100人が100通り
(約1,100字)
多様性というのは便利な解釈ができます。
10人のひとがいて、10人すべてのひとを
許容できるはずがありません。
世の中に聖人君子はいません。
(いますか?私はまだ会ったことはありません)
誰かが一言、発言すれば、怒涛の如く
批判の嵐とか。
誰かが評価されれば、誰かが悔しいと知る。
男性は女性に寛容で、その逆もある。
仕事上でも感じる。
所謂、物知りで頼り甲斐のあるお局様から鋭い視線を送られる。
私を見る目が怖い。
顔が怖くなってますよ、と言えるわけがない。
彼女にかわいく擦り寄る男子が、私に親切なのを見抜いているからだ。
気が付いた視線は、外す。
敵を作らないのが、仕事上での人間関係を
拗らせないコツ。
目の前でヒソヒソ話をされても、
笑顔でやり過ごす。
noteでは、スキの数が、その人を支える。
私の軸はぶれない。
リアルでもSNSでも同じ。
過去の過ちを長いこと
腹の底に溜めておいて、気にいらない人がいれば吐き出すようなら、どんな過ちでも他人を許せない人かと感じる。
自分が信じていることを他人が同じように考えると思うのなら、お門違いです。
毎日、同じ時間に起きて、仕事をして、
ハンを押したような生活を送っているのをどう思うのだろう。
立場により、感じ方は違う。
使える時間が自由にある人が、同じようなことを繰り返し書いて、他に書くことがないのだろうとも思う。
一日、多方面に気を遣いながら
仕事から帰ってきて、まともにご飯すら
用意できずに眠ることもある。
それは、文章の質を下げる言い訳にはしない。
掃除だって、洗濯だって、休みの日まで
持ち越すこともある。
朝いちでトイレ掃除をしてから仕事に行く日は、
外気が清々しく感じられる。
そんなことでも貴重な経験。
頑張って報われない日も、
一日に一回は、仕事仲間を褒めることにしている。
自分が決めたルールを
それがイイかもしれないと思っても、
関係ない人には強要しないようにしている。
全世界の人たちが皆、
ともに手を取り合えるなら、
とうに戦争なんて起きていませんから。
苦労も、理解も、その人の礎になる。
ひとの言葉を切り取って、都合の良い解釈で
批判するのはどうなんだろう。
ネットニュースの見出しみたいで。
白黒はっきりさせたいとは思わない。
それが難しいことなんて、ずっと昔から
知っている。
だから迷いながら生きてる。
軸がブレないのと、迷いがないのとは
別のこと。
連絡を取って、対話さえ出来れば
私は人と向き合う覚悟はある。
ずっと変わらない想いを断ち切るのは簡単です。
シンプルなことなのに、なぜ
出来ないのだろう。
曖昧でいいのならば、永遠にそのままで
いいと思います。
これでまた、フォローが遠のくのかな。