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髪を染めて、気持ちが明るくなった日

(約1,300字)

田舎で暮らしていた私の髪は、量が多く、ヘアスタイルに苦慮していました。

それなのに、髪色や髪の長さを長い間、変えませんでした。

小学生のとき、あまりのまとまらない髪を嘆いて、美容院というよりは床屋さんに近い、
ちょっとだけ町の、でもやっぱり田舎感がにじんだお店に遠征していって、髪を切ってもらっていたのです。

そこでは、パーマをかけたスーツの女性がいたり、私より年の若い子ども達が騒いでいるような美容院でした。

「一度、思いきって、短くしてみようか」
と、いつもの美容師さんが、提案してくれました。

その当時、憧れのアイドルが顔の周りにクルンとドライヤーで大きくカールさせたような、小顔だから映える髪型で、歌番組に笑顔を振りまいていました。

週刊誌やアイドル雑誌には、聖子ちゃんや明菜ちゃんが、ヘアスタイルの特集を組まれたりして、キラキラして眩しく光っていました。

小学生でも、顔のパーツはまったく違うにも関わらず、冒険したくなってしまった昼下がり。私は小さく頷いて、聖子ちゃんカット風に挑戦しました。

切ったばかりの髪型は、カールしてもらって、若干、垢抜けて見えました。

ところが、一度、シャンプーしたら、みるみるうちに、ただの『ライオン丸』になりさがってしまいました。
とにかく毛量が多い私は、ドライヤーのクルンと髪を巻く技術を小学生中学年には獲得していなかったのが、地獄の始まりでした。
小学校の廊下で、後ろから声を掛けられた名前は、男の子の名前でした。

「うわっ、ごめん、◯⬜︎君かと思った」

と思いきり、笑われたのです。

そのときから、全く、髪を短くしようと思う日はなくなりました。

中学生になり、高校生になっても、三つ編みで大量の毛をごまかして過ごしました。

大人になっても、下手に切ってしまうと、重さで落ち着くものが、広がってしまうので、必ず結んで、シュシュでまとめる髪型から変わる日はありませんでした。

社会人になり、茶髪が流行り出して、世の中的に黒髪が珍しくなる時期がきました。
今はまた、ファッションの流行で黒髪も取り入れる人がいますが。

私はリストラに遭った後くらいに、長年の黒髪を、栗色に近い髪色に染めました。

明るくなった髪を照れ臭くはありましたが、気持ちが明るく晴れたような快感を覚えました。

「性格が明るくなったみたい」
と、まわりから、よく褒められました。

悪っぽくみえない、という言葉にスキップしそうな自分がいました。
茶髪=ヤンキー、みたいな田舎特有の風潮を脱却するのに成功した実感がありました。

封建社会の縮図のような田舎の家で、私はようやく窮屈な和装の女性のイメージから逃れられた気分でした。
着物を着て生活していた訳ではありませんが。

今でも、長い髪からは卒業できていません。
変わったのは、A型には思われなくなった性格と、カラー剤が白髪染めに変わったこと。
美容院に行く頻度が多くなり、後ろで簡単な三つ編みをしていること。

美容師さんからは、年齢が高くなるにつれて毛量が減ると言われましたが、なかなか人並みになるには時間がかかりそうです。

美容師さんの技術で、髪の量は中を梳くことで減らせました。
髪色は、少し明るい茶色です。
性格は人見知りをしていた子どもの頃より、
ずっと明るいままです。






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