取りもどすべき日常〜ソフィア・ヴォイス・アンサンブル第31回定期演奏会
西洋で発達した発声法をヴェルカントというが、文字どおり高らかな歌声が紀尾井ホールの隅々まで響いていた。わざと2階席の奥に陣取って確かめる私は意地悪だろうか。ところで、演奏会は演目構成が要である。今回はヨーロッパ中心のプログラムに、日本の懐かしい唱歌が挟まれていて合唱音楽に詳しくない人でも楽しめる。フランス語・マジャール語・ハンガリー語・日本語・ドイツ語とバラエティーも豊かなだ。
1ステージ目の「アッシジの聖フランチェスコの四つの小さな祈り」はプーランクが手掛けた数少ない男声合唱曲にして有名な曲。緊張しがちな最初のステージに歌い慣れた曲をもってきた
2ステージ目は、ハンガリーの大作曲家コダーイとバルトークの名曲。指揮者の耳の良さが演奏の完成度を高めていた。
3ステージ目は、大正から昭和にかけてのヒット曲集。日本語の情感を隅々まで張り巡らす。作曲した林光さんのピアノ譜が美しく、伴奏も素晴らしい。
4ステージ目は、まさに「愛の歌」である。ブラームスは聴いているだけで愛情あふれるワルツ集を作ってくれた。ステージの上に、ハートがたくさん浮かんでは消えていく幻想。響きの素晴らしいホールで連弾(2人で弾くこと)のピアノ演奏が聴けるのも贅沢。ブラームスは愛する人と手が触れるように作曲したというトリビアも得た。
演奏会を統一するテーマは、「ドナウの岸辺にて」。東西冷戦の象徴であり、ヨーロッパの中心に位置する川をテーマにしているので、昨今のウクライナ情勢を意識したのかと思いきや、特に意識されているという言及はなかった。しかし、全体で古き良きヨーロッパを体現しているので、現在との対比は否応なく迫ってくる。元の日常が帰ってくるのかは見当もつかないが、覚えていないと取り戻せないのも事実と思う。日本も例外ではなく、いつ国際社会の荒波にさらされるか分からない。私は古い世代の人間なので、今回歌われた時代をよき時代とするならば、今回の演奏を必ず覚えておこうと心に刻んだ。
演奏中の解説によれば、今回の演奏会を実現するまでにはさまざまなハードルがあったそうだ。新型コロナウイルス感染症の影響を受け、開催に4年8カ月を要したという。コロナを機に舞台芸術をはじめとして、創作活動は様変わりした。マスク着用は緩和されたが、まだ気をつかっている人はいる。歌の歴史がどこまでさかのぼるか、民俗学者でない私は語れない。でも、ドナウ川の岸辺に連れて行ってくれた体験は、忙しい日常に休息を与えてくれた。それにしても、今回多用された酒の歌は、洋の東西を問わず活気付けてくれるなあ。
なお、この演奏会はこの団体とゆかりの深いピアニスト、久邇之宜先生への追悼の意が込められているそうだ。衷心よりご冥福をお祈りいたします。