引き際を間違えた話
夢みたいな状況は長く続かなかった。
アルバム契約があと一枚残っている状態でスタジオでプリプロに励んでいた時、唐突にそれは終わりを告げた。
先月の活動費が振り込まれてないんですけど、と経理の人に確認の電話をかけたところ、「あなた達は先月いっぱいで終わりって社長が言ってたよ」と告げられ、そのままなし崩しに僕らの契約は打ち切りとなった。
具体的な枚数は教えてもらえなかったが、おそらくCDの売り上げは「カーミヌクー」の時と同じか、もしくはそれを下回っていたかもしれない。自主制作ならば上がりが出るが、レコード会社からとなると、関わっている人数もコストも比べ物にならないくらい多い。莫大な宣伝費もかけてる分、何倍も売らなければいけないものだった。
だがそれは叶わなかった。二年間の俺とカクマクの全力を費やした作品は「売れなかった」という烙印を押され、僕たちの希望と自信を粉々に打ち砕いた。
普通ならばそのタイミングがいわゆる「引き際」かもしれない。
就職をせずに本気で専念したミュージシャン生活が終わりを告げると同時に多くのバンドは解散する。
僕ら2人の運命はそこで分かれた。どっちが正しいかなんて答えは無い。
相方のカクマクは「音楽を仕事にしない」という道を選び、別の仕事で食いぶちを立て、アーティストとしてお金のや会社の制約にとらわれること無く自由に自分の音楽表現を追求する道を選んだ。
僕はそこで「音楽で食う」ことにしがみついた。エンターテインメントとしての商業音楽、CMや楽曲提供、音源制作やイベントの裏方など、音楽の範疇で食う道は実はいっぱいある。でもそれは「アーティスト」とはほど遠い世界。それでも僕はなんとかミュージシャンを続けたかった。
続く