思い出の中の私はいつも子ども
( 約800字 )
私は小さかったころに、叔母さんを母親と思っていた。
同じ部屋に寝起きしていたのは、祖母だった。
同じ屋根の下に住んでいた母は、
年子の弟を世話するのに忙しくて、私(長女)を父の妹に面倒みてもらった。
私の幼いときの記憶には、叔母さんと、叔母をお母さんと思っていた私と、おばあちゃんの3人で構成されている。
田舎で、近くの家には子どもが居なかった。
当時としては婚期の遅い30歳代に、叔母さんは結婚した。幼い頃の私は母親の存在が突然、消えた。
保育園にあがる頃、お母さんが接してきたときには少し混乱した。
家の中では、おばあちゃんが一番近くにいる存在だった。
春になると、庭の片隅に毎年「雪柳」が咲いた。
早春に枝垂れるように咲く花が、無数につく。枝の様子が柳のように見えてその名がついた落葉低木。ひとつひとつ小さな可愛らしい花が付き、大きな花の束が垂れる。
それを親指と人差し指を輪っかにして、ぎゅっと片手で押さえて、輪っかの右手を枝先までスライドさせた。
沢山の白く小さな花びらが手の中に集まってきた。そうして、空に向かって放り投げる。
パラパラと風に舞う「雪柳」の花びらが、本物の雪のように見えた。
私は春先に咲いた雪の結晶を、何度も何度も楽しんでいた。
「何をやってるんだね。駄目だよ。
お花がかわいそうだよ」
と、おばあちゃんは私の手を取った。
「毎年、この木には花が咲くけれども、この花はね、一回しか咲けないんだよ」
私は、ごめんなさい、と小さく謝った。
しごいて沢山に散った花びらが、そのときは一回しか咲かないことに気が付かなかった。
そのときから、生きた花を大切に愛でることを覚えた。
花も人も、その一輪は、その命だけ。
おばあちゃんが怒ったところを殆ど見なかったけれども、その雪柳の花吹雪のときだけは、私を優しくたしなめた。
生命は大切だと肝に銘じた日だった。