好まれない記事を書いてみます😓
おはようございます☀
読んでもらいにくいと分かりながら、書いてみます。
最近、出会った苦手な人です。
好きなモノ、好きなヒトについて書く方が、饒舌に書けるのは分かっていますが、あえて嫌いな人のことを書いてみよう、と思いました。
他の人の間違いを見つけて、喜ぶ人。
他人の失敗を笑う人。
他人が評価されると、良い行いをさせない努力をする人。
自分が間違いに気がつくと、猫撫で声で媚びる人。
優しい声で対応して、仕事が済んだらその後は対象者を全く気にかけないでいる人。
他人が評価されると、目も合わせないで「見てませんよ」という態度に出る負けず嫌いの人。
人を見下す人。
↑コレ、全部同じヒトのことです。
なかなか出会えません。
出会った中でも、クズ中のクズですが、あまりに酷くて雑談などプライベートな話はしないことにしました。
まず思ったことが、
「こんな人が母親じゃなくて良かった」
という感情でした。
家族の影響、母親や父親の考え方、育て方は、子どもに出ます。
私は他人を助けるのが趣味のような父親の背中をみてきたので、人に親切にする気持ちは当たり前のことと思います。
不自由な誰かのために手を貸すのは、自分のためでもあります。
ことばは悪いですが、自己満足。
昔、友達から、私は偽善者だ、と言われました。そう言えば、その友達は気が済んだのですから、受け入れました。
評価のための行いが美しく見えても、実はそれだけのタメなら、醜い心を見せているのと変わらないと思うのです。
だから、フリをしていると、良い行いは「いいヒト」の評価になります。
優しいフリ、親切なフリ、穏やかなフリ、賢いフリ、‥‥‥そのフリは、その人の人格になってゆく場合もあります。
私は偽善者と思わずに、当時は行動していましたが、その友達とは家庭環境も違うし、分かり合えるわけがないと思いましたが、今は、そんな本音を言ってくれたその友達には感謝しています。家族の次に病気を告白したのも、その友達です。
年齢は、ひとまわり上です。
誰に出会っても、その嫌いな感情も、勉強にはなります。
苦手な人は、社会人になると「避けられない状況」を生みますが、せめて自分は正しく生きようと思い直します。
こうはなるまい、
という対象にならないよう、
また会いたい、
と思ってもらえる人になれるよう、
行動しよう
強く願った朝です🌈