私の高校受験時代(7)~一足早いお別れ~
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さて、昨年は、伸学社の冬合宿において、L号室という新しい部屋(=縦割り)に移り、授業中心の生活が始まったこと、そして新しい部屋で新しい友達と出会う話をしました。
伸学社の合宿は、それなりに面白かったものの不満が3つありました。
1つ目は、TVが観られないこと。
私が中1のとき、NHKの大河ドラマは、「黄金の日々」というのがやっていて、冬休み前に最終回を迎えたものの、冬合宿中に総集編が放映されるという予定で動いておりました。
番組の後半くらいになって初めて大河ドラマというものを面白いと思い、総集編でじっくり観たいと思ったのは私だけではないでしょう。安土桃山時代に、秀吉と周りの人々の人間模様を描いたもので、なかなかの傑作ではないかと思います。
――それが、伸学社の合宿という性質上、見たくても見ることができなかったのは残念でした。
2つ目は、朝起きるのがつらかったこと。
アナウンスがかかり、「起床、起床、全員ただちに起床せよ」という声が流れると、まだ眠たいのに、ダラダラしてはいられないのです。先輩らしき人が、「おい、ダラダラすんな!」と叱るものですから、眠くてもきびきび動かなくてはいけない――あの瞬間は苦痛でした。
3つ目は、他の塾生が鬼のような性格だったこと。
昼休みに、うどんなどのお膳が出され、食べているうちに、机順にお茶のいっぱい入ったやかんが送られて自分と隣の人の分だけ注いでいきます。そして、後ろの机にお茶を回すのですが、私がお茶を2杯分、八分目だけ注いでいくと、隣の塾生が、
「おい、そんな上品な注ぎ方で足りるかい! 貸せや!」
と怒鳴ると、八分目のお茶に追加でなみなみと注いでいくのですね。
「上品にやっとったらあかんぞ!」
と言わんばかりにジロリと睨むのです。思えば、他の塾生の反応を見ながら、遠慮がちにやっていたのが、まどろっこしく感じられたのでしょう。確かに、「お上品」ではありました。
しかし、家に帰りたいのは、誰しも同じです。私だって、舞子の実家に帰りたかったのです。こればっかりはどうしようもありません。一日過ごすごとに、「合宿終了まであと○日」と鉛筆書きして、じっと我慢するしかありませんでした。
そして1月4日(合宿の終了日は1月6日)の午前中、放送で、
「学校の都合で早めに帰らなくてはならない者はその旨、報告するように」というアナウンスが流れてきました。
ああ、私は弱虫なのでしょうね。
その放送を聞くや、さっと立ち上がって歩き出していました。
もちろん、言い訳ならあります。それは、舞子の名門塾・英学塾で、楠戸先生が、2回連続して休んだら、もう来なくていいということを言っておられたからです。冬休みで英学塾を1回休んで、もう1回休んだらジ・エンド。(クビになるわけにはいかないからな……)というもっともらしい理由をつけて、教生に、
「学校が7日から始まるので…」
と伝えたのでした。
これで私の伸学社の合宿は2日ほど早まって終わり。
父兄の車に乗せられ、JRの最寄りの駅に送ってもらうこととなりました。
合宿所を去る前、入江先生のところにさよならの挨拶に伺ったのですが、
入江先生は、
「志望校はどこだい!」
とお尋ねになられました。
私が、
「灘です」
と答えると、入江先生はお笑いになって、
「そうか。ではまた灘の入試で会わねばならんな!」とおっしゃったのが忘れられません。
(続く)