ソロでやると覚悟を決めた話。
隙間産業を見つけて、やっと音楽での生活が少し安定し、そろそろ自分の作品を形にするかと思っていた矢先、3.11東日本大震災が起きた。
沖縄にも津波警報が出て、子どもたちを連れて避難した公民館で、リアルタイムで見たあの津波の映像は一生忘れない。
3.11以降は生死感が変わった。未来に執着しなくなった。何十年も積み重ねてきた人生の積み木が一瞬で崩れるなら、未完の無念で終わるより、積み木を積んでいられる今この瞬間に感謝して日々全力で楽しく生きようと思った。何時死んでも後悔しない生き方をしようと思うようになった。
それまではバンドという過去の栄光の亡霊を追い続けていた。しかし一緒にやりたいというメンバーは見つからず、曲のデモばかりたまっていく。ライブは弾き語りのみ。そんな今の自分を受け入れて「ソロでやる」と覚悟を決めたのが2011年。実に「カーミヌクー」から10年の時間がかかった。
膨大なストックの中から、ソロでやると決めた瞬間に、今出来ることと出来ないことが明確になった。必然的に誰かと一緒にやらないと完成しないバンドサウンドのミクスチャー路線や沖縄色のある曲達は後回しになり、既に曲として一人でも成立している弾き語りの日本語のポップス達が残った。
歌ものポップスのソロアルバムなんかはおっさんになってから出せば良い。若いうちはロックだラップだ沖縄ミクスチャーだ。これを世に出さずに死ねるか!ずっとそう思っていた。だから2003年に弾き語りのライブを見たメジャーのレコード会社の方から「今度うちで沖縄版の森山直太朗を探してるんだけど、君なってみないか」とお誘いを受けた時、受け入れられずその反動で音アシャギとSouth天加那志のデモを作ってしまった笑。
それからだいぶ遠回りして2012年、僕が弾き語りのみでやってきた歌ものポップス曲を中心にした1stソロアルバム「新しい世界」が完成した。
1st「ソロ」と銘打っていたのは、今は一人だけどいつかバンドに戻りたいと思っていたから。でもそれから五年間一人でやり続けて気持ちの整理がついた。次出すのは知花竜海の「2nd アルバム」だなってこと。
続く