子の心 親知らず
もう初夏だというのに店頭にはリンゴがまだまだ沢山並んでいる。
ここ数年でリンゴの貯蔵技術が進歩したらしく、いつまでも食べられるのは
嬉しいことだ。
ただ、昨年はリンゴが不作気味だったことや昨今の物価高も相まって
頻繁には買えないのが少々残念である。
さて以前に「幻のインドりんご」という記事を投稿したが、私にはもう一つ
忘れられないリンゴがあった。
それは縁日の屋台に並ぶあのリンゴ飴である。
お祭りに行く度に目に飛び込んでくるリンゴ飴は、真っ赤で艶やかに輝いてまるで大きな宝石のようだった。
あれをかじったらどんなに甘いだろう、どんなに美味しいだろうとヨダレが出るほど欲しかったが、いくらねだっても祖母は頑として買ってくれなかった。
「あんな毒々しい色の物を食べたらお腹が痛くなる」の一点張りで、まるで白雪姫が食べた毒リンゴのように言うのだった。
他にもたこ焼きやお好み焼き、イカの姿焼きなど魅力的な食べ物が美味しそうな匂いを漂わせていたが、いずれも非衛生だからと言って却下された。
ただ綿菓子だけは人の手が触れていないという理由で買って貰えたが、それでリンゴ飴を帳消しにすることはできなかった。
縁日でさえそんな調子だから子供が大好きな駄菓子屋や紙芝居など当然私にはご法度だった。
駄菓子屋は友達について行って買うのを見ているだけであり、紙芝居に至ってはおじさんの自転車に近づくことさえできなかった。
なぜなら紙芝居は始まる前におじさんからお菓子を買わなければ見せて貰えないし、下手をすれば邪険に追い払われてしまうからだ。
私は紙芝居とお菓子を積んだ自転車に群がっている子供達を遠くから眺めて一人帰って行くしかなかった。
家には祖母が用意したおやつや何冊もの絵本が揃っていたが、駄菓子と紙芝居の魅力には遥か及ばなかった。
大人になってみれば、これらの制約は全て私のためを思ってのことだと理解できるが、かと言って子供の気持ちを考えずに親の思いだけを押し付けるのはやっぱり賛成できない。
そんな私も親になり息子が小学校一年生になった時、世間ではテレビゲームが大流行していた。
当然息子はゲーム機を欲しがったが、一年生ではまだ早いのではないか、もう少し学年が上がってからの方が良いのではないかと買うのを迷っていた。
同じように考える親は他にも少なからずいたので、そのことが父母会の議題となった。
しかし担任の結論は「これだけ流行ってしまうと多勢に無勢で流れには逆らえないと思う。それより家庭できちんとルールを決めて与えてはどうか」というものだった。
確かにこの先次々と友達はゲーム機を買って貰い、息子だけが持っていないとなるとみんなの話についていけず仲間にも入れないだろう。
それは昔の自分のように哀しくて惨めな思いをするだけで、ゲームを禁止したからと言ってさほど教育上プラスになるとは思えない、むしろ精神衛生上マイナスかも知れない。
結果、我が家は担任のアドバイス通りゲームの時間を守ることを約束させて買うことになった。
その後ほぼクラス全員がゲーム機を持つようになったが、中に一人だけ持っていない友達がいた。
親御さんの話しを聞くと中学生になったらコンピューターを買ってあげるから、それまで我慢させるとのことだったが、私はその言葉を聞いて暗澹たる気持ちになった。
中学生まで後一年ほどと言うならともかくまだ五年も六年もあるのだ。それは子供にとって想像がつかないほど長い先のことではないだろうか。
ゲームは勉強の邪魔になるし目も悪くなる、遊ぶなら外で元気に遊ぶ方が良い、これらは全て子供のためを思っての正論だが、それでももう少し子供の気持ちを思いやって欲しいと、かつての子供の私は願うのである。
イラスト(パステル)