第101話「貴族の誇り」
闘技場から水が引いていく。
リンは足元で砕け散っている『リドレの魔石』を顧みる。
(ザイーニ……守ってくれたんだね)
リンは魔石の欠片を拾い上げる。
「おかげで勝つことができたよ」
全ての水を吐き出した魔石は、役目を終えたかのように輝きを失って消える。
「まだだ。まだ俺は杖を手放してはいない」
声の方を振り返るとナウゼが立ち上がっていた。
リンはギョッとして杖を構える。
彼は折れた杖を折れた腕でかろうじて握っており、意識を朦朧とさせ、足元はフラフラで覚束ない。
『城壁塗装』の魔法文字がパラパラと自動で剥がれ落ちている。
それは魔力が尽きる寸前であることを示していた。
「ナウゼ……」
「もうやめなさい」
煙の審判がナウゼのそばに寄って制止する。
「もはや趨勢は決した。諦めて杖を手放しなさい。これ以上は命に関わるぞ!」
「うるさい。黙れ」
ナウゼは煙を振り払う。
「もうよせ。そんな状態じゃ呪文もろくに唱えられないだろ」
リンは一応杖を構えて警戒しつつも降伏を促す。
「このくらいスピルナ魔導士にとってはなんでも無いよ」
ナウゼはかろうじて意識を保っている状態にもかかわらず、その瞳に敵意だけは保ち続け、リンの方を見据える。
「どうしてそこまでして戦おうとするんだ」
「貴族としての誇りだ!」
リンの中でナウゼの姿が一瞬、以前親しかった人物の姿とかぶった。
以前はここにいた、今はこの世にいない友人の姿と。
(ザイーニ……。どうして)
ナウゼはよろめきながらもリンの方に近づいてくる。
「スピルナの貴族は自分達の何倍もいる奴隷を使い土地を管理しなきゃならない。反乱を鎮圧しなければならない!」
「っ」
リンは怯んだ。
ナウゼの気迫に、そしてザイーニの影に。
思わず後退りしてしまう。
「どれだけ綺麗事を並べようと、国家の礎は軍事力。血と鉄だ。軍事力なくしてどうやって領土と安全を維持できる。軍事力を担う貴族の力が弱まればやがて僕達の国もアディンナのようになってしまう。僕はやがてスピルナ軍の一翼を担うものとして、お前にだけは負けるわけにはいかないんだ!」
ナウゼは駆け出した。
最後の力を振り絞ってリンの方に突っ込んでくる。
(リンの杖を奪う。どれだけ無謀だとしても逃げるわけにはいかない!)
「うおおおおおお」
ナウゼが雄叫びをあげながら突進してくる。
今のナウゼ。
杖折れ鎧を剥がされて身一つでなお戦いを挑んでくるナウゼの背中には、国家の威信がかかっていた。
かつて国家のために戦って死んでいったザイーニのように。
リンの頭の中でザイーニの声がこだまする。
——これ以上祖国が侵略されているのを黙って見ていることなんてできない——
一方で師匠の声も聞こえる。
——手を抜かずトドメを刺すこと。それが立ち向かってくる敵に対して払える唯一の敬意だと思うから。私はそう考えて戦っているわ——
(ぐっ、僕は……)
リンは逡巡し、判断が遅れてしまう。
ナウゼはすでにリンの目と鼻の先にいた。
鉄球を作る時間も光を溜める時間も無い。
リンがナウゼを撃退するには一つしか方法がなかった。
「うっ、うわああああ」
リンは杖をナウゼの脳天に振り下ろした。
杖は常日頃彼がイメージしていたように寸分の狂いもなく彼の頭に振り下ろされる。
鈍い嫌な音がする。
ナウゼはその場に崩れ落ちる。
会場はどよめき、不安と期待で興奮を抑え、事態の行く先を恐る恐る見ている。
これから信じられないものを目撃しようとしている。
そんな雰囲気に包まれていた。
リンは正直な所、もう立っているのも辛かったがまだやる事があった。
ナウゼは気絶してもなお折れた杖を握りしめていた。
リンはそれを無理矢理ひったくると観客に見えるように掲げ、地面に落とした。
観客から歓声が沸き起こる。
審判が勝者の名前を高らかに宣言する。
祝福と怒号、どよめき、そして割れんばかりの拍手喝采がリンに注がれた。
ついに勝負が決したのだ。
リンは精も根も尽き果てて、すっかり力尽きたようにその場にへたり込んでしまう。
ぐったりとして、クラクラした頭に審判の声が響いてくる。
「魔導士ナウゼは杖を落とした。魔導士リンには2回戦に進む権利と中等クラス軍事系授業の単位が与えられる。また塔の軍団の最小単位『100人隊』を指揮するための魔道具、『ケントレアの杖』を所持・使用することが許可される」
「リンの奴。スピルナの魔導士に本当に勝っちゃった」
ユヴェンは驚きを隠せない様子で目を丸くしながら言った。
そしてそれだけ言うと彼女はすっかり気が抜けた様子でぐったりと背もたれにもたれかかる。
ハラハラしすぎて疲れ切っていた。
一方でイリーウィアは疲れなどまったく見せず興奮した様子で会場を見続けていた。
お行儀よく椅子に座っているものの、その瞳を見ればウキウキと心が弾んでいるのは誰の目にも明らかだった。
(見させていただきましたよリン。素晴らしい勝利です。あなたの機知と勇気、称賛に値します)
「アイシャ。どう思います彼のこと」
「は。奇策を用い、運に助けられたとはいえ、スピルナ魔導師と『杖落とし』をしてあの勝利。なかなかのクセ者と見受けます」
「ヘルド。あなたは?」
「右に同じく。あの立ち回り。只者ではありませんな」
「ふむ。あなたたちもそう思いますか」
イリーウィアは二人の意見を聞いて満足そうに頷く。
「私は久しぶりに血が熱くなるのを感じました。これで彼の前に塔の軍団上級士官への道が開けます。どうでしょうアイシャ。リンをあなたも所属するギルド『王国騎士団』に入隊させてみては?」
『王国騎士団』はウィンガルド王国魔装騎士団の候補生が所属するギルドだ。
そこに入隊するということは、ゆくゆく王国の魔装騎士団に所属することを意味している。
(そしてゆくゆくは彼を私の親衛隊に)
イリーウィアは魅力的な未来図にうっとりする。
アイシャは内心の困惑をどうにか隠して言葉を続ける。
「は、しかしギルドの者達が納得するかどうか。彼はウィンガルド人ではありませんし、ギルドに入りたがる者は多くいます。反発は必至かと」
「では根回しを。ギルド内の有力者を説得して地ならしするのです」
「しかし、リンが望むかどうか……」
「望む、望まないの問題ではありません」
イリーウィアがアイシャの言葉をピシャリと遮って言った。
「望ませるのです」
彼女の言い方は穏やかでありながら断固とした調子だった。
まるでこれ以上の反論を許さない、と言わんばかりに。
アイシャの額に嫌な汗が流れる。
イリーウィアの決定は、彼女がこれからリンと騎士団候補者達との間で板挟みになることを意味した。
彼女はこういった微妙な配慮を必要とする役回りが苦手だった。
しかし姫からの命令をそう簡単に断るわけにもいかない。
「いけません! イリーウィア様」
デュークが割って入る。
「リンへの寵愛ぶり。ただでさえ皆疑問視しています。これ以上はウィンガルド人の和を乱すばかり。どうか考え直し、賢明な判断を……」
「あらデューク。ではあなたが代わりにスピルナの上級貴族と『杖落とし』で戦ってくれるのですか?」
イリーウィアは邪気の無い瞳をデュークに向ける。
デュークはサッと青ざめて俯き、言葉を詰まらせた。
敗北の記憶が蘇る。
(っ。俺は……)
「イリーウィア様。その根回しと説得。どうか私にお任せくださいませんか」
ヘルドがうやうやしく跪きながら言った。
「ヘルド……」
デュークは複雑そうにヘルドを見た。
「まあ。あなたがやってくれるのですか?」
「はっ。私のような未熟者に荷が勝ちすぎる任務である事は重々承知しております。しかし私とて姫の臣下となる者。どうにかお役に立ちたいのです」
「分かりました。貴方にお任せします」
「はっ。ありがたき幸せにございます」
「では。行きましょう。彼に祝勝の手紙を書かなければいけません。デューク。彼に祝いの品をたっぷりと贈ってあげて。学院中等クラスの魔導師に使える魔道具を彼の所有できる限りたくさん送るのです。こうしてはいられません。帰りましょう」
そう言うとイリーウィアはさっさと立ち去ってしまう。
デュークが慌てて後を追った。
「全く。困ったもんね。イリーウィア様のお遊びには」
アイシャが呆れたように言った。
彼女は思わぬ重責を回避できてホッとしていた。
「ヘルド。あんたも大変だろうけど。まあ頑張りなさい」
彼女はヘルドを励ますように言った。
「なに。いつもの事さ」
ヘルドは感じ良く苦笑しながら肩をすくめてみせる。
しかしその後、自分を見ている者が誰もいなくなると、いつも通り面白くなさそうな顔をしてリンのいる闘技場の方を見た。
リンはまだ闘技場でへばっていて、係員の応急処置を受けていた。
(ネズミめ。上手く切り抜けやがったか。どうやら少しばかりお前を舐めていたようだな)
彼は敵意を込めて陰険な視線をリンに向ける。
(次はこうはいかないよ)
ヘルドはイリーウィアのために設置した席の片付けを召使いに指示すると、闘技場を後にした。
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