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『面倒くさい』と『大変』の隔りを思い知る
(約900字)
病院へお見舞いに行った
どんどん病室へと歩くその人には追いつけない程、私の歩みは遅かった
「リハビリは、歩くのと筋トレなんかをやってる」
と入院患者のわりに明るい笑顔を見せた
いつも私は周りの人達から励まされている
〜こんなことじゃダメだ。
次は、私が元気になる番だ〜
そんなことを考えて病院を後にしようとした矢先に、先日検査をした病院から電話がかかってきた
来週 再診予約をしているのに、検査結果を伝えたいので来られないかという内容だ
その足で電話の病院に向かい、きょうだいが一緒に診察室に同行してくれた
結果は案の定、心配していた病名を医師から告げられた
検査結果の数値が悪すぎて、私は基準値の数百倍を超えた数字を見て、思わず笑ってしまった
「あぁ、これじゃあ痛かったわけですね」
私もこういうときは、悲しみよりも納得した安堵感が強いのだと頭で理解できた
先日いただいた薬は効果が強すぎて、説明する薬剤師が眉をひそめるくらいだった為、長い期間服用することが出来ない
服用し続けると、別の副作用で体調の変化が起こるそうで元気になっても安心できない
もう一度、検査をして、別の薬を使っていいかどうかを精査することになった
私の痛みに付き合ってくれていた家族は、人前では泣かない人なのに、待合室の長椅子で大きな目から涙がこぼれていた
原因不明の痛みの正体が分かったからだった
「今は薬が効いているから平気だよ」とその場で手足を曲げ伸ばして見せて、感謝の意味で頭を撫でた
自分のために泣いてくれる人がいるのが嬉しかった
帰宅してから汚れが気になっていたスニーカーを洗い、洗面台を掃除した
腕の痛みが強い間は、『大変』で掃除道具を持ち上げることが出来ないでいた
体調に問題がないときは、『面倒くさく』て先送りにした日があっても、数日のうちにスニーカーを洗浄していた
『大変』なときは、不可能なことがある
『面倒くさい』は、可能なのにやらないだけだ
自分に甘えていたことに気づいて、『面倒くさい』だけは幸せなことだと思った
薬の効果は夜遅くには切れてしまい、朝は20分ほど動けなかった
治療すれば良いだけ
『大変』なことは『面倒くさい』うちにやっておこう
私を信じて泣いてくれる人のために、もう一度、しっかり働いて稼げる日を目指して、笑っていようと決めた