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追い抜いていく優しい彼らと生きていた


(約900字)


 前回、手前味噌な記事を書いたため、しっかりと「私の思い出」を表現しようと思う


 私は「体育」が苦手な科目だった

 球技はともかく、走ることが「からっきし」だったのだ
 背筋や握力などの測定は女子の中では優れていたが、寒い冬の『マラソン大会』は毎度、頭を悩ますイベントだった

 ボイコット希望で

 田舎の小学校でも、運動会、文化祭、修学旅行・・・様々なイベントが開催された

 マラソン大会は運動会と同じく、家族が参観していいことになっていた

 寒い朝、お母さんは元気に私を学校へ送り出し、その後、小学校へやってくる

 沿道では箱根駅伝さながらに応援の地元の皆さんに混じって、お母さんが来ていた


 マラソンは女子が先にスタートし、その後、男子が一斉に走り出した

 女子と男子は、かなりの時間差でマラソンを開始するのだが、とにかく私は足が遅い

 まだ距離の半分も走らないところで男子のトップ集団が追い抜いていく

 私は息があがってゼイゼイ言っているのに対し、男子のトップのかたまりは凄い勢いで足をすすめる


 私の横を通り過ぎるとき、

 「がんばれ」、「マイペースでな」、「ファイト」、と言いながら、男子のトップ集団は追い抜いていく

 そして、折り返して小学校に近づいてゴールまで数百メートルのところで、お母さんが「頑張って、もう少しでゴールだよ」とエールを送ってくれた

 毎回、恥ずかしかった

 いつもビリかブービーの私は、惨めな気分だった

 それでもお母さんは応援に来るのをやめなかった

 マラソンが終わると、近所の方たちが「お汁粉」や「豚汁」などを振る舞ってくださった


 お母さんは「最後まで走ってえらかったね」と言って、私の惨めで恥ずかしい気持ちを和らげた


 ふだんは ろくに話をしないトップ集団の彼らにエールをもらい、母に褒めてもらえた 


 そんなマラソンを、田舎では経験した


 高校生になって、女子校だった私は
やっぱり生真面目にマラソン大会に参加した

 すると、まち中の高校での順位は、真ん中より少し上位だった


 「田舎の学校の子どもは足が速いのかな」

 夕ご飯の支度をする母に話すと、一瞬その手を止めて、口元をほころばせていた


 学生時代に優等生だった母は、私がマラソン大会を休むことを許さなかった

 でも走りきった私を、順位が悪くても褒めてくれた


 すごく昔から、いい仲間と家族に恵まれていた





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