれよ。
できないですよ。その世界に飛び込む覚悟もなければ人を笑わせる才能もない。
じゃあ黙ってろよ。僕は嫌だと言いたい。そんな弱虫で人の創作物を消費するだけしか能がないゴミムシでもささやかな自己実現をしたいのです。下手の横好きとはよく言ったものでまさに今の自分を表す言葉だと痛感します。
それでも。それでもです。せめて消費したものや触れたものに対して意見や感想もって言葉を紡ぐことでゴミムシのような生き方を少しでも脱したいのです。
それが小さな自己実現にもつながる。
素晴らしいじゃあないですか。批評家気取りのおままごとに見えても構わないです。
Podcastの方はまた少し違った意味合いでやっているのですが、それはまた今度。
自分で書いていて思うのですが、私の論旨というのはいつも言い訳がましく見えますが、
それもご愛敬。こんな不器用な人間が織りなす不協和音の数々をお楽しみいただけたら幸いです。
以上です。