過保護だった母~子供の頃の後悔
生後2か月で病気が分かった私
すぐに大きな手術を受けることになった。
結婚6年目にようやく授かったのが私だった。
病気が分かった時、母は毎日泣いていたと祖母から聞いたことがある
「私は一生この子の世話をして生きていく。」そう決意したという母は、
私のことをいつも心配し、過剰なまでの世話を焼く日々を送るようになる。
小学校の頃、担任が変わるたびに母は先生に手紙を書き、必ず渡すようにと私に手紙を預けていた。
中身は見ていないが、「病気のあるこの子に無理をさせないでほしい。この子のことを良く見ていて欲しい」というようなものだったと思う。
私は学校で特別扱いを受けていた。
例えば、朝は母が車で学校まで送迎し、もうホームルームが始まる時間に学校に着く。
みんなが嫌がるマラソンの授業は見学
運動会は自分の出る種目が済んだら、片付けの時間を待たずに早退
長い距離を歩く遠足は、大部分を教師の車の送迎をうけ、最後だけ歩いて参加
部活動は朝の早い朝練はなし、授業後の時間のみ。
学校から帰宅後は友達と遊ぶ前に30分から1時間、横になって体を休めるのが約束だった。
私を休ませている間、母はいつも私にこう言った、
「あなたは体が弱いんだから、無理をてはいけないの」
「あなたのことは私が一番良くわかっているから」
それが母の口癖だった。
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