悪評高い「兵庫県・兵庫方式」(2)
「兵庫方式はヤバい!」
――前回、そういうお話の経緯について説明しました。
似たようなケースで即座に思いつくのが、東京都の「学校群制度」です。知らない人も多いんじゃないかな?
学校群制度とは、まず前提としてあるのが、学校格差。
高校入試において、学校ごとに進学実績などの高校格差があるのは明らかですが、これを
「けしからん! 競争社会の弊害なのだから、これを解消するにはどうすればよいのか?」
と考えたのがそもそもの始まりでした。
そこで。
同一学区内の高校が2~4校の「群」に編成され、受験生はその「群」を志願する。あとはその群でおこなわれる入学試験に合格した者が、学力が均等になるよう機械的に群内の高校に振り分けられるという仕組みを、東京都教育委員会が考え付いたのです。
ちなみに、日比谷高校は、第11群。
同じ群に、3つの高校が含まれておりました。つまり、日比谷高校を志望する生徒は、確率3分の1しか日比谷高校に行けないという仕組み。
だって、A校、B校、C校のどこに入学できるか、学力均等になるよう、割り振って決められるんですから……。
――これは、志望校が明確であれば敬遠したくなるのも、無理なからぬことでしょうね。
実際、東大合格者数第1位を誇っていた日比谷高校は、合格者数を激減させていきます。
学校群制度の導入は1962年からですが、、合格者数は1963年に193名と過去最高でした(学校群制度スタート1期生は、もう入学していますが、高3生にしたら、思いもしない出来事だったでしょうね)。
そこから181人(64年)→128人(65年)→134人(66年)→131人(67年)。68年は、東大入試中止(大学紛争で安田講堂が火災に見舞われたため)で空白がありますが、69年は99人→57人(70年)と一気に大幅減に。そして、ついには1人という史上最低の東大合格者を出してしまうのです。
――栄枯盛衰久しからずとは全くよく言ったものです。
こういう歴史的事情があって、学校群制度は、1981年で中止となったわけですが、その後、進学教育重点校に指定されるなどの努力もあって、2024年には、合格者50人と盛り返しています。
進学教育重点校は、都立日比谷、西、国立、八王子東、戸山、青山、立川の7校となって、この7校は、「進学高として都が指定した学校ですよ!」と、目標とするのにふさわしい高校として明確化されたのでしょうね。東京都が、「じっちゃんの名にかけて」(と言ったわけではないんでしょうけど…)と過去の栄光を取り戻すべく対策を考えているのがよくわかります。(さらに続く)