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ひとの不幸は何の味だろう

 (約800字)



 面白い本を読んでいる

 noteでは色々な書籍を紹介される記事を見かけるが、私は自分の本棚を見せられない

 これは不愉快に思わせたら申し訳ないのですが、衣類の下に身につけるモノを披露している気持ちになってしまうからで‥‥

 そうは言っても、紹介したくて仕方がない本は何回か書いている


 色々なジャンルの本を沢山、読んでいるのなら堂々と紹介できるが、書籍については「食わず嫌い」

 有名な賞を取った本、映画化された原作、誰もが好きそうな脚本家などの本でも、恥ずかしいくらい読んでいない

 いま夢中になっているのは小説を書くための新しい分野の勉強になりそうな本で、何に興味があるかも説明が下手になりそうだから書きたくはないのだ


 本に関しては、かなりの偏食になってしまったので、店頭に平積みになって売れている面白い本でも滅多に手を出していない


 そんなことだから、哲学書を読んでも人間が出来てないのでしょう


 介護の仕事をしていたときの先輩が、話したことがある

 「誰にとっても、その人にしか分からない痛みがあるんだよ。痛みは見せることが出来ないから度合いは想像するしかない。それは、自分自身には無痛でも、誰かにとっては死ぬか生きるかの痛みかもしれない」

 
 いろんな人が執着心を恥ずべきことと書いていて、人間が出来ていない、愚かだと見苦しいイラストまで載せて、揶揄する


 私にとっては自分が話していないことを書かれた記事は、死ぬほど嫌悪感を抱くものなのだ


 書くことは、人の記憶に残ること

 デジタルでは、拡散されること

 noteでは、書いたもん勝ちだということ


 否定しないで恥を放っておくのは、私の痛みなんだよ


 私は「こども」でいい

 口を押さえて笑う絵文字で馬鹿にするような人間ではないから、年増でも大人の精神は持ち合わせてないですよ


 私は自分が楽しいと思うことを毎日、探して行動している

 リアルでは友達とバカ話をして、家族とふざけている


 他人の不幸は楽しいのかな


 私は滑稽ですか


 嘘をつく人に散々な目に遭いました


 泣いたり、笑ったり、怒ったり、 
子どもの頃から ずっと変わらないんです











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