公開初日「ワールドツアー上映『鬼滅の刃』上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」レビュー
鬼滅の刃は序破急を備えた緩急自在なドラマである。
兄妹の愛情を描くシリアスさとコミカルな軽さのミックス具合がよい。深刻に気楽さのほどよいバランスが、この作品を深くしていくのだ。
公開初日は金曜日。この映画のターゲットと思われる小学生は皆無。劇場内にいるのは若い年代の大人だけ。世代を超えてファンの期待の高さを感じた。休日になれば劇場内は子どもたちであふれるだろう。
アニメ鬼滅の刃は、漫画原作をベースに再現しているので、話のプロットは周知の通り。それでも圧倒的な映像美と音響は映画館ならでは。
映画の前半は、テレビで放送された「遊廓編」。最後に浮き彫りにされるテーマは、妓夫太郎と堕姫、炭治郎と禰豆子の立場を超えた愛情。
炭治郎が述懐するように、もしかして炭治郎と禰豆子が鬼だったとしてもおかしくはない。生きていくためには兄妹で力を合わせて生きていくしかないからだ。方法はどうであれ、とにかく生き延びる。それはだれにも止められない。しかし、炭治郎は、もし自分が鬼だったら首を切ってほしいと願う。だれかによって、逃れられない世界から救われたいと切望するのだ。
鬼になると記憶がなくなるというが、妓夫太郎もそうだったのかもしれない。 長い期間を生き延びるために忘れてしまったのだろうか。兄が妹を背負って地獄へ向かっていく様は、戦いの荒れ地を禰豆子が炭治郎を負ぶって歩くのと対照的だ。それぞれの兄妹のカタチ。
さて、後半は刀鍛冶の里編。話の筋はコミックを読んだことがあればわかるだろう。私が注目したのはパワハラ会議。しかも2回目の会議である。1回目は下弦の鬼だけを集めてテレビ放送された。今回は上弦の鬼だけの招集だ。無惨の気に食わない鬼は、上弦であろうと一瞬で傷つけられる。圧倒的な力による暴力。そして、上弦の鬼達の上下関係。こんなギスギスした職場には心理的安全性など無いだろう。
いよいよ最後は、コメディタッチで今後の導入部分が示される。時透無一郎と甘露寺蜜璃のふたりの柱が登場した。日の呼吸の初代の剣士、継国 縁壱(つぐくに よりいち)も描かれる。これからのテレビシリーズが楽しみな導入だ。相対する鬼がグロくてちょっと感情移入できないが、放送が進むと受け止め方も変わるのだろうか。
この映画は海外でも上映されるという。日本で放送されたテレビドラマや原作漫画に触れる機会のない外国人のこころにも届くだろう。
新たな発見はなかったが、懐かしさとワクワクが堪らないファン必見の映画だった。
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