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毒親に育てられた小学生時代②


前回の投稿が長くなりまして、2部構成です。

続けて見てくださっている方、ありがとうございます。
まだの方は良かったら①から見ていただくとより濃いかと思います。





妹との関係


私には5歳離れた妹がいます。
ふたり姉妹です。

子供のころはずっと私の後をついてまわり、私が勉強すれば勉強、ゲームをすればゲーム、といかにもな妹です。
 

毒親育ちの子供たちは極端に仲が悪いか良いかどちらかだとどこかで読んだことがありますがうちは後者で、
今でも一緒に買い物はもちろん友達には話せないようなディープな話をよくしています。


前述したように小学生の私はとにかくいろいろなことに追われていて、忙しいながらも
「まだ小さい妹はもっとつらいはず。私が頑張らなきゃ。なるべく〝普通〟の環境にしなくては」
となるべく妹には不自由させないように心がけていました。
これが母性というやつなのかもしれません。

祖母からもらったお金で妹に服を買ったり、学校で話題のお店へ買い物につれていったり、風邪を引いたら小児科に連れて行ったり、親の代わりに入学式や卒業式に出席していました。
(苦労のせいか形が悪いのか、私が小学生のころからよく同級生の親だと勘違いされていました。おかげで入学式に出ても違和感がなかったので妹にさみしい思いをさせず、結果的に良かったのでしょうか・・・。)

そのせいか、妹の担任からも両親でなく私に報告や相談を受けていました。
家庭環境のせいか、妹はなかなか学校になじめず先生も手を焼いていたようです。


私の努力もあって?妹に徐々に友達ができたり、私と買いに行った服を友達に自慢したり、彼女なりに楽しく学校に通えているようでした。


私は妹を自分の子供のように思っていて愛が重いので、
可愛い妹の詳細は後日記事にしたいと思います。


友達との関係


見るからに家庭が崩壊してそうな、いや実際していた私はいついじめにあってもおかしくない状態でしたが、ありがたいことにクラスメイトに恵まれ同級生だけでなく周りの保護者の方たちからもすごく良くしてもらいました。

友達から「いつも頑張ってるね、ちかちゃんはほんとにすごいね!」と手紙をもらったり、
誕生日には「ちかちゃんが喜びそうなのは妹ちゃんの身の回りのものとか日用品なんだろうけど、ちかちゃん本人が喜ぶものにしたよ!使ってね!」と可愛い文房具をもらったりしていました。

保護者の方たちも家族で出かけるときに私や妹を連れて行ってくれたり、料理や洗濯のやり方を教えてくれたり、つらい気持ちを聞いてくれたり、本当にたくさんの方にお世話になりました。
父から怒鳴られ思わず家を飛び出した日にも、泊まっていきなさいと声をかけてくれました。

当時の私には居場所がなくとにかくいっぱいいっぱいだったので、関わってくださった方たちには今でも感謝しています。


ちなみに、こんな私でも好いてくれる同級生男子がなぜか何人かいたのですが、誕生日には家の前にプレゼントを持った男子たちがうろうろしていて、その記憶が一番印象に残っているかもしれません(笑)

ど、同情ではないはずです。過去の栄光ということにしてください。


児相が動かなかったのか?


妹はあまり自分の環境のことを周りに話さないタイプで
「お姉ちゃんはいろいろ話してるけど恥ずかしくないの?」
と聞かれたことがありますが、私の過失でこうなったわけではないし、もしかしたら行政が来てくれるんじゃないか、という思いもあってなるべく多くSOSを出していました。


両親のせいで苦しんでいるのに、私が恥ずべきことはなにもないと思っていました。
昔から我が強くて頑固なのです(笑)


ここまで聞くと、なんで誰も児相に相談しないのか、と思うかもしれません。
家に児相や行政の職員が来たことは1度もありませんでした。

友達はもちろん、周りの保護者や担任にも状況は伝えてあったので、
私も「児童養護施設とかに入ったほうがいい暮らしができるのに、誰も動いてくれないな」と感じていました。


ただ、今にして考えるとあの時期を乗り越えたからこそ今の自分がいるなとも思うし、妹や友達との関係も深まったし周りのフォローも手厚かったので、私には乗り越えるべき課題だったのかなと思います。


両親へのヘイトは高まりましたが、困ったときに見返りを求めず動いてくれる方がいることは私の自信というか安心というか、社会の優しさを知りました。


これは世間の虐待のほんの一例なので、
もし周りに疑わしいことがあったら遠慮せずに通報していただければ幸いです。




おまけ


いつも偉そうに精神科看護への愛を語っていますが、
実は小学生のころ料理人になりたいと思っていました。


当時の私にとってはあまりにも家事が多くて、
周りの子はこんなことしてないのに私だけ…
何か意味はあるのかな、役に立つのかな…
と毎日考えていました。


唯一仕事にできそうなくらい得意?だったのが料理だったので、
勉強してもっと料理上手になって、美味しいもので周りの人が喜んでくれたら救われるな〜
なんて思っていました。
母親が料理が得意だったので、その影響もあるかもしれません。


まあ、思わぬ形で看護師になりましたが…笑



さて、次回は中学生編に進みたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
いつもみなさんの反応が支えになっています。

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