歳をとるということは。。
2019年池袋で高齢者が運転する車が暴走して、母娘が亡くなるいう痛ましい事故があった。
しかし加害者の男性は一貫して自分の操作ミスを認めていないそうだ。
現場にはブレーキ痕はなく、メーカー側も事故車を調べて故障や不具合はなかったと証言している。
どう考えてもブレーキとアクセルを踏み間違えたとしか思えないのだが、彼はあくまでもブレーキが効かなかったと主張しているらしい。
彼は高齢であるが認知症の疑いはないとすれば、嘘をついて責任逃れをしているのだろうか。
いやいや、私にはとても彼が嘘を言っているようには思えない。
恐らく彼の中ではブレーキが効かなかったことは、まぎれもない真実なのであろう。
だから誰に何と言われようと真実を曲げることはできないのだと思う。
本当はそれが自分の思い込みによるものだとしても到底認めることはできないのだ。
これがもう少し若い人なら「自分の思い違いかも知れない」と考え直すこともできるが、歳をとるとその思考は柔軟さを失い自分の考えを頑なに信じて疑わない。
遺族の方には非情な言い方だが、そんな彼に罪を認めさせるのは至難の業ではないだろうか。
と言うのは実は私の夫にも最近やや似たような言動がみられるようになったからである。
例えば先日もこんなことがあった。
私の留守中に夫は置いてある芳香剤を倒して、慌てて逆さまに戻したらしく中の液体がこぼれてしまっていた。
夫にそのことを指摘すると「自分ではない、知らない、最初から倒れてたんだろ」と言い張る。
家には夫しか居なかったし地震もなかったのだから他の誰が倒したと言うのか。
しかし夫は一旦主張しだしたら全く聞く耳を持たなくなってしまう。
いくら説明しようとしても大きく両手を振って私の言葉を遮り、取りつく島もない。
恐らくそんな些細なことは忘れて「絶対自分ではない」と思い込んでいるのだ。
本人にしてみれば身に覚えがないのだから甚だ心外かも知れないが、それでも一通りこちらの話しを聞いて冷静に状況を見て欲しい。
我が家では時々これに似たような出来事が起こり、その度に私は暗澹たる気持ちになってしまう。
以前は決してこんな人ではなかったのだが、これが老化ということか。。
歳をとってからの『思い込み』は何と厄介なものなのだろう。
イラスト(アクリル)