もし明日死んでしまったとしても
朝起きた時はなんとか無事でいられるのに、昼になり陽が傾いて夕方になってやがて太陽はおやすみして夜になって、その頃にはもう自分とさよならしたくなってくる。
私にとっての一日は死へ向かう一日だ。毎日毎日、飽きずに変わらずに。
夜を越えてやがて陽が昇ると、ようやくもう少しここにいてもいいかなと思える。
死ぬ、ということは怖いけれど、ここではないどこかに確実にいけるという面では、とても魅力的だ。
それでも私が二十一年間もこんなばかげたチープな世界に鼓動を刻めるのは、死ぬのがとてもとても怖いから。
最近になって気づいたけれど、私の行動原理はすべて「恐怖」だ。
怖いからする、怖いからしない、怖いから逃げる、怖いから全部壊す。
そうやって生きてきて、今もまた、だいすきなひとを失うのが怖くなってる。
怖いから進めるけど、怖いから動けなくもなる。
それでも、「怖い」と言うと「そっか、怖いね」と抱き締めてくれる温もりが、辛うじて生命線である気もする。
生きているのは怖いことばかりだけど、このひとを置いて死ぬのはもっと怖い。置いていかれるのはもっともっと怖いけれど。
でももし私が明日死んでしまったら、だいすきな愛猫のひげとだいすきなひとの短い睫毛と、それから白いばらを抱かせてほしいとおもう。
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