第10話「正しいお金の使い方」
レンリルの街には木枯らしが吹きすさび、道行く人々はコートを着て身を縮こまらせながら歩いている。太陽石には季節に合わせて気温を調節する効果もあるようだ。
試験が近づくとレンリルの人々はみんな急にソワソワし始める。大丈夫、試験までまだ期間は十分にあるとタカを括っていた見習い魔導師たちも隙間時間に魔法語を暗記しようとポケットからメモを取り出し、ブツブツと口づさんで悪あがきしている。
試験当日の朝、リンは出かける準備をしていた。
「部屋に散らかっているもの達よ。あるべき場所に戻れ」
リンが杖を振りながら呪文を唱えるとリンのベッドの上に散乱している服や本、インクとペン、書類はたちどころに浮き上がって元の場所に戻っていく。
テオの言う通りこの魔法はすぐに使えるようになった。
覚えてみれば簡単なものだ。
衣類や本の端っこに魔法文字と印を刻んで呪文を唱えるだけ。本や服のような軽いものを所定の位置に戻すくらいならこれで事足りた。
「よし、じゃ行くか」
「うん」
リンとテオはいつも通り二人で試験会場に向かった。学院の入学試験は50階層、学院地区で行われる。50階層以上に立ち入りを禁止されている見習い魔導師達も試験の時だけは学院地区に入ることが許された。
「いよいよだね」
リンはテオに話しかけた。
「ああ……」
さすがのテオも緊張しているらしい。いつになく無口で、いつもの減らず口が聞こえてこなかった。
リンにとっては8ヶ月間、テオにとっては一年間の努力の成果が問われるのだ。緊張せずにはいられなかった。二人は無言で学院に行くためのエレベーターに乗った。
この日はレンリルの街中の人々が大挙して学院に押し寄せた。皆、筆記試験を受けるのだ。リンはこれだけ多くの人の中から自分が合格できるのだろうかと不安になった。
受け付けで受験票を提出すると、教室を指示されたので、そこに向かった。しばらくして試験官が現れると、試験について簡単に説明し、用紙を配って試験開始を告げた。
試験が始まると机に突っ伏して眠る人がいてリンは驚いた。彼らはただ義務だから受けているだけで試験を諦めているのだと分かった。諦めている人の多くは年配の人だった。
始まるまでは不安だったがいざ試験に向かってみるとそこまで難しくない気がした。8〜9割くらいは解けたかな、というのがリンの実感だった。
帰り道にはテオと試験の感想を言いながらドブネズミの巣に帰った。
「思ったより簡単だったな」とテオも言っていた。
1月になり試験の結果が発表された。かくして二人は試験に合格していた。
合格者の名前を載せる掲示板にリンとテオの名前があった。
「やった。やったよテオ」
リンは泣き出さんばかりに喜んだ。
テオは「ま、こんなもんかな」と余裕を気取る。
二人はそのまま協会に行って登録を済ませた。リンとテオは見習い魔導師から学院魔導師にクラスチェンジしたのだ。登録してくれたのは初めにリンの見習い魔導師登録手続きをしてくれた、学院試験は甘くないとかなんとか言ってたおじさんだった。彼はリンのことを覚えていたようだ。リンの手の甲に登録の焼印を押す時の彼の表情は心なしか苦々し気だった。
翌日、工場に働きに行くと既に誰が合格したのか職場中に知れ渡っていた。リンの働いている区画で合格しているのはリンとテオだけのようだった。その日、リンは皆に注目されているようで嬉しいような恥ずかしいような複雑な気分だった。
「ねぇ、君」
「はい?」
リンが休憩していると、年上の人が話しかけてきた。いつもテオに邪険にされている人だ。リンがテオと一緒にいない時を見計らって話しかけてきたようだ。
「学院の試験に合格したそうだね。おめでとう」
「ありがとうございます」
「まだ来たばかりなのにすごいじゃないか。一体どうやってあの難しい試験に合格したんだい?」
どうやら彼は何度も試験に落ちているらしい。それもそのはずだ。彼の手に握られているのはテリウルの杖なのだから。
「なに、簡単なことですよ」
リンは少し得意になっていた。いつになく長者風を吹かせながら教えてあげる。
「高い方の杖を買えばいいんです。そうすれば……」
「いや、それは安い方でいい。安いものを買った方が他のことにお金を回せるからね。僕にはお金の使い方に関して確かな考えがあるんだ。それよりも早く本当のコツを教えてくれ。他に何かあるんだろう?隠さずに教えてくれよ」
リンはギョッとした。いきなり否定されたからというのもあるが、それよりも以前自分がテオに言ったのと全く同じことを目の前の彼が喋ったからというのが大きかった。過去の自分が亡霊となって目の前に現れたような……。そんな気分だった。
「いや、あのですね。この場合、商品を買うんじゃなくて時間を買うという考え方で……」
「何を言ってるんだ君は。安いもののほうが経済的でいいに決まっているだろう。絶対にそうに違いない。それに考えてもみたまえ。いきなり給料が下がったり、仕事がなくなることもあるんだぞ。そうなった時、路頭に迷ったらどうするのかね。どうだい?いざという時のために蓄えが無いと不安だろう?」
「それは……そうですが……」
「そうだろう。どう考えても安い杖を買った方がいいに決まっている。それより本当のコツを教えてくれ」
(教えろって言われても……)
リンは思案してみた。この時間を稼ぐ感覚をどうすれば彼に伝えられるのだろうか。
しかしそれは無理な話である。実感を伴う知識は、実際に経験してみなければ理解できないのだ。
リンは、杖を買う時テオがなぜあんな突き放すような言い方をしたのかようやく分かったような気がした。
「おいリン!」
リンは自分の名前を呼ばれてハッとした。声の方を向くとテオがいた。
「いつまで休んでんだ。持ち場に戻れ!」
「う、うん。あの、じゃあ僕はこれで」
リンはそそくさとその場を立ち去ってテオの方に駆けていく。教えを乞うてきた男はテオに邪魔されてバツの悪そうな顔をしていた。リンは彼の追求から解放されてホッとした。
「あいつとなんか話してたのか?。」
「ああ、試験に合格するコツを教えて欲しいらしい」
「あんな奴相手にしても無駄だ。ほっとけ」
「……」
「頭固すぎんだよ。人にアドバイス求めときながら聞きやしねーし」
「…… そうみたいだね。」
「さっさと仕事終わらせんぞ」
テオは持ち場に戻ろうとする。
「テオ、待って」
リンは切羽詰った様子でテオを呼び止めた。まだテオに聞かなければいけないことがあった。
「彼が言ってたんだ。安い杖を買ったほうが経済的だって。そのほうが他のことにお金を回せるって」
「バカが!この街でこの仕事してて、杖以外何に金をかけるっていうんだ」テオは吐き捨てるように言った。
「……うん」
彼は来年も試験に落ちるだろうな、とリンは思った。
しかしリンは彼を笑う気にはなれなかった。
リンとて以前は彼と全く同じ経済観念の持ち主だったのだ。あの時テオの言うことを素直に聞いていなければ、リンも彼と同じ道をたどっていたのかもしれない。そう考えてリンはゾッとした。彼はどう見てもリンより20歳以上年上だったのだから。
リンは持ち場に戻る前に通路の窓からレンリルの街並みをちらりと見た。相変わらずこの町にはたくさんの人と建物がひしめき合っている。彼は初めてレンリルに来た時、その街並みに心踊らせた。しかし今となっては、この街には余計なものがあまりにも多くあるような気がした。
リンは学院の授業が始まる4月までの期間よく働き、よく学び、よく遊んだ。隣にはいつもテオが一緒にいた。
この時期、リンには見るもの全てが輝いて見えた。実際、これから始まる厳しい修行、数々の試練、嵐のように過ぎていく忙しい日々を思えば、この期間はリンにとって最も穏やかな日々だったかもしれない。
リンはレンリルの街を歩きながら様々な人とすれ違った。その中には見習い魔導師だけでなく、深紅のローブを着た学院生もいたし、青や黄色のローブを着た高位魔導師もいた。
しかし白いローブの少女、あの石像の前で祈りを捧げていた少女、アトレアを見かけることはついになかった。
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