第99話「野戦築城魔法」
(やったか?)
リンは杖の先に手応えを感じて、今しがた叩きつけたナウゼの方を見る。
ナウゼはリンの杖が届く寸前、顔面を両腕で保護していた。
リンは自分の攻撃が思った場所に当たらなかったことに気づいたが、それでも有効打を与えられたことに違いはなかった。
トドメを刺すべくもう一度杖を振りかぶる。
しかしそれより先にナウゼが杖で地面を、『位相魔法』の魔法陣の引かれている場所を叩くほうが早かった。
地面が砕けて、光の線路が散乱する。
リンの『位相魔法』は平面でなければ維持できなかった。
少しでも地面がデコボコになれば光の線路は拡散してしまう。
あえなく『位相魔法』は解けてナウゼは束縛から解き放たれる。
「くっ」
地面が砕けた際に生じた土埃にリンが顔をしかめている隙にナウゼはその場から加速魔法で離脱した。
リンはかろうじて光の剣を放った。
十分に光を溜める時間がなかったため、短剣になってしまったが、それでもナウゼの片方の靴を切り裂く。
ナウゼはリンの射程外、光の剣にも『位相魔法』にも対応できる距離までよろけながらも引き下がる。
その上で光の線路に捕まらないよう、目の前の地面を杖で砕いておく。
観客席から歓声が上がった。
スピルナ魔導師が劣勢に立つ。
その思いもよらぬ展開に観客席は急激にボルテージを上げたのだ。
ナウゼに対して一斉に容赦ない野次が飛ばされる。
試合の結果に賭けていた者、スピルナが嫌いな者、貴族に反感を持つ者、これらの人間がこぞってナウゼを煽り、プレッシャーをかけた。
「ふざけんな!」
「どうした。相手は奴隷だぞ」
「まだやれるだろ。行け! 戦え!」
(チッ。野蛮人どもが)
ナウゼは観客席の熱狂ぶりに顔を顰める。
彼の国でも『杖落とし』は行われていたが、それでもこんな風に騒がしくしたりしなかった。
ナウゼは劣勢と客席の狂騒ぶりに心乱されながらも必死に平静を取り戻そうとする。
「大丈夫か? 棄権するかね?」
煙状の審判がナウゼのそばに寄り添ってきて尋ねる。
「大丈夫です。続けます」
(落ち着け。致命傷は受けていない。まだ逆転の目は十分にある)
「あいついつの間にあんな芸当を……」
ユヴェンが呆気にとられたように言った。
「『位相魔法』から近接格闘で急襲するあのスタイル。あれはキルギア国の傭兵魔導師がよく使う戦法ですね。リンは傭兵から戦い方を学んだのか」
デュークが意外そうに言った。
「ふむ。これは分からなくなってきましたね」
イリーウィアも見方を変える。
期待感と弾んだ心を取り戻し、先ほどまで湛えていた憂鬱気味の表情を潜め、再び目を輝かせる。
ヘルドはイリーウィアと観客の様子を見て眉をしかめた。
(ナウゼの奴、何をやっているんだか。リン如きに遅れをとるとは。奴隷に負けたとあればスピルナ魔導師の名折れだぞ。まさかこのまま終わるんじゃないだろうな)
イリーウィアの陣営が色めき立つ一方で、エミルは歯がゆそうにしていた。
「あのバカ。なんでそこで追撃に行かないんだ。相手は浮き足立っていたっていうのに」
エミルは悔しそうに呻く。
「あれほど容赦なく止めを刺せって口を酸っぱくして言っただろ」
ユインはエミルの声に耳を傾けながら無表情で会場を見つめた。
(確かに。エミルの言う通りここで勝負を決められなかったのはまずいかもな。なにせ手負いの獣ほど怖いものはないからな)
ナウゼは息を整えながら、ダメージを確認した。
(腕の装甲は完全に剥がれたな。ここに何か攻撃を受ければアウトだ)
ナウゼは腰の痛みに顔をしかめる。
(叩きつけられたせいで腰も痛めている。……靴も破損してしまったか)
ナウゼは視線だけチラリと足元を見て確認した。
先ほど離脱する際、靴が損傷しているせいで停止する際よろけた。
(これじゃあいつ高速移動に失敗するかわかったもんじゃない。機動力は諦めるしかないな。さて、どうする。火力ではこちらの方が上だが、相手の方が素早い上に明らかにカウンタータイプのスタイル。下手に近づいたり攻撃すればさっきの二の舞だぞ。どうにかリンの動きを封じたいが、さっきみたいに加速魔法を使うのはダメだ。こっちも動けなくなってしまう。その隙に『位相魔法』をかけられたら今度こそアウトだぞ)
リンはリンで形勢を整理する。
(奇襲には成功したけれど、仕留め損ねちゃったな)
ナウゼの腕の部分を見る。
彼のインナーの下にある『城壁塗装』は剥がれ落ちているはずだった。
(仕留め損ねたけれど、確かな手応えはあった。あの腕になら光の剣でもダメージを与えられるはず。光の剣でナウゼの腕を切り落とし、杖を落とせばそれで終わる)
リンの脳裏にルシオラのことが蘇る。
彼女の腕を切断した時に滴った血、そしてこちらを睨む憎悪の表情。
リンは急いでルシオラの記憶を頭から振り払い目の前の戦いに意識を集中する。
(向こうから攻めてくれればカウンターで沈められるんだけどな)
リンは自分から攻めるよりも相手の攻撃に合わせて反撃する方が性に合っていた。
しかしナウゼは先ほどからこちらを警戒してか一定の距離を保ったまま、微動だにせずこちらを見て回避の姿勢を取っている。
こちらから仕掛ける他なかった。
(機動力では優位に立った。速さで翻弄して、光の剣で仕留める)
(火力ではこちらが勝る。それなら……リンの機動力を奪う)
「いくぞ。『野戦築城魔法』!」
ナウゼはポケットから赤い石を取り出すと呪文を唱えリンの方へ投げつける。
(なんだ?)
赤い石は地面に叩きつけられて粉々に砕けたかと思いきや、むくむくと膨れ上がって砕けた場所からリンの方に向かって伸びてゆき、長大な赤い壁を形成する。
リンの機動する余地を奪う。
「あれは! 軍事系魔法の一つ、『野戦築城魔法』!?」
エミルが驚愕の声をあげた。
(塔に来て1年も経っていないのに、もう授業の単位を取ったっていうのか。いや、それよりも。なんていう展開スピード!)
リンは設置された壁を杖で叩いてみた。
しかしその不自然なほどツルツルとした平面で構成された壁は衝撃を吸収し、少しへこんだだけでまた元に戻る。
(なんだこれ? ゴム?)
そうこうしている内にナウゼはまたもう一つ壁を作ろうとする。
リンを壁で挟みこもうとして。
(ヤバイ)
リンは慌てて光の剣を放った。
「チッ」
ナウゼは呪文の詠唱を途中で止め、『物質生成魔法』での防御に切り替える。
今のナウゼは光の剣をまともに受けるわけにはいかなかった。
ナウゼが前面に鉄球を展開して視界をさえぎった隙にリンはまた加速して回りこみ、ナウゼの視界から消える。
(また見失ったか。チョロチョロ動き回りやがって。随分死角に入るのが上手くなったじゃないか)
加速魔法を使った戦闘は、戦闘機同士の戦いのように互いが互いの死角に潜り込んで背後を突くドッグファイトが定石だった。
そのため、『杖落とし』は加速魔法を使えない方が圧倒的に不利だった。
ナウゼはリンの進行した左方向に鉄球を展開しながら走り出す。
今度は加速魔法で回避しきれないため、盾を持ちながら走らざるをえない。
案の定、左方向から光の剣が飛んで来て、鉄球に当たる。
ナウゼはすかさず反転して鉄球を打ち出す。
地面が抉れる。
リンはいない。
今度はリンもすぐさま反転したようだった。
(外れか。なら……)
「『野戦築城魔法』!」
ナウゼはリンが途中で止まったと思しき場所から現在進行中の方向に向けて赤い壁を展開する。
案の定、建物に向かって今度は鉄球が飛んで来た。
鉄球は建物を破砕することなく、食い込んだ後、跳ね返される。
(闇雲に撃ったところでそうそう当たるもんじゃない。面倒だが、こうして防御しながらリンが加速する余地を削っていくしかない。必ず火力勝負に持ち込んで仕留める)
試合が始まって小一時間ほど経とうとしていた。
観客は唖然としながら闘技場を見ている。
(ウソだろ)
リンはもう何度目かになる攻撃をナウゼによって食い止められた。
(防御を崩せない。こんなに死角から魔法を撃ちまくってるのに。どんだけ戦い慣れてんだよこいつ)
ナウゼは見えない敵からの攻撃をしのぎきっていた。
彼のこの危機回避能力は、まさしく天性の勘、血の滲むような厳しい鍛錬、実戦で培ってきた経験、これらの賜物であった。
会場にはすでに10もの壁が設置されており、至る場所に砲撃痕のデコボコができていた。
まだ加速の余地は残っているものの、かなり窮屈になっており、リンは砲撃痕を縫うように移動しなければならなくなっていた。
「なんてヤツなの」
ユヴェンが唖然としながら言った。
「大したものですね」
イリーウィアも感心したように言った。
「『野戦築城魔法』は本来、敵の進撃を止めるための魔法。それを機動力を奪うために使うとは。アイシャ。彼のことどう思います?」
「スピルナの魔導師はいずれも勇敢さでは他に類を見ません。しかしナウゼは別格ですね。質量と加速度、鍛え上げられた肉体に基づく身のこなし、軍事系魔法を使いこなすセンス、そして困難な状況にも対応する判断力。いずれも一級のものがあります」
アイシャは深刻というよりはむしろ歓迎することであるかのように言った。
「いずれにしてもあのナウゼという少年。このまま順調に成長すれば、ウィンガルド王国にとって厄介な存在となることは間違いないでしょう」
(ま、戦闘に強いだけで上手く行くほど魔導師の道は甘くはないけれどね)
ヘルドが必死で戦っている二人を小馬鹿にするような笑みを浮かべる。
「このまま何も打開策が思いつかなければ、リンはいずれ『加速魔法』による高速移動を封じられ、撃ち合いに持ち込まれてしまいますよ」
デュークが言った。
「リンっ」
ユヴェンはスカートの裾をぎゅっとつかんだ。
砲撃によって床の地面が抉れる。
またリンの加速する余地が少し削られた。
闘技場は、砲弾によって削られた痕とナウゼによって構築された壁によっていよいよ加速の余地が無くなっていた。
リンの攻撃に対するナウゼの反応も次第に鋭く早くなり、ついにリンの速度に目が慣れ始める。
捕捉して杖を向ける。
(くっ)
リンはナウゼの圧力から逃れるように加速した。
「バカ! そっちはダメだ」
エミルが叫んだ。
リンが踏み込んだ場所はほとんどの方向が壁と削り跡に囲まれた場所だった。
さらにナウゼは近くの壁をずらして、リンが逃げようと思っていた抜け道も塞ぐ。
リンの加速する余地は無くなる。
(なっ。動かせんのかよこの壁)
すかさずリンのたどってきた道をナウゼが塞ぎ、退路を断つ。
『位相魔法』を封じるために目の前の地面を砕いておくことも忘れない。
今やリンは四方八方を砲弾の抉り後と赤い壁に囲まれどこにも加速して逃げる道がなかった。
「ようやく撃ち合いに持ち込めたよ。てこずらせやがって」
ナウゼは足を完全に止めて、杖を銃のグリップのように握って空いている手を杖の先に添える。
この構えは彼が連射する際の癖だった。
ナウゼは勝利を確信して笑みを浮かべる。
(ヤバイ。どうする?)
正面から撃ち合ってもリンの火力では撃ち負けることが目に見えていた。
リンは苦し紛れに鉄球を投擲する。
鉄球は放物線を描いてナウゼの方に落ちていく。
「くらえ!」
ナウゼがこれまでの鬱憤を晴らすようにありったけの魔力を込めて『物質生成魔法』と『質量魔法』、『加速魔法』を唱え砲撃を放つ。
ナウゼの放った巨大な鉄球はリンに直撃した。
「がはっ」
リンは吹き飛ばされ、削り跡に落下した。
ナウゼはさらに2発目、3発目と連射する。
リンの吹き飛ばされたクレーター付近に連続で砲弾が撃ち込まれ、瓦礫が飛び散り煙がもうもうと立ち込める。
リンの放り投げた鉄球がナウゼの元に届いたのは、ナウゼが6発目の砲弾を撃ち込んだ後ようやくだった。
ナウゼは表情一つ変えることなく、飛んできた鉄球を羽虫を払うように杖で弾く。
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