自殺未遂直後の女と乾杯した話
最近世の中がやたら閉塞しているように感じる。というのも僕の虹彩に自殺や死という文字がやたらとよく写るようになったし、実際知人が何人か消息を絶った。携帯が止まっているだけだと信じたいけれど、携帯料金の未払いが発生する頃にはもっと酷い状況になっていることの方が多い。
最近は僕のDMにさえも死にたい消えたいという内容のDMが溢れかえっていて、年の瀬からはその方面に絞って返信をしていた。今まで内容がこんなに極端な偏りを持つことはまずありえなかった。12月30日から1月4日までに届いたDMは数えてみると400件を超えていて、そのうち300件ほどは何らかの形で悩んでいて死にたいとか消えたいとか言っている僕と同じか、僕よりいくつか若い同世代の人間だった。
「こいつ、本当に死にそうだな」というのは文章の温度感でなんとなくわかる。実際はその日以降コロッと元気になったりもするからあまり目を掛けたりしないけれど、新年早々届いた一通のDMで僕は家を飛び出した。自殺しますと宣言されるよりもずっと血の気が引いた。
僕は2年ほど前に全く仕事が見つからず、金もないし自殺しようと思って横須賀の海に飛び込んだ話を別の記事に書いていたのだけど、まさか真似されるなんて思っていなかった。急いで指定された駅に向かう。一時間ほどして改札を抜けると誰がDMの送り主かすぐにわかった。酸素の薄い水槽で飼われている出目金みたいに濁った眼をした女がただただ立ち尽くしていたからだ。ユニクロで替えの服や下着を数枚選ばせたあと、スタバに入ってコーヒーを飲ませると彼女は初めて口を開いた。
「いやあ、死ねなかったです。」
色々思うことはあったけれど、僕は黙って彼女を見つめた。すると堰を切ったように身の上を話しはじめた。明日生きる金がないこと、クリスマスに彼氏に振られたこと、予約したケーキを川に投げ捨てたこと、渋々メンズエステで働いたけれど大して金にならなかったこと。
そんな話が断片的に一時間続いた頃、彼女の口から腹が減ったという言葉が出た。お金をいくらか貸して解散してもよかったのだけれど、このまま帰したら彼女はその足でまた自殺するという妙な確信が僕の中にあったから、一緒にご飯を食べに行くことにして近場の定食屋に向かった。
定食屋には正月だからか数量限定で雑煮があり、そういえばまだ世間は平和な正月なのだなと思った。雑煮をふたつ、ハムカツ、唐揚げ、あとは能天気に生ビールをふたつ頼んだ。未遂に終わった自殺に乾杯。
食べ終わるまで僕らは何も話さなかったし、食べ終わってからもほとんど何かを話すことはなかった。腫れ物に触るような扱いをしたわけじゃない。ただ言葉の選択を間違えたら彼女が簡単に死んでしまう気がしただけだ。
「ありがとうございました、お腹いっぱいです」
店を出ると彼女はそう言った。お腹がいっぱいなうちは死なないだろう。少し安心して彼女と駅まで歩き、改札で別れた。
あれから今日まで数日、彼女からDMの返信はない。少しだけ貸したお金を返す目処が立たなくて後ろめたいのかもしれない。今度は本当に死んでしまったのかもしれない。僕にはわからないけれど、またあなたと乾杯できますように。
甘いもの食べさせてもらってます!