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高齢者向けユニバーサルファッションをやめた理由2


間違った概念モデルが形成されてしまった

 「なぜ辞めるのか?」皆さんが一番気になっていることだと思います。
以前投稿した「会社もブランドも残りますよ」でも少し触れましたが、市場に間違った概念モデルが形成されてしまったからです。

???

ですよね。
どういうことかというと、皆さんは「扉」を見た時、そこに鍵穴があった場合、ここにカギを指してロックを解除して開閉するのだとピンときますよね。これは説明書を見なくても「こういうものだ」と理解すると思います。
なぜそう思うのでしょうか?
それは、すでに何回も経験しているから。
では、顔認証技術を使用したロックシステムの扉ではいかがでしょうか?
デジタルネイティブ世代やデジタルに強い人にとっては問題なく開けることができるのでしょうが、高齢者やデジタルに弱い人は見ただけでは分からず誰かに教えてもらうか説明書を見なければなりません。
この誰かに教えてもらったり、説明書を見たりするときに間違った情報を教えられてしまったらどうなるでしょうか?あるいは最短の解除方法ではなく、必要以上に大回りをするような説明をされた場合

「こんなに手間がかかるなら、今までの鍵穴式の方が楽!」
「使い勝手が悪いから私には合わない!」

このような気持ちになって顔認証のロックシステムを選択しなくなるのではないでしょうか?
鍵の紛失の心配がない、ピッキングされるリスクがなくなるなどのメリットがあったとしても。

 高齢者向けユニバーサルファッションにおいてもこれと同じことが言えます。
衣服やファッションというのは遥か昔からあります。しかし、ユニバーサルファッションは最近のものです。
言葉の定義は以前からあったかもしれませんが、それを具現化して目に見えて実際に着用できる、しかも個人の手作りではなく一般販売されたものができたのはこの10年、15年のことでしょう。
日本の人口減少が進み、ただでさえコロナ禍前から瀕死の重傷だったアパレル業界はコロナの感染拡大によってとどめを刺されてしまった。
従来ファッション業界をけん引していた若い人たちは3000円以上は高いという認識で低価格帯を追わざるを得ない。また所有からシェアというスタイルの変化により、今や洋服は買わない時代へと移りつつある。加えてフリーマーケットやリユース店の”古着”ともパイを奪い合う状況である。
そこで目を付けたのが「高齢者」だ。

人口ボリュームが大きくVANジャケットやanan、non-noと共に青春時代を過ごしてきた団塊世代は良いものを見極める目を持っており、お洒落やファッションを謳歌してきた世代だ。
その団塊世代が今までのシルバー、ハイミセスの洋服では不満があるに違いない!こう考えて高齢者向けのファッションに手を出すアパレル企業は少なくなかった。
また、売り場(小売店)から「高齢者向けの洋服、介護用の洋服は無いのか?」という声が出ていたことも高齢シフトの背中を押した。
しかしその期待とは裏腹に、高齢者とは単に年齢を重ね体形が変化しただけでは済まない独特の特徴を持ち、未知の課題が山積みのマーケットであった。
多くの人は自身の成功体験をベースに物事を考える。もちろん、それは悪いことではないが当てはまらないことがあることも理解しなければならない。
既存のビジネスモデルや方程式に当てはめても答えが見出せない。
未知の課題、未知の領域であればあるほど過去のビジネスモデルや方程式に当てはまらないのである。
そのため、利用者の求めるものとは大きく乖離した独りよがりの高齢者向け衣料、高齢者向けユニバーサルファッションが市場に並び、ついには

ユニバーサルファッションとは
安くてダサい、体の良い老人の服

といったネガティブで間違った概念モデルを市場に形成してしまうという事態を招き、自らの首を絞めることになった。

徐々に出てくる”なんちゃってユニバーサル”

 各社、高齢者をターゲットとした洋服を作るにあたり高齢者の特徴、ニーズや課題(不便・不自由・不満)解決の要素を企画に落とし込む。
しかし、介護から一番遠いところにいる40代50代のMD(マーチャンダイザー)や若いデザイナーには高齢者の本当のニーズ探索やインサイトを探ることは難しい。そのため手っ取り早く業界で横行しているパクリという行為が行われる。
アパレル製品はコピーが容易で、特に表面的なカタチを真似ることはすぐにできてしまう。そして一部のデザイン(例えば衿の形やポケットの有無など)を変えてしまえば意図しない偶然の一致でありオリジナルであると主張し押し通すことが多々ある。
そもそも洋服とはディテール(パーツ)の組み合わせで出来ているためパクリ(コピー)を証明することの方が難しい。
そのため先行しているメーカー、売れているメーカーの商品を真似して

サッと作って、サッと売り場に並べ、サッと売り切って逃げる

というヤング市場に多く見られる戦略を取る企業が”なんちゃってユニバーサルファッション”を売り場に並べ始めた。
この頃は、実際の利用者である購入者も初めて経験する高齢、つまり経年による”老い”に戸惑い、前例やマニュアルのない中で「ユニバーサルファッション」という言葉に希望を見出し期待を持て購入してくれた。
しかし実際に着てみると実態と合っていないことに気づく。
「着やすい・着せやすい」と連想させるフレーズのついたタグ。前開き=介護用と言わんばかりのキャッチコピー。
今現在、洋服について悩み、戸惑っているからこそ期待して購入したものが逆に着づらい、扱いづらい、と感じた時のガッカリ感は愛情が恨みに代わるのと同じようなものがあると思う。
なぜ期待と裏腹な結果になってしまうのか?
それは表面的なカタチだけパクっているから。
未曽有の人生100年時代にあって、購入者が望んでいるのはカタチの便利さではなく”老い”に対する対応の仕方である。その中の一部に洋服があるのだ。
私も多くの商品を真似されてきた。
酷いところは弊社から商品を購入し、カタチを真似するだけでなくホームページに掲載されているブランド・コンセプトや図柄などの著作物も一語一句変えずに自社のブランド・コンセプトだといって資料を作成し、展示会は配っている状態だった。
さすがにこれは認められないため、代理人から「今すぐ止めなければ訴訟を起こす」といった旨の手紙を送ってもらった。
また、共通の知人を利用して「話が聞きたい」「企画契約を検討している」と、面会の機会を持ち話だけ聞いて4か月後に全く同じカタチ(構造)の洋服を作り、プレスリリースしていた。
・・・もう、いたちごっこだ。
私はこの状態にもかなり疲弊していった。
アパレルなんてあたりまえじゃないか!と思われる方もおられるかもしれないが、商品一点、一点に開発背景があり、これは研究の成果物なのです。
このように悔しい思いを幾度となく味わってきましたが、やはり、なちゃっては、なんちゃって。
研究や背景のないパクリ商品でヒット商品になっているものはなく、2、3年で撤退、酷いところは事業撤退・廃業となっている。 

諦められなかった日々

 前述の通り、私は高齢者の洋服(ユニバーサルファッション)を

暮らしの中のごく一部

として捉え、洋服の開発でありながら高齢者、とりわけ暮らしについて観察、洞察し、専門家に話を聞いたり、ご本人やご家族、高齢者施設のスタッフさんに話を聞いたりして研究を重ねていた。
その甲斐あってか、少しずつお客さんから「洋服を購入してからこんなことがありました」といった顧客体験(CX)の手紙やメールをもらうようになりました。
面白いと思ったのは、同じ商品でも人によって感動体験、ドラマが違うということ。
ある人は要介護4で発話もほとんど無く、コミュニケーションが取れない状態のお母さんに、自分が子供の頃にお母さんがよく着ていたブラウスによく似たデザインモノを選びお誕生日のプレゼントとしてプレゼントしたところ、手を伸ばしてありがとうと言ってくれた。
久しぶりにお母さんの声を聞くことができた喜びと、今のお世話の形で良いのか不安だったがお母さんの「ありがとう」という言葉から、自分は間違っていないんだという気持ちになれた。というもの。
また別の人は、孫の結婚式に参加して欲しいと伝えると「着ていく洋服が無いからお婆ちゃんは家で留守番している」と参加を拒否していた。
しかし、今まで家族のために自分を犠牲にしてきた母(お婆ちゃん)だからこそ、孫の晴れ姿を見て欲しい。一緒にお祝いして欲しいと願っていたところ、大きく曲がった背中もしっかり受け止めて綺麗に着られる洋服をプレゼントしたところ、試着も兼ねてお婆ちゃんのファッションショーとなり、それを見たお爺ちゃんが孫にこっそり「可愛い♡」と耳打ちするという心温まる家族団らんのひと時を過ごし、無事結婚式にも参加してもらえたというものでした。
このようにChiarettaの洋服は少しずつお客さんとのエピソードを築き上げていきました。
同時に、大学や施設、学会などから講演の依頼も受けるようになりました。
これは、やはり研究の成果だと手応えも感じていました。
しかし、なぜか数字としては上がって来ない。
自分が売り場で接客販売している時は、私を目当てにブース(ショップ)に来てくれる、ファンになってくれる人もいるのにバイヤーを通して卸販売をしたものには全く数字が見えない。
何年か悩み続けて分かったのは・・・

バイヤーというフィルターを通すと熱量が伝わらない

ということだった。
ほとんどのバイヤーは商品をモノとしてしか見ていない。
当たり前と言えば当たり前なのだが、ここが既存のビジネスモデルには当てはまらない部分である。
今までのファッション業界は「あっ、素敵!」という一瞬トキメキが心を掴み、この洋服を着て素敵になった自分をイメージし、この洋服を着てどこに行こう?など一瞬でストーリーを構築できた。
それは未来に希望があるからだ。
これと同じことが同じやり方でできれば良いのだか、高齢者の場合そうはいかない。
なんといっても未来への希望が持ちづらい。むしろ、この先どのような体調の変化や病気が待っているかもわからない。いつ記憶があいまいになるかもわからない。希望より不安の方がはるかに大きい。
その不安に寄り添えるのがユニバーサルファッションでもある。
例えば、洋服のボタンを留めるのに時間が掛かたり、掛け違えることが増え戸惑うようになったら認知症を疑う人もいるだろう。
もちろん認知症は原因の候補の一つではあるが、白内障を患っている人は「目が見えにくい」という理由もある。
既製品の洋服は服の色とボタンの色、ボタンホールの刺繍の色が同じ色になっていることがほとんどだ。
白内障の人にとって、それはとても分かりづらい。そのためボタンやボタンホールを手探りで探しているということも多々見受けられる。
Chiarettaの洋服には、敢えて服とボタンの色を違う色にした配色デザインにしているものが幾つもある。
そうすることにより白内障によるものなのか、それ以外の原因によるものなのかを判断することができる。
これはほんの一例だが、このように高齢生活に溶け込み、さり気なく寄り添う洋服を幾つも作ってきた。
しかし、これらの商品をモノとしてしか扱えないとなると、やはり裏側にあるデザインの意図や熱量が利用者に伝わらない。
ファッション、アパレルと聞くと目に見えるカタチばかりに目がいき、デザイン画(絵型)や仕様書を描く人のことをデザイナーだと思っている人が多いが、高齢領域では目に見えない部分のデザイン、つまりサービスデザインが重要になってくるのである。
この点が大きなハードルとなり数字が取れないのだと気づいた。
しかし、ここを乗り越えようとするアパレル企業や商社はほとんどいなかった。
自分たちのスタイル、やり方に合致して大きな変化なく数字をあげられる商品を求めるだけなのだから。
このように、私は自分で薄々「もう、無理なのかなぁ?」と思いつつも少しずつだが事例(お客さんと築いてきたエピソードや絆)が上がってきて、世の中には必要だという実感も感じていたため、なかなかやめるという決心がつかずもやもやとした日々を送っていた。

感情ではなくロジックで「やめなきゃ」と感じて決断

 このように日々研究し、思いを込めて作った洋服が人の暮らしに溶け込み、さり気なく寄り添うことができるようになった実感を感じながらも、一方で予想だにしない壁にぶつかり超えられない状態が続いていた。

作ればパクられ、在庫を抱える日々。
もう、自分で作るのはやめようと思い、業務委託契約で企画のお手伝いやノウハウ提供をメインとしながら事業を続けてきたが、やはりクライアントもサービスデザイン自体とその重要性は理解できない。
サービスデザインとは
顧客の体験価値に⽴脚した継続可能なビジネスを実現するための⽅法論のひとつが「サービスデザイン」である。(2020年3月経済産業省)
一見するとサービスデザインとは非効率で面倒くさく、今までの成功体験が否定されるかのようにも映る。
大量生産、大量消費によるビジネスで成功を収めてきた旧来型のMDや役員にしてみれば話にならない無駄な考えだと受け止められたようだ。

このような状況(間違った概念モデルを形成される、既存のビジネスモデルから脱却できない、旧来型を維持したい経営者たち)を鑑みて私は感情ではなくロジックとして、

アパレル業界では、人に高齢者と向き合い、寄り添うことはできない。
辞めなきゃ!

と、頭と心が一致した。

動き出した教育現場-正しい理解への願いを込めて-

 2015年秋。とある出版社からメールが来た。
2016年度から高校家庭科(家庭総合)の教科書(指導書)にChiarettaの商品をユニバーサルファッションの見本として掲載したいとのことだった。
そして2016年4月から5年間、高校・家庭総合の教科書(指導書)Chiarettaの商品がユニバーサルファッションの代表例として掲載された。
2021年6月に広島の福山市立大学から公開講座での講演オファーを頂いた際に教育学部家庭科の正保先生と出会い、家庭科とは暮らしをよりよくするための学問という「正保家庭科」に触れ、二人で「高齢生活や介護について、育児と横並びで教える必要がある」と意気投合し、本を出すことにした。
数社の出版社に企画を持ち込んだがいずれも断られ、諦めずに時間が掛かっても実現できるよう動き続けようと励まし合ったその時、以前とは別の教科書の出版社が受けてくれることになった。
本の制作と同時に2024年度から10年間、高校家庭科の副教材にChiarettaの商品が掲載されることになった。
数字は上げられなかったが、教育現場から途切れることなく取り扱ってもらえることになったのは、やはりChiarettaの洋服が購入して下さったお客さん一人一人の暮らしに溶け込み、さり気なく寄り添った事例がユニバーサルファッションとしての具体例であり、サービスデザインの具体例だからではないかと思っている。
今後ますます多様化が進み、複雑で不確実性の増す世の中になり出口の見えない介護生活や高齢社会の課題解決は深刻になっていくと思う。
そのような、確実な答えが見えない状況こそデザイン思考やユニバーサルデザイン、サービスデザインの考え方で向かうべき方向性を見つけるべきではないだろうか。
次の世代を担う人たちに教育という形でサポートできれば私の努力も報われると信じています。
そして、これが私が高齢者向けユニバーサルファッションをやめた理由です。