悪評高い「兵庫県・兵庫方式」
意外に知られていないのですが、私、中学受験をしたことがあります。
――そう、昭和53年3月の甲陽学院中学校です。残念ながら、私最初の受験は不合格。結果を聞き、一日泣き叫んだそうです。
「甲陽なんて名前も知らない!」という方のために説明しますと、甲陽は、関西地方で御三家と言われる進学中・高です(=御三家は、灘・甲陽・六甲)。
当時、東大合格者数No.1は灘高でありまして、毎年約120名くらい東大に合格者を輩出しておりました。定員224名なのですから、じつに半数以上。異常というほかありません。今は、一学年400人いる、開成高校がNo.1。開成が170人合格させたら、224人しかいない灘は、どう対抗すんねん!てな感じです(余談ですが、筑波大付属駒場中・高は、1学年160人という少ない定員数の中で、約100人という驚異的な合格者を出しております)。
二番目は、甲陽で、当時、東大合格者は40名くらいで「そこそこ多い」のですが、一方、京大では合格者一、二を争っております。最近では、大阪府立の名門校・北野高校が一位、というのが当たり前ですが、当時は私立の六年一貫校が優勢だったのです。
三番目は六甲。六甲というと、高校からは合格者を出さない、つまり、純粋培養で中高一貫でしか入学させないということで有名です。定員180名でそのまま基本的に進学し、卒業へと至ります。進学実績では、東大2~3名、京大10名前後と、「ん?」という疑問をもってしまいますが、進学実績はイマイチでも、素直で真面目な「いい子」が行くことで有名でした。
こうした影響を受けてか、最近は御三家を語るのに、六甲は御三家に入らないというのが定説になっているそうですね。
御三家は、1980年代、台頭してきた淳心学院(今は、当時ほど勢いがないようです)を代わりに算入したり、白陵高校を御三家としてカウントしたりする意見が有力のようです。白陵高校というのは、東大合格者50~70人くらいで、安定した進学実績が期待できるというので、ご父兄からは憧れの的だそうであります。
そもそも、なんで兵庫県の私立がこんなに勢いがあるのかというと、それは、「兵庫方式」と言われる方針を採ったために、兵庫県立高校が総くずれとなって、「兵庫県では、公立高校に入ったらろくな大学に行けない!」というのが常識でありました。
具体的にどうか、と言いますと、兵庫県の公立高校では、入試において内申:学力テストが8:2なんです。
圧倒的に内申点が高い。
なんでも、当時の県教育委員会が「あるべき中学校」なるものを考えたそうで、「中学生たる者、もっと自由に活動できた方がよい。部活動もそうあるべきで、受験うんぬんよりも、各人が目指す分野にもっと力を入れるべきだ。その活動内容を評価すれば、公立高校は受け皿として門戸を広く開けておく」ということなのだそうです。中学3年間、先生の顔色を窺いながら、定期テストに力を入れるべきなんだそうで、部活動不参加者は、それだけで「人間失格」の烙印を押され、公立高校には行けないことになっていました。――共産主義ということなのですけど、これってひどいことじゃないですか??
ちなみに、私の英語の成績で言いますと、英語の定期テストはほぼ学年トップの成績でした。これは、数学・理科もそう。数学はほぼ100点に近い点数でした。理科も90点以上が普通です。
ところが、数学の5はいいとして、理科は4、英語も4だったんです。
なんでも各教科には、「平常点」というものがあるらしく、「①宿題はきちんとやっているか?」「②学校の先生に質問しているか」等々、師匠である学校の先生に素直であるかどうかで、成績5の子を4に下げられるということなんですねぇ……。
――今にして思えば、信じられないことであります。そうやって、中学校の3年間、先生の機嫌を損なわないようにしないと、まともな県立高校へは行けないということです。その結果が大学の進学実績にも響いて、「兵庫県の公立高校はヤバい!」てなことになったというわけです。(続く)