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【俳句とエッセイ】Trauer, Verzweiflung und Hoffnung《前半》※後半は書きません、アメブロで完成させます

TOP画像/アニマルライツセンター「フォアグラの生産方法」より引用



Trauer, Verzweiflung und Hoffnung(悲しみと絶望と希望)



《俳句》
コンテナより顔出す廃鶏春の風 

画面/Animals Australiaの動画より

📝これは恐らく卵を効率良く産まなくった採卵鶏。彼女はお払い箱になって、コンテナに他の廃鶏たちとぎゅうぎゅう詰めにされて、トラックで運ばれている。だいぶ前にも、コンテナから顔を出して風に吹かれてる鶏の映像を見た事がある。そしてまた、その光景に出会ったのだ。初めて吸う外の空気、触れる風、景色、温度。私もそれを感じる事ができた。幸せな時間だ。行き先は屠殺場。短い旅だけど。初めて外が見れた!!期限付きの幸せだから、私は凄く悲しいけど。



《俳句》
太らされて豚坐りこむ春の昼

画像/アニマルライツセンター「豚を苦しめる品種改良」より

📝屠殺場で豚が歩けなくて、暴力を奮われている映像を観た。そもそも、歩けなくしてるのは人間だ。太らせるだけ太らせたい人間は品種改変した豚を作る。体重が超重い。歩けない。品種改変で脚弱が起こるのはブロイラーだけではなく、豚も同じだった。

人間がやらかして奇形動物を作り出しているのだ。品種改変なんてやめるべきだ。人間はいつも実験して失敗するんだから。失敗作で何処の工場農場もいっぱいだ。品種改変をやめさせないと動物たちが可哀想だ。
 
彼等は人間で言えば改造人間だ。自分が改造人間だったら?改造されて異常な体になってまともに歩行することすらできなかったら?歩けない豚を蹴り飛ばすのは方向違いも甚だしいのである。



《俳句》
朧月牛を殺せば助成金

画像/Livedoor Blog、北の獣医師さんの記事より

📝乳牛を食肉処理したら農家と処理した所に、政府から補助金が支払われる。ミルクがだぶついたから、外国から買う乳製品があるから、乳牛を処分して生産調整する、という農水省の冷血なアイディアだ。

乳牛の処分奨励期間は今年3月から9月まで。乳牛の命はその持ち主次第となった。農水省は4万頭始末して欲しいらしい。目標達成とならなかったら、補助金支払い期間の延長も遣りかねないから、10月以降は大丈夫なんて思っちゃだめだ。とんでもない政策だ。白昼堂々と牛を大量に殺せる。殺したらご褒美が貰える。狂気の世界だ。



《俳句》
春眠や鶏も牛も汚穢(をわい)中

画像/アニマルライツセンターの記事より

📝この句を詠んだのは春。春は、心地よく眠れる季節、眠気の差す季節ととらえれていて、「春眠」「朝寝」「蛙の目借時」などという季語がある。

畜産動物が飼われている環境は劣悪である。採卵鶏も、ブロイラーも、豚も、牛も。採卵鶏は海外では禁止されているバタリーケージに閉じ込められ、傾斜している金属の網の上で毎日を送る。メスの豚は妊娠ストールに寝かされ、牛は短い鎖などで繋がれほぼ立つか座るかしかできない。私が信じられなかったのは、豚も牛もコンクリートの寝床で生活しているということだった。コンクリートは固くて痛い。コンクリートの道でこけて膝から血を出したことがあるから、私はそれを知っている。

採卵鶏と豚と牛は監禁、拘束状態で暮らしている。それだけでも辛いことは想像できる。それに加えて、飼育環境を劣悪にしているのが糞尿なのである。採卵鶏のバタリーケージも、過密なブロイラーの飼育場も、豚舎も牛舎も糞尿まみれなのだ。小さな農家ではよく掃除をしておられるようだが、大量飼育をする工場農場では、掃除はしない。するところもあるかも知れないが、牛は大量の糞を排泄するので一日に数回掃除したってまた汚れてしまう。このように、彼等彼女等は糞尿まみれで暮らしているのだ。

動物たちも人間と同じようにまどろむ。それはが汚穢(おわい)の中だとしても、構わずに眠るのだろう。




《俳句》
純白の鴨ガバージュで汚れけり
※ガバージュ=強制給餌

画像/アニマルライツセンター「フォアグラの生産方法」より

📝さて、フォアグラの話だ。大量のカモの監禁、暴力的な強制給餌、10倍に膨れ上がった肝臓にカモが苦しみもがくさま、毎日数週間繰り返される残酷な強制給餌に堪えられず拷問死するカモたち、そして屠殺され、吊るされて腹を切られ肝臓を抜き取られて終わる。簡単に書くと、これがフォアグラ生産だ。

フォアグラの強制給餌のことを書くのも見るのも地獄。そのど真ん中に落とされ逃げ出せないのがアヒルやガチョウたちなのだ。一度、YouTubeで配信されている動画を皆さんに見て頂きたい。

何回も何回も、私はフォアグラ生産の映像を観た。違う国の、違うフォアグラ農場の映像だ。やってることが馬鹿みたいに同じで、呆れた。アヒルの口から金属管を突っ込み、油を混ぜたとうもろこしなんかを大量にアヒルの胃袋へ流し込む。みんな、みんな、残酷な人達がこのやり方を律儀に守ってやってる。馬鹿みたいにちゃんと手順を踏んでやってるのに呆れたのだ。誰に教わったのか知らないが、ろくでもないことを教わったものだ。

直ちにアヒルとガチョウの解放を。そう心から願いフォアグラ禁止を求める活動を続けて行く。

【フォアグラの強制給餌】に関してのみ、資料を貼り付けておきます。
アニマルライツセンター 17/07/08





《俳句》
署名の束薄きも地獄花筏

画像/Animals Australiaの動画より

📝この元々の記事のやり始めは、その時の気持ちや気分に合う歌を聴いて、そこに見えて来る景色を俳句にしようというものだった。最初は怒りから始まった。そして、12曲目が辛島美登里さんの「未来(あした)へのプロローグ」だった。前向きな歌なんだろうと思った。ただ、この歌がアニメ『妖魔』のエンディング曲だった。私はこれと二本立てだったアニメ『迷宮物語』を観に映画館へ行ったのだが、『妖魔』が強烈過ぎて、こちらに心を奪われてしまった。

『妖魔』の舞台は日本の戦国時代。戦に巻き込まれて死んでゆく人達が描かれる。主人公の青年緋影と親友だった青年真狼が、実は人間ではなく土から生まれて来た「妖魔」と呼ばれる残忍な化け物だったと分かる。ある日、真狼は消え、その行方を緋影が追うという物語だ。妖魔があちこちに出没する戦国時代。地獄の景色が展開される。

このおどろおどろしいアニメと辛島美登里さんの歌。私には戦いと少しの希望が見えた。その時、私はちょうど署名活動をしていた。《オスひよこ殺処分廃止》の署名活動と《鶏と牛を殺したら貰える補助金制度廃止》の署名活動。戦国時代が地獄なら、現代の畜産業界も地獄だった。そして、私はなかなか集まらない署名に絶望しか見えず、無惨に散って行く桜の花びらが救えないで死んでゆくオスひよこや鶏や牛に思えて、満開の桜の世界に立ちながら署名活動は地獄だと感じた。散ってゆき、川に流されてゆく命を見ていなければならないなんて地獄でしかなかった。

“地獄”というワードを得て、歌から俳句が生まれた。署名活動は達成されれば希望になる。その日までは地獄を歩まねばならない。





《俳句》
春雨やガス室へ豚追い立てて

画像/Animals Australiaの動画より

📝動画を見て詠んだ俳句。野原を元気良く駆け回る豚。冒頭で、カメラは幸せそうな豚が遊ぶ和やかな世界を映す。そして、ガス室へ豚が追い込まれるシーンに変わる。同一の豚ではない。ガス室に閉じ込められた数匹の豚は苦しみ出す。

屠殺は一番最後だから、意識を失わせるために、二酸化炭素を流し込んでいるようだ。二酸化炭素は豚にはかなり不快なガスらしい。豚は直ぐに楽になる事はなく長く苦しんでやっと失神する。

私には閉所恐怖症と狭所恐怖症がある。狭いガス室を見るだけで息苦しくなる。

ほんとに中に追い入れられ、閉じ込められると、恐怖が豚達を一気に襲うはずだ。私ならそうなる。見慣れない場所でぼう然としてると何か気持ちの悪い気体が流れ込んで来る。そして、豚たちは苦しくて苦しくてのたうち回る。そんな映像をいろんな動画で見た。

これが最先端の技術か? ガス室なんて、ナチスが使ってたやつじゃないか? 人間はいつまでガス室を使い続けるのだろう?

人間の頭が全然進化してないことに、絶望感を覚える。少しでも楽にしてやろうと考えもしないことに、もっと絶望感を覚える。