2021
2021年の幕開けとともにわたしを考えさせる三つの言葉
「普通」「幸せ」「貧困」
最寄り駅へ向かう年の瀬の朝
道端で20年ぶりに声を交わした同級生は
「普通」ではないその人生は「幸せ」なのか
という問いをわたしに投げかけてきた
そして統計で計算される数字によると
将来設計を描くことなく40歳を迎えてしまったわたしが大黒柱である我が家は相対的「貧困」世帯に定義される
20年違う世界を歩んできた同級生にとって普通ではないと感じられるこの人生がわたしにとっては普通であるし
不幸せという自覚は微塵もない
そして夫の母国での暮らしを思えば
日本の相対的貧困世帯の暮らしにはありがたさしか感じない
相対的貧困を絶対的貧困のものさしで語るわたしの視点がずれているのか
相対的貧困世帯であることの影響を最も受けるであろう我が子が
今後どのように感じ どのように生きていくのか
負の感情しか生まれないのであればそれはわたしの責任であるから
同じ轍を踏まないように できうる限りの選択肢を提供できるように
親としてより努力していかなかければいけない
こちら側の視点で良いと思っているものが
向こう側から見ればこのままでは良くないものである可能性
自己肯定感の問題なのか 貧困問題なのか
親である以上
自分自身がこれで良いと思っているだけではだめなのだろうか
答えのない問いに始まる2021年