第102話「夜襲」
ナウゼは医務室で目を覚ました。
見舞いに来ていたラディアは驚く。
「ナウゼ!? 起きたのか。2、3日は意識が戻らないと思っていたが……」
(さすがの回復力だな)
ラディアはいつもながらナウゼの回復力に舌を巻いた。
完全にへし折れたはずの腕も、薬による効果もあるとはいえ、既にギプスを外して回せるようになっていた。
「ラディア。俺は……どのくらい寝ていたんだ」
「2、3時間てところだ」
「そうか。リンは?」
「まだ闘技場の医務室だろう。やつも相当のダメージを負ったみたいだしな」
「そうか」
ナウゼはベッドから起き上がると周囲に目を走らせた。
まるで武器を探すように。
「ナウゼ? 何を……」
「奇襲する。奴は油断してるはずだ。帰路を襲うぞ」
「しかし今のお前にはもう魔力が……」
ラディアに言われてナウゼも自分の手が痙攣しているのに気づいた。
魔力の器官が疲弊し、麻痺している時に起こる症状だった。
こればかりは2、3日どうにもならず、魔力を補充しても無駄だった。
「チッ」
ナウゼはラディアの腰に下げられている短剣に目を留める。
「ラディア。その剣を貸せ」
ナウゼはラディアからほとんどひったくるようにして剣を奪い、医務室を飛び出して行く。
(このまま済ませてたまるかよ)
リンは医務室で治療を受けた後、帰宅許可が出たので帰り道を歩いていた。
魔力の消耗が激しいため、帰り道では指輪を外していた。
太陽石の光が弱まり、すっかり夜の帳が下りたアルフルドの街で、考え事をしながら覚束ない足取りでヨロヨロと歩く。
(二回戦どうしようかな……)
医師によれば、回復が二回戦までに間に合うかどうかは微妙だそうだ。
少なくとも万全の状態では戦えないということだった。
しかし滅多なことでは棄権は許されなかった。
勝った以上は負けるまで戦うのが魔導競技における暗黙のルールだった。
(まあとにかく今は回復に専念するしかないか)
リンは自宅に帰るために大通りから外れて人通りの少ない路地に入る。
リンが後ろを振り返ったのはたまたまだった。
なんとなく胸騒ぎがした、としか言いようがない。
そのため剣を突きの構えにして凄い形相でこちらに向かって走って来る者がいるのを見て仰天した。
「っ。ナウゼ!? うっ、うわ」
リンは間一髪のところでナウゼの突きを躱すが、そのまま体当たりを受け、くんずほぐれつして二人で地面を転がり回る。
杖を手放してしまう。
ナウゼが上にのしかかって短剣をリンの顔に突き立てようとする。
リンは右手で短剣の刀身をつかみ、左手でナウゼの腕をつかみ、辛うじて刃が自分の顔に到達するのを防いでいた。
刀身をつかんでいる右手から血が流れる。
「なっ、何するんだ」
「お前を生かしておくわけにはいかない」
リンはナウゼの顔を見てゾッとした。
それは追い詰められた人間の顔つきだった。
「リン! お前ら何やってやがる」
テオの声が聞こえた。
彼もまた試合で消耗しており、ようやく立ち上がれるようになり、先に帰ったリンに追いついたところだった。
テオは二人の元に駆け寄ろうとしたが、ラディアが立ちはだかる。
テオに杖を向ける。
「ラディア……」
テオがひるむ。
彼はすでに消耗し切っていたが、今日、試合のなかったラディアはまだ余力があった。
クルーガはナウゼの敗報と負傷を聞きつけ、自分の試合と回復が終わった後、病室に駆け込んだ。
しかし彼が来た時にはナウゼがいるはずの病室には誰もおらず、既にもぬけの殻になっていた。
彼は医務室の担当者に問い合わた。
「おかしいわね。まだ退院の許可は出していないはずだけれど……」
(まさかあいつら……)
テオとラディアの間には一触即発の雰囲気が流れていた。
テオはラディアに遮られつつも隙あらば侵入しようとして身構えている。
一方のラディアは苦渋に満ちた表情を浮かべている。
しかしそれでもテオに向けた杖が単なるこけ脅しでないことは顔の真剣さから伝わってくる。
「お前ら正気か。こんなことをしてタダで済むと思ってるのか」
「お前には分からないだろうがな。俺達スピルナの上級貴族に負けは許されないんだよ。ましてや奴隷なんかに負けたとあっては末代までの恥晒しだ」
「だからって……」
「恥を晒すくらいならな。死んだ方がマシなんだよ俺達は」
「っ……」
テオはリンとナウゼの方を見る。
ナウゼの握っている短剣の刃は今にもリンの頭を貫きそうであった。
いよいよリンの顔に刃が届こうとした時、赤い一陣の旋風がナウゼに向かって飛んでゆく。
旋風はそのままナウゼに体当たりし、弾き飛ばした。
「なんだ!?」
ラディアが驚いて旋風の方を見る。
「見舞いに行ったのにいないと思ったらやっぱりか。なにしてんだお前ら」
「クルーガさん」
旋風の中からクルーガが出て来る。
彼はナウゼとリンの間に割って入った。
テオは消えていく赤い旋風に目を凝らす。
(今のがクルーガの『飛行魔法』……?)
ナウゼはなおもリンをキッと睨み短剣を構える。
「どいてくださいクルーガさん。俺はそいつを……」
「ダメだ。前にも言っただろ。ここはスピルナじゃない。塔の学院なんだぞ。ここにはここのルールがある。退学になりてーのか」
「っ」
「これ以上やるなら俺が相手になるぜ」
クルーガがナウゼに杖を向ける。
「くそっ」
ナウゼが剣を地面に投げつける。
それを見るとクルーガはリンの方を振り返って助け起こす。
「大丈夫か?」
「……はい。なんとか」
「悪いなリン。こいつらにはきちんと落とし前つけさせる」
「落とし……前?」
「学院のルールに則ってな。おそらくこいつらは一時的に独房行きだ」
「独房……」
「ああ、この場はそれで収めてくれねーか」
「……わかりました」
「ナウゼ、ラディア。お前らはしばらく謹慎だ。家に帰れ!」
クルーガはそう鋭く言うと、二人を伴って立ち去っていく。
「リン。大丈夫か?」
テオが駆け寄って来て心配そうに声をかける。
「うん。なんとか」
リンは放心したように返事した。
彼はいまだ、自分の身に起こったことに現実感がなかった。
「まさか帰り道を襲ってくるなんて。スピルナでは狡猾な行為が推奨されてるって聞いてたけど。これほどとはな」
「あいつ……僕を殺そうとしてた」
「ああ。これからスピルナの奴らに勝った後は帰り道に気をつけなきゃな。あいつらは血の気が多すぎる。また厄介な奴に恨まれちまったな」
(冗談じゃない)
リンは生まれて初めて殺意を向けられた。怖かった。
震えが止まらない。
スピルナ貴族の勝利への執着は彼の想像をはるかに超えるものだった。
彼はどれだけ歩み寄ろうが衝突しようが、埋められない溝、相容れない価値観もあることをようやく理解した。
この後、リンは指輪を付けてその光を常に気にしながら帰路に着いた。
これだけやってもまだ自分に襲いかかる者がいるんじゃないかという不安は付き纏い、曲がり角の度に後ろを向いて確認せずにはいられなかった。
「クルーガさん。本当にリンのやつ見逃すつもりですか。」
スピルナ人のための宿舎に着いてからラディアは切羽詰った様子で聞いた。
「当たり前だろ。退学になりたいのかオメーは」
「でもこのままじゃナウゼが……。奴隷に負けたなんてことがもし国許に伝わったら、ナウゼのやつ家にも帰れませんよ」
「それでも今は我慢しろ。焦って仕掛ければ仕留められるもんも仕留められねーぞ」
「でも、じゃあどうすれば……」
クルーガはニヤリと笑みを浮かべた。
「復讐の機会が永遠に奪われたわけじゃない。なぁに。100階層に行きさえすればなんでもありさ」
翌日、その翌日も魔導競技は続いた。
人々は熱狂して選手を応援し、競技の内容に浮かれ楽しんだ。
しかし開催される『杖落とし』二回戦の顔ぶれにリンの姿はなかった。
リンは棄権していた。
魔力、体力の消耗が激しかったのもあるが、下手に勝って貴族に恨まれることを避けたかったというのが本音だった。
貴族のメンツに対する重度のこだわりは彼の想像以上だった。
もう夜襲を受けるのはこりごりだった。
魔導競技を辞退したことで、リンは事情を知らない一部の人間から臆病者の謗りを受ける。
ラドスの4人組はそのイメージを植え付けようと積極的に喧伝した。
魔導競技は例年の如くクルーガが優勝した。
一ヶ月に渡り開催された魔導競技は幕を閉じる。
華やかな競技の舞台裏では魔導師協会がナウゼに処分を下そうとしていた。
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