noteの自分、素の自分
(約1,000字)
ひとには「多面的な思考で生きる」という生き方があります
それは自己防衛本能とか、危機管理能力とか、いわゆる保身のための術です
私は「これが正解」とnoteでの記事には書きますが、本音は「ほんとにコレ、正解でいいの?」という、脳内で小声で聞いてくる自分もいて‥‥
迷いの中の『note的本音』を書いています
これ、表向きな自分、
こう思ってもらいたい願望もはらんだ肯定的な自分。
ひとは、自分が「こう在りたい」と願うアイデンティティを持っています
それは「理想的」であったりする
本音も、もちろん、その傾向はあるんだけど、ず〜っとそのテンションではない
だから、捻くれた自分もいる
ブラックちび蔵
が、それ。
一本、通った信念があって、
「誰かを幸せにするために書く」
「ためになる言葉を使いたい」
「他人の書く場所を守りたい」
これって、裏を返せば、
「私にとって、居心地のいい世界」を手にいれたい、ってことに他ならない
みんな矛盾を抱えながら生きていて、素の自分を「ありのまま」出している風に見せて、
割とカッコつけてる
時々、いるでしょ
「実はリアルな私は◯◯なんだよね」
っていう自慢、ぶっ込んでいる記事
それって、文脈や文章の内容からは想像できない「自分」を想像してもらいたい願望
ほんとは「こうなんです」っていうの、
読んでる側は萎えるんだけど、
まぁ、人間、
思われたい自分を作りたがる生き物
私はフォロワーさんが誰かに嫌なことをされたら「許さん!」って思うけれど、
自分自身が辛いとき、
「私のことも守ってくれよ」って、
内心は思う
ブラックな自分も、
noteによく見かける「優しいnote♥️」って謳って書いている人も、
おそらく
一皮剥けば、中味 もとい、中身はそう変わらない
表現が違うだけで、腹の中は重複してる部分があるかもしれない
見せ方 の違い
書き方 の違い
それぞれ、
語彙の量、頭の回転の違い、経験値で得た筆力、特化した専門性、
などなど、違いは人の数だけある
noteの自分は、けして 素の自分とは
大きくは違わないけれど、
突然、過去の自分に否定的な考え方が頭をもたげることもある
感情は見えづらいから、他の人の気持ちを知りたいんだよ
その思考に惚れたり、軽蔑することもある
だから、継続的にその人の記事を読み続けなければ、誰かの思考は理解できない
面白いでしょ、文章は書くときの気持ちで左右される
日中、おそろしいくらい泣いていたけれど、いま、ちゃんと自分の考えは書ける
恐れることはありません
noteの表面に出る自分も
素の自分も、
しっかり愛してやればいいんです