音楽で食っている。

幸いなことに当時DUTY × カクマクの制作でお世話になったイガルー・サウンドスタジオの厚史さんから音楽ソフトProtoolsでの録音と編集のやり方を教えてもらったお陰で、ちょこちょこ他のミュージシャンのアレンジやCD制作の仕事が入るようになっていた。

はじめはそれで食えるようになるなんて思っても見なかったが、今実際自分はそれで食っている。食えるようになるまでの10年間は色んなことがあった。

フリーになった始めの頃、東京帰りの若い音楽クリエイターに誘われて、彼が起業した音楽制作の会社に立ち上げから参加した。

そこで打ち込みでのアレンジを勉強しながら沢山の仕事をこなした。今も毎月の固定収入になっているBGMのアレンジの仕事はその時にスタートしたものだ。

ちょうどそのタイミングで地元読谷村にラジオ局FMよみたんが立ち上がることになり、僕はその全てのジングルとテーマソングのアレンジなどを手がけることが出来た。これは大きな実績となった。

今でもFMよみたんは音楽ライブラリーの管理担当として週に一回数時間ほどスタジオに行っている。これは生活収入のベースというよりは地域貢献というか、ふるさと読谷村への恩返しのような気持ちが強い。しかしそのお陰で、140名以上のボランティアパーソナリティーが終始出入りするFMよみたんを通して多くの出会いがあり、そこからいくつものアレンジの仕事にも繋がっていった。

音楽制作の会社では事業拡大のため、通常業務と平行して、メジャーレーベルのコンペへのトライや、取引先への企画プレゼンや広告代理店への営業なども担当したが、これは本当にしんどかった。

精神的にも体力的にも限界で、生まれてはじめて朝会社に行かなきゃと思うのに体が金縛りのように動かず、涙だけがぼろぼろ出て来るという状態を体験した。うつの手前だったと思う。

この時、27歳。音楽本当に辞めようと思った。

続く

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