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小説と思いきや

(約1,100字)



 「つまらない人間になってはいけないよ」

 そんなことを言う人は、大きな屋敷に住んで、4つのマンションを所有する大泥棒だった

 「ひとの一生は、やった事だけが財産なんだ。死ぬときに全部抱えてあの世には行けないんだから、その瞬間に思い出すことが幸せなら、その人生は成功したってことさ」


 へー、と心の中ではその哲学的な台詞に深く頷いていたが、その人の行いは窃盗なのだから、死に際に何を思い出すのかと考えたら薄紙のように浅い人間の底を笑うしかなかった


 「言う事」と「やる事」が一致していないと、ひとは信用を得られないものです

 どんなに丁寧な言葉で文章を書いても、誰かの気持ちを台無しにするのなら「思いやりがない」行いと見做されます

 私はそういう人柄の人と仲がよい人も苦手です

 『同じ穴の狢』だから



 昨日は夕方、病院に行って来ました

 足の裏に2㎝大の剥がれがあって、痛くも痒くもなかったけれど、悪い病気ではないかと心配になりました

 「毎日、1時間くらい歩いているんですが、今日、こんなになっていてビックリしちゃって」
と正直に話しました

 先生はビニール手袋をして、ピンセットと小さなハサミを使って剥がれを切り取ると明るい顔で私を見ました

 「水ぶくれは出来ませんでした?
痛みもないんですね、歩き過ぎて皮がこうなっただけですね。水虫の心配、しましたか」

 私は、まさにその通り、水虫の心配で皮膚科の門を叩いたのでした

 私が頷くと、先生は

「違うと思いますが、水虫かどうか見てみますよ」

 と患部を削って、看護師さんに顕微鏡にセットするように足の皮を渡しました

 私は病院に行って「病気でない」という保険を担保したいのだと思い、だんだんと老人が病院に通って、待合室でのコミュニティを楽しむ気持ちが分かる気がした


 みんな安心を欲しいんだな と


 不安は「分からない」でいる心で、それを晴らすためには誰かを頼りにする

 医師だったり、看護師だったり、ご近所さんだったり

 原因を探って分からないままでいるより、それを解決できる人に頼るのが、苦しみから解放される近道になります

 人間の苦痛は、「分からない」という謎を持つことで、知識を得たり、正体が判明したら、それを怖がる必要がなくなります

 分からないモノを頭の中で捏ねくり回しても、解決にはなりません


 クリーム色のカーテンの仕切りの隣りで、次の患者の診察が終わるのを待ち、それが済んでから、私の足の皮の結果が出ました

 診察室にいざなう看護師さんの声に私は先生の机の前に座り、顕微鏡から戻る先生の一言に安堵しました

 「水虫の菌はなかったですね。
保湿はした方が治りがいいので、クリームを出しておきますか」

 というわけで、歩いて皮が剥がれただけでした





10月18日の夜空













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