「人は変わる」 と教えてもらった。
「人ってのはそう簡単には変わらないんだよ」
誰かとの会話の中で、この言葉を聞いたり言ったりしたことがあります。
あまり良くない意味というか、あの人に変わって欲しいという願望がある時に使います(自分に都合のいいように)。この言葉を発する時はあきらめモードに入っていることが多いですが、一度だけ、人って変わるんだ、と心を揺さぶられた経験がありました。
人生の大先輩に、老人ホームで学んだことです。
施設の横に、雑木林と呼ぶには小さい荒地(空き地)がありました。そこには、古い事務机や椅子、破れたソファーなどの粗大ゴミが無造作に転がっていて、数年は雨ざらしのまま放置されている雰囲気を醸し出していました。
ある日の午後、中学校での授業を終えて老人ホームに出勤すると、入所者のNさんとKさんのお二人が空き地で何やらやっておられました。様子伺いを兼ねて挨拶に行くと、ここに農園を作るんだ、とおっしゃいました。内心、本当にこの荒地が農園になるんだろうか、と思いながら挨拶を済ませ施設に入りました。
しかし、日に日に粗大ゴミが無くなっていき、樹木も無くなっていく。「この切り株が曲者なんだ」とおっしゃいながら、切り株の上に座りタバコを吸って休んでおられた姿が印象的でした。その後、たしか約2か月くらいで荒地が農園になったと記憶しています。切り株もすっきりとなくなり、手作りの看板が立てられた「かわいい農園」に生まれ変わりました(写真を撮っとけばよかった・・・)。利用者さんも職員さんもみんな大喜びでした。
老人ホームでは、一般社会よりも永遠のお別れをする機会はぐっと多い。
宿直バイト時代は、入所者が亡くなることに毎回激しいショックを受けていましたが、就職して職員として働くうちに、いかに幸せな最期を迎えていただくために全力を注ぐか、に考えが変わってきました。
農園づくりに大活躍されたNさん。完成してからひと月も経たないうちに旅立たれました。あんなにお元気そうだったのに。
壁に貼られたNさんの葬儀について記された紙を、私は呆然と立ち尽くして見ていました。担当職員さんから教えてもらいましたが、Nさんは不治の病と闘っておられた、とのこと。
そんな中、仲間と一緒に荒地から農園を作り上げたのです。
残念ながら、中学校で授業があったため、私は葬儀には参加できませんでしたが、職員さんから教えてもらった話は今でも忘れられません。
葬儀は老人ホーム施設内のホール。
参列されたNさんの身内の方は息子さん、ただ1人。
たくさんのNさんの仲間の手には、農園に咲いた花々。ひとりひとりゆっくりとNさんの棺の中に、手に持った花々をお供えしたとのこと。
Nさんが亡くなる前から、状況をご家族に伝えるために担当職員さんが何度も電話したそうですが、まったくつながらなかったとのこと。やっと繋がった時の息子さんの返答は「父とはずっと昔に縁を切っているので、我々は葬儀には参加しない」でした。
担当職員さんからその話を聞いた私は、縁を切った?あのNさんと?と、信じられませんでした。
しかし、職員さんの熱い説得が通じ、葬儀にはおひとりでしたが息子さんが来園されました。手に花々を持ったお仲間の様子や、Nさんたちが作った農園に案内されて、あんなに頑なだった息子さんは、スッキリした表情で担当職員さんにこう仰ったそうです。
「父は、私たち家族にとって最低な人でした。しかし、ここではたくさんの人に愛されていたんですね。人って変わるんですね。今までありがとうございました。」
私は、基本的には、簡単に人は変わらないんだよ、と思いがちな方です。その時は、たいてい諦めモードですが、同時にNさんのことを思い出すようにしています。
Nさんは、老人ホームという新しい場所で、まずは自分から変わろう、と思ってらしたのではないだろうか。そんな気がします。
「人って簡単には変わらないけど、変わることもある。それを忘れるなよ。」
Nさんの背中から学んだことです。