第93話「スピルナの価値観」
学院の教室内でラディアットは手当たり次第生徒達にガンを飛ばしていた。
まるで目を合わせればその人間の考え方、それもスピルナとアディンナの戦争についてどう思っているかわかるとでも言うように。
一人の生徒が教室から出て行く。
リンだった。
ラディアはリンを睨みつけるが、リンは気づいてないフリをして通り過ぎる。
ラディアはリンの曖昧な態度にイライラを募らせた。
それを見るやいなや、ナタがそそくさと寄ってきてラディアットに話しかける。
「感じ悪いですよねあいつ」
「またお前か」
ラディアットは呆れたような辟易したような顔になる。
ナタはあの日以来スピルナの二人にリンのことについて有る事無い事色々吹き込んでいた。
「あっちへ行け。お前の話なんて聞きたくもない」
「そう邪険にしないでくださいよ。またリンのことで聞いて欲しいことがあるんですよ」
「それを聞きたくないと言っているんだ」
「知ってます? あいつが最近まで学院にいたアディンナ人と親しかったってこと」
「何?」
(食いついたな)
ナタは表情だけでなく心の中でほくそ笑んだ。
「アディンナへの同情論をやたらと吹聴してるのもあいつらですよ」
「あいつらが……」
ラディアが眉間にしわを寄せてワナワナ震え始める。
その様からは怒りを通り越して憎しみすら垣間見えた。
「あいつらがイリーウィア姫に奏上してから急激に広まったんです」
「ふざけるな!」
ラディアは机を叩いて激昂した。
「いい加減にしろよ。平民や奴隷なんざに戦争の一体何が分かるって言うんだ!」
自分達の武勇にケチをつけられるのは、スピルナ人にとって何よりも許せないことであった。
「噂ではあいつがアディンナに魔導具をはじめとした物資を送って援助していたらしいですよ」
「援助だと?」
「なんだかおかしいとは思いませんでした?アディンナごときを攻め落とすのに妙に手こずってるなって」
「……」
ラディアはナタにそう言われて段々そんな気がしてきた。
「困ったもんですよほんと。きっと魔導師協会によって規制されている、高位魔導師でなければ使えないレアアイテムもアディンナに送っていますよあいつ」
「まさか。さすがにそこまでは……」
「そう思うでしょう? ところがそこが奴らの狙い所ですよ」
ナタはいつも以上にニヤリと笑う。
「あいつらはスピルナの転覆を狙っているんですよ」
「まさか……あいつら如きに何ができる」
「しかしスピルナさえいなくなればウィンガルドを後ろ盾に持つ奴らの天下ですよ。少なくともこの塔ではね」
ラディアは段々リンのことが薄気味悪くなってきた。
「なにせあいつらはもともと密輸によって今の儲けを出しているんです」
「密輸……」
「ええ、レンリルとアルフルド間での密輸ですけれどね。それ自体はグレーゾーンで違法とまではいかないんですが、中には法に触れるようなアイテムも運んでいたってもっぱらの噂ですよ」
「あんな身分の奴らが塔の秘宝を……」
ラディアットは歯ぎしりする。
一方、側で聞いていたナウゼはさすがに訝しげな顔をする。
ナタは気にせず続けた。
「摘発を逃れるために裏でいろいろやったとかやってないとか」
「なんで魔導師協会はあんな奴らを放置している」
「本当僕らも困ってるんですよ。あいつらときたらイリーウィア様の後ろ盾をいいことにやりたい放題。同業他社も迷惑してるみたいで僕達の方にも苦情がわんさか届いているんです。とはいえ僕らも所詮はしがない下級貴族。いくら苦情を訴えられてもねぇ。ウィンガルドの王族相手じゃどうしようもないですよ。ここは一つ上級貴族としてなんとかしてもらえませんかねぇ」
「言われなくても……」
「本当に口先だけでなくどうにかしてもらいたいもんですね。これ以上あいつらを放置すると何をやりかねるかわかりませんよ。どうにか彼らを追放しなければ。貴族の沽券に関わりますからね」
ナタがいなくなった後、ラディアットは憤懣をぶつけるかのように杖で壁を叩いた。
壁にはクレーターができてしまう。
「あのドブネズミ共が! もうこれ以上我慢ならん」
「ラディア。一体どうするつもりだ」
ナウゼは落ち着いた声で聞いた。
「決まってる。あいつらが二度とアルフルドの往来を歩けないように、いいやそれだけじゃない。この塔にすらいられなくなるように叩きのめす!」
「あのラドス人の言うことを鵜呑みにするのか?」
「何?」
「どうも僕はあのナタとかいう奴のことが信用ならない。ウィンガルドの王族といえど塔のルールを無視するのは難しいはずだ。それもアディンナのために魔導具を密輸するなんて……」
「だとしてもだ! あいつらがアディンナの同情論を吹聴している。スピルナを攻撃するためにだ。それはどう思う」
「……確かにそれはいかにもありそうなことだが。学院魔導師への攻撃は禁止されているんだろ。すでに君は警告を受けているし」
ラディアは歯ぎしりする。
彼はすでに気に入らない平民階級の生徒と、些細なことから諍いを起こし、叩きのめしてしまい厳重注意を受けていた。
「冷静になれよラディア。この塔は思った以上にスピルナと事情が違う。平民や奴隷だからと言って無闇に攻撃すれば魔導師としてのキャリアに差し支えるぞ」
「そんなことわかっている!」
ナタはスピルナの二人を煽った後、いつも一緒にいる仲間の元に戻った。
「首尾は?」
チノが尋ねる。
「上々だ。やっこさんアディンナの件で大分ピリピリしているようだな」
「時期が良かったというわけか」
「あいつらは戦いに関しては気狂いじみた信仰があるからなぁ」
レダがしたり顔で言った。
スピルナに対する非難をしているのは、実はウィンガルド人とラドス人の学院魔導師だった。
すでに塔の上層と各国の首脳で話はついていることだが、それでもスピルナの国力伸長はウィンガルド人とラドス人にとって面白くないことだった。
学院魔導師が騒いだところで何かが変わるというわけではないが、スピルナ人をピリピリさせるには十分だった。
「おい。本当にリンとテオをこの塔から追い出せるのか」
ロークが急かすように聞く。
「まあそう焦るなって。今、火種を撒いて油を注いでいるところだ。事態をじっくり見守っていれば早晩結果は出るさ」
(とはいえ、火の粉がこっちにふりかかるようじゃ元も子もない。慎重に事を運ばなくちゃな)
「おい、リン。魔導競技どうすんだよ。もう出場締め切りまで日にち無いぜ」
学院の廊下でテオがリンに聞いた。
「ん〜。そうだねぇ」
リンは気の抜けた調子で答えた。
彼はザイーニがいなくなった喪失感からすっかり腑抜けた調子になっていた。
テオの言葉にも上の空で答える。
「出場するなら今から準備しないと。競技の練習する施設も確保しなきゃならないしさ」
「ん〜。そうだね」
「おい。リンってば」
「え? 何?」
リンは今、テオがそこにいるのに気づいたかのような顔をした。
(ダメだ。こりゃ)
テオはとにもかくにもリンを受け付けまで引っ張っていく。
「まだ決まってないならさ。取り敢えず参加申込書だけでも提出しとこうぜ。出ないなら後で取り消しゃあいいからさ」
「うん」
リンは相変わらず上の空で答える。
操り人形のように引きずられて受け付けの前まで来た。
魔導競技の出場申し込みは競技場でするのが基本だが、学院内にも出張受付所が設置されている。
リンとテオが受け付けを済ませているとそこに折り悪くラディアとナウゼが通りかかる。
ラディアは二人を見るやいなや肩をいからせ、まなじりを上げて、怒りに任せて怒鳴りながら詰め寄った。
「お前ら何をしている!」
「いけません。ラディア様」
師匠らしき黒いローブを着た男がラディアを引き留めようとする。
「どけ。お前は黙っていろ!」
ラディアがそう言うと彼の師匠はバツが悪そうに引き下がる。
ラディアは二人を睨みつけた。
「お前らまさか競技に出るっていうんじゃ無いだろうな」
「あん? だったらなんだよ」
「撤回しろ」
「は?」
「分からないのか。魔導競技はお前達のような奴らが出ていい場所じゃない」
「やなこった。何で俺がお前に気を遣わなきゃならねーんだよ」
「なんだと」
「上級貴族だか何だか知らないけどな。ここじゃ同じ身分の学院魔導師だ。俺がお前に命令される筋合いはねーよ」
「……」
ラディアは目で凄みを利かせて無言の圧力をかける。
テオも目を逸らさない。
睨み合う。
一触即発の空気になり、周囲の生徒達も声を潜め遠巻きにこちらを伺う。
「今すぐ大会への出場を取り消せ」
もう一度同じことをラディアが言った。
まるで最後通牒のように。
(ったく。これだから貴族ってやつは)
テオはラディアの様子を観察する。
顔は上気して、いまにも飛びかかりかねなかった。
我を忘れる一歩手前という感じだ。
(話は通じそうにねーな)
「はいはい。貴族様の言う通り取り消しますよ。僕がその気になったらね」
テオはそう言って立ち去ろうとする。
「貴様……」
ラディアはテオの態度を自分への愚弄とみなした。
掴みかかる。
それを読んでいたテオは軽くいなした。
それを合図に二人は互いに杖を構える。
「決闘だ!」
ラディアはテオに杖を向けながら言った。
「お前が魔導師の端くれだというのなら、魔導師の決闘で正々堂々決着をつけようじゃないか!」
「おーいいぜ。表出ろや!」
「まあまあ。二人共そんなにいきり立たないで」
野次馬の中にいたユヴェンがここぞとばかりにしゃしゃり出て仲裁しようとする。
この場を収めればラディアに近づけるという魂胆のようだった。
「すぐに杖を振り上げるなんて魔導師らしくないわよテオ。ラディアさん。あなたも上級貴族でしょう。目上らしい余裕を持ってくださいな」
「女は黙っていろ!」
ラディアは鋭く言い放つ。
その瞬間ユヴェンはニコニコして愛想よくしていた顔から急に真顔に変わる。
そして次の瞬間には優等生の顔が出てきた。
「せんせーい! ラディアット君が差別しています。問題だと思いまーす」
「ちょっ、おいっ」
ラディアが慌ててユヴェンの方に向き直る。
「やめなよ。身分の違う者同士で決闘なんてするもんじゃない」
ナウゼが落ち着き払った態度でラディアを制するようにしながら前に進み出る。
リンと向かい合う。
その視線にはかつての親しみはなく知り合ったたばかりの他人を見るようによそよそしかった。
「リンって言ったけ。イリーウィアのお茶会に参加しているらしいね。でも僕達の国スピルナはウィンガルドと仲が悪いんだ。君がウィンガルドの姫のお気に入りだからといって遠慮することはないよ」
「僕は遠慮してほしいわけじゃないよ」
「そうかい。なら言わせてもらうけれどね。魔導競技だけじゃない。僕達は君のような人間が学院に在籍していることも問題だと思っているんだ」
「なんだって……」
「君は奴隷階級出身だそうだね。学院がどうして君のような人間の入学を許したのか分からないよ」
「っ」
「貧しい生まれであることはそれだけで罪だ」
リンはなぜかその言葉にギクリとした。
ナウゼが杖を向けてくる。
「貧しい者は日々の生活のために一日中労働に縛られる。日々の生計を立てるため労働しかせず、学問と鍛錬をおろそかにする。そんな人間がどうやって知性と教養を身につけた高潔な人間になることができるというんだい」
リンはナウゼの言葉に気圧された。
ナウゼはさらに一歩踏み出す。
彼の杖はもうリンの目と鼻の先だった。
「学院の席は我々貴族階級が独占するべきだ。協会が動かないなら俺がこの手で……」
「おいお前ら何してんだ」
人混みをかき分けてクルーガが5人の元に近寄ってくる。
「クルーガさん……」
「ここはスピルナじゃない。塔の学院なんだぞ。その辺にしておけ」
「……」
ナウゼは不承不承としながらも杖を下ろし引き下がる。
彼らも同国人で上級生のクルーガには敬意を払っているようだった。
「鍛錬の時間だろ。さっさと行け」
「はい」
二人は煮え切らない表情をしつつも踵を返して去っていく。
二人が行くのを見届けるとクルーガはリンの方を振り返った。
「悪いなリン。あいつらはまだ塔に来たばかりなんだ。大目に見てやってくれ」
「……はい」
「ほらお前らも何見てんだ。とっとと散れ」
クルーガは遠巻きにリン達を見ていた野次馬に対しても怒鳴って解散させた。
「なんなのよあの野蛮人どもは!」
ユヴェンは憤懣やるかたないという様子でテーブルを叩く。
3人は喫茶店に集まっていた。
「スピルナは身分制度が厳格なんだよ」
テオが説明し始める。
「僕も実際にスピルナまで行ったことはないから聞いた話でしかないんだけれど……」
テオはテーブルの上に目を落としながら神妙な顔つきで話し始めた。
「スピルナでは財産によって身分が決められていて、一定額の納税をしているものでなければ政治の要職にはつけないようになっている。労働を卑しいものと考え、余暇を重要視する。余暇を利用して得られる知識と教養、鍛錬によって徳の高い人間になることが最良の生き方と考えられているんだ。最も身分が高いのは土地を所有し、他人に働かせる貴族階級。次いで土地を持っている農民。次に商人。そしてもちろん一番身分が低いのは労働力しか提供できない奴隷さ」
「商人も農民より身分が低いの?」
「ああ、そうさ。あの国では商売人ですら蔑視の対象。だから僕はスピルナの奴らが嫌いなんだ」
「テオは商人の家系だもんね」
「作物を育てる土地を持っていない商人と平民は凄まじい搾取を受けている。奴隷は言わずもがなだ。痩せた土地であるにもかかわらずスピルナの貴族が莫大な富を築けているのはそれほど凄まじい搾取が行われているってことさ。それがスピルナ人の塔における今の地位につながっているんだ」
「よくそんな制度で反乱が起きないわね」
「起きてるよ。むしろ年がら年中起きてる。奴隷でさえ反乱を起こしている。スピルナでは奴隷と平民階級、そして貴族の間で常に激しい階級闘争があるんだ」
「階級闘争……」
「ただあいつら戦争には強い。無類の強さと言っていい。貴族階級は本当に過酷な鍛錬を積んでるし、最新の魔道具や武器を入手することにも余念がない。それはもうどれだけ高値でも買い取ろうとする。財産によって身分が決まっているのは武器を自前で購入することが前提になっているからでもあるんだ。当然だけど金持ちの貴族は高い最新の武器や魔導具を調達できるし、貧乏人は安い武器しか買えない。やっぱり戦争で活躍するのは貴族階級ばかり。それが少数の貴族によって大勢の奴隷と平民を支配する、寡頭制を成立させているんだ」
テオは出されたお茶に少し唇をつけて湿らせてから話を続けた。
「あいつらにとって戦争は日常の一部のようなものだ。毎年起きる反乱もあっさり鎮圧しているし、それにつけこんだ外国の侵略もきっちり撃退している。それがますますスピルナ人を強くする」
リンはゴクリと唾を飲み込んだ。
スピルナの徹底した軍事国家ぶりは想像以上だった。
外敵どころか内部も軍事力で抑えている。
彼らは本当に軍事力だけを頼りに国を支えているのだ。
「ったく。なんて国なの。クルーガ様の出身国がそんなところだなんて。リン。イリーウィア様に言ってあの二人を追い出してもらいましょ。あんたが言えばきっとなんとかしてくれるわ」
「いや……それはさすがに無理じゃないかな。彼らも上級貴族だし……」
「ったく。忌々しいわね」
「ねえテオ。彼らは労働そのものを卑しい行為と考えていたようだけれどテオはどう思う?」
リンは先ほどから一番聞きたかったことについて聞いてみた。
「ふん。バカバカしい。あいつらは親の仕送り、それも祖先の遺産である土地収入を頼りにしてるだけじゃないか。自分たちで稼いでいる俺達の方が偉いに決まってるだろ。しかも俺達は工夫して学業や修行の時間も作っている。あいつらにとやかく言われる筋合いはないよ」
「そうか。そうだよね」
「君はいちいち他人の言うことに動揺しすぎだよ。もっと自分を強く持たなきゃ」
「……うん。そうだね」
リンはそう言いつつもナウゼの言葉にぐらつく心をどうしようもなかった。
リンは教育を受け、定収を手に入れた今となっても確固たる自分を持てないでいた。
彼には根っこが無かった。
ユヴェンにとっての身分、テオにとっての家業、ナウゼやラディアにとっての国家、どれもない。
次にナウゼと会ったとき堂々と彼に向き合うことができるだろうか。
リンには自信が無かった。
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