短編 『 焦 』
(約1,000字)
窓ガラス越しには、暗い闇が降りてきた頃に私たちは夕食を終えていた。
「これ、すみませんでした」
エイトが差し出した封筒には千円札が畳まれて入っていた。しかも、その封筒は業務用の縦長のそれではなく、手紙を書くときの可愛らしいフォルムで、封印にはテディベアのシールが軽く貼ってある。
「ありがとう、かわいいの、ついてる」
私がシールを指して言うと、
エイトはふふっと声をたてずに笑った。
「ジンちゃん、あの人、何でもできそうな雰囲気だしてるけど、意外と料理以外のこと、ダメなんだ」
ジンちゃんが他の客に注文を取っているのをいいことに、エイトは小声で教えた。
「ミドリさんに渡してもらうのはいいけど、封筒を仕舞い込んじゃうかもしれないから、その辺にあったソレ、貼っといた。かわいいでしょ」
エイトは頬杖をついて、リラックスしていた。碧色のカフスボタンが光っている。
ーうん、「くまお」みたい。
「クマオ?」
エイトがコップの水をひと口、流し込んでから目を見開いて聞く。
私は今頃、ソファにひとりでくつろぐ「くまお」を考えて可笑しくなった。
昔、誕生日に買ってもらった色が変色したところもあるテディベアだ。
「家で待ってるぬいぐるみよ。もうクタクタのヘロヘロになったクマのー」
そう言いながら、タイミングがいまじゃないか、と口を開いた。
「あの‥‥エイト‥さん」
「ハチ」とエイトが間髪入れずに言う。
口をニッと口元を横に力を入れて微笑む。
ハチは呼びにくい。丁寧に話したかった。
「ハチさん、聞いてもいいですか」
何でも、とエイトは頬杖をやめて、体の向きを変えて、いくぶん真剣な顔をつくる。
「最初に見たときから気になっていたんだけれど、そのシャツのボタンは自分でつけたものですか」
予感ではないが、おそらく誰かにつけてもらっているような、それは大切な記憶が宿っているボタンのように見受けられた。
一度、エイトは視線を外し、窓の外を一瞥した後、もう一度、コップの水を飲んだ。
小さなため息と、テディベアのシールの封筒が横たわる空間には、さっきまでの笑うだけの食事の時間を遠ざけた後悔が、私の胸に押し寄せてきた。
外気が冷えてきたことを感じたのは、あたたかい喫茶店の空気を打ち消すような私の一言だった。
節目がちなエイトの表情を、私は別の人とくらべながらその口が発する一言を時間が止まったように待っていた。
雨は静かに降り出していた。
続く
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