長月、長い月になる🎑
仕事が決まった。
念願の医療関係の就職活動は、3回目の面接で実をむすんだ。2回は同じ会社に足を運んだ。
働くのは来月から。面接場所は他の支店だったため労力を要したが、職場はスープが冷めない距離なのだ。
ラッキー。
ただし、来月の中旬からである。
ひと月、ぷうたろー。
(ひらがなで書くと余計に情けない)
一ヶ月だけの仕事を探した。求人広告をみて短期間のアルバイトをしようにも、副業が許されているのかを聞かれた。電話で問い合わせた会社は「働く日が少なくても長く勤めてほしいから、ひと月で辞めるのでは困る」という返事だった。
今日の契約書作成時には、副業OKか確認が取れなかった。正社員で副業をしたい、という人が今まで居なかったそうだ。おばさんを雇うだけでもリスクなのに、面倒なことを言う人だ、と思われたかもしれない。
秋の空をみていたら、急に悲しい出来事を思い出した。
まだ20代の頃、官公庁の臨時職員をしていた。仕事はお茶くみ、コピー、資料作りの手伝いなど、簡単な作業だった。仕事の合間の同年代の仕事仲間とのおしゃべりが楽しかった。
職場は部署ごとに独立していて、ほとんどが男性だったが郵便を取りに行くときや、コピー室で大量に資料を作るときに仲の良い職員がいると鼻歌が出そうなくらいだった。
あるとき、年が近い既婚の女性から家に遊びに来ないか、と誘われた。いつもニコニコして綺麗な同僚だったから、断る選択肢はなかった。
週末に、お子さんが留守の時間に手土産を持ってお邪魔した。すると、私の誕生日プレゼントを用意してくださっていて、お花とお菓子でもてなしてくれた。
好きな作家の本を2冊と、後で読んでね、と手紙を受け取った。いろんな話をして、幸せな時間だった。
手紙は、帰宅してから開いた。
誕生日おめでとう、から始まって、その後に私のことが嫌いだ、という内容が書かれていた。その頃の私は、未婚で、田舎暮らしの何の資格も特徴もない、負け組のひとりだった。それでも、私のことをフワフワ楽しそうに暮らす憎らしい人物のように思っていたようだった。
何の意味があったんだろう?
?しかなかった。
生活が楽な暮らしではないのは、なんとなく察した。それならば、私の誕生日を祝ってくれたのは何故だろう。高価な絵本やお菓子を用意してくれた彼女の気持ちを理解出来なかった。
口で言えないから、手紙を選んだのだ。私は20年経った今でも、まだ思い出してしまう。
こんなに辛いことは無かった。
こちらはいまだに結婚せずに生活していて、彼女の子供たちは成人を迎えていると思う。
手紙と本は30代の引っ越しのときに捨てた。
ひとは、すごく深い悲しみや暗い思いを背負っていたりする。
私は子供が居ないことは親に申し訳なく思うが、自分の生き方がそんなに嫌いじゃない。
私の中の何かが、彼女には毒だったのかな‥‥傷つく私が見たかったのかな‥‥
今だに忘れられない。私の十字架になっている。
9月は、翌年の占い本がたくさん発行される。占い本を買わずにのぞんだ面接はうまくいった。ながいながい長月に、いろんな本に出逢おう。
言葉だけがたよりのこの書簡では、気持ちを違う意味で受け取られることがある。
でも、会うことのない人が読んでくださるからこそ、の良さもある。
こんなに長い文章を書くつもりはなかった。
最後まで読んでくださったら、感謝します。
文体が統一していないことも、ご容赦ください。
原稿用紙、3枚をこえてしまった(−_−;)
中秋の名月の日に。