第94話「反乱の鎮圧」
リンが学院の廊下を歩いていると、ヨタヨタした足取りで歩いている初等クラスの小さな男の子とすれ違った。
妖精の入ったランプを両手で持ってヨタヨタした足取りで歩いている。
リンは彼を見て自分が初等クラスだったころの事を思い出して微笑ましく感じた。
自分も妖精をまともに扱えなかった頃はあんな風にランプの中に妖精を入れて授業に持ち運びしていたな、と。
突然、ガシャンと割れたような音がする。
リンがびっくりして振り向くと先ほどまで男の子の手元に抱えられていたはずのランプが床に落ちて粉々になっていた。
男の子の前にはナウゼとラディアが立っている。
どうやら男の子は二人にぶつかったようだった。
「あ、あのゴメンなさい」
「いいよ」
ナウゼが少しうんざりした様子でため息をつきながらも彼の落としたランプを魔法で修復して渡してあげる。
男の子は恥ずかしそうにしながら受け取った。
「次からは気をつけてね」
「あ、ありがとうございます」
「まあいいけどね。貴族なんだからもっとしっかりしなきゃ。そんな事だと君の国もアディンナのようになってしまうよ」
それを聞いてリンは頭に血が上った。ザイーニのことを思い出す。
「おい、今なんて言った」
リンは言ってからハッとした。
自分でも驚くほど冷たくて威圧的な声だった。
ナウゼはジロリとリンの方を睨む。
「また君か」
ナウゼが溜息をつきながらリンの方を向き、静かな敵意を放つ。
リンは彼の敵意に一瞬ひるんだが、今さら後に引き下がるわけにはいかなかった。
ここで謝ってすごすご引き下がれば、今後ナウゼと対等に渡り合う機会は永遠に失われる気がした。
「取り消せよ。今言ったこと」
リンは精一杯凄む。
ナウゼは杖を取り出す。
「嫌だって言ったら? どうする気だい?」
「身分の違う者同士で決闘はしないんじゃなかったのか」
ラディアが呆れたように言った。
「これは決闘じゃないよ」
ナウゼはリンを無感情な目で見つめて言った。
それはまるで目の前にいる者を自分と同じ人間とはみなさない冷たい眼差しだった。
「反乱の鎮圧だ」
ナウゼが杖を構えたのを見てリンも指輪を嵌める。
ラディアはナウゼの様子を見て止められない事を悟ると諦めたような顔をして、オロオロしている先ほどの男の子に向かって怒鳴る。
「おい、お前。さっさとあっちに行け」
男の子はビクッと震えると身を翻して駆け出していった。
「下手な事言いふらすなよ」
ラディアは立ち去って行く男の子の背中に向かってまた怒鳴った。
「リン様」
チーリンが心配そうにしながらリンに声をかける。
「ごめんチーリン。しばらく離れていて」
リンがそう言うとチーリンは渋々といった感じで離れる。
これでリンとナウゼの私闘を邪魔する者はいなくなった。
リンの指輪が輝きを放つ。
学院魔導師同士で刃傷沙汰を起こしてしまえば問題になることは明らかだったが、それでも引き下がるわけにはいかない。
ナウゼは眉ひとつ動かさずリンと指輪の輝きを杖の先に見据えた。
(なるほど。なかなか力強い光だ。『ヴェスペの剣』くらいは出せそうだな。おそらく僕の指輪魔法では防ぎきれないだろう。……指輪魔法ではね)
ナウゼが手を広げて見せる。
まるで攻撃してこいと言わんばかりに。
「!?」
「どうぞ。君のタイミングで仕掛けていいよ」
「なに?」
「反乱というのはいつも急に起こるものだからね」
(っ、バカにしやがって)
リンの指輪から光の剣が放たれる。
ナウゼを殺してしまわないように彼の杖に向かって。
「遅いよ。『物質生成・黒鉄』」
ナウゼの前に夜の闇よりも真っ黒な鉄球が生成・展開される。
光の剣は鉄球の表面を少しだけ溶かしただけで、吸収されて消えてしまう。
「なっ」
すかさずナウゼは鉄球をリンに向けて放つ。
鉄球はリンの胴体に当たる。
リンはその場に膝をついた。
「ぐっ」
「光の剣は、要するに集められた光で高熱を生み出し、対象を焼き切るものだ。光は黒色に吸収される。熱も金属に吸収される。ヴェスペの剣に鉄を焼き切るほどの威力はない。くわえて……」
ナウゼは、リンが再び指輪に光を集める前に、加速魔法を使い目にも留まらぬ速さで近づくと、自分のローブをさっと剥ぎ取って杖で巧みに操り、リンの指輪をつけた方の手に巻きつける。
指輪はすっかり暗闇の中に覆われた。
ナウゼはリンの腕を捻りあげた上で後頭部をつかみ壁に押し付ける。
「これで指輪に光を集めることもできまい」
「ぐっ」
ナウゼはリンの頭を壁に打ち付けた後、今度は足をかけて地面に叩きつけた。
うめき声をあげるリンに対して肩を踏みつけて身動きを取れなくする。
「うっ、ぐうう」
ナウゼはローブをリンの手に巻きつけた状態のまま、杖だけほどくと鉄球を生成してはリンの体に落とす。
そこからはもはや一方的に痛めつけられるだけだった。
腕、肩、足腰と満遍なくリンの体を痛めつける。
そして指。
指輪が砕ける音がした。
「そもそも指輪魔法は魔獣や通常武器からの不意打ちに対抗するため作られたものだ」
ナウゼはグリグリとリンの肩を足で踏みつけ、頭の先を杖で押さえつける。
「対魔導師用の戦いに使おうなんて愚の骨頂だよ」
「ぐっ、あああ」
「持っている魔道具の使い道も理解せず闇雲に力を振り回す。それがお前していることだ。魔獣の一匹や二匹倒しただけで満足してたんだろ。それがお前の限界だよ」
リンはどうにかナウゼの方を見ようとして首をひねり横目を彼の方に向けた。
そしてゾッとした。
彼の顔に浮かんでいたのは強い憎悪、それもリンへの憎悪ではなかった。
階級への、奴隷階級そのものへの深い憎悪だった。
「どうしてそれで満足できる。どうしてそれ以上のことに興味を持とうとしない。学院の授業のレベルが低いのは、お前達のせいだ」
「おい、ナウゼ。そのくらいにしとけ。それ以上そいつを痛めつけるとバレるぞ」
ラディアが言った。
「邪魔なんだよ。僕達は国家の将来を背負っているんだぞ」
「おい、ナウゼ」
「お前達はいつもそうだ。いつもいつも僕達貴族の足を引っ張る。大した努力もせずただ嫉妬してるだけのくせに。平等とか耳触りのいい綺麗事を言って。ただ僕達を引き摺り下ろしたいだけだろ」
ナウゼは一際大きな鉄球を生成した。
リンの頭より一回りは大きな鉄球だった。
振り下ろせばリンの頭くらいは簡単に潰せそうな大きさだった。
「おい。よせ。こいつにそこまでする価値はない」
ラディアがナウゼの肩を掴んで制止する。
ガァン、と鈍い音がして鉄球が床にめり込んだ。
鉄球はリンの頭の横スレスレに落下していた。
ラディアの制止をきっかけにナウゼの顔から憎悪が消えいつもの落ち着きを取り戻す。
どうやらこの二人は一方が自分を見失うと一方が冷静になり、互いが互いに制止と前進の役割を果たしているようだった。
「今日はこれくらいにしといてやるよ」
ナウゼは杖を振りリンの手に巻きつけていたローブを自分の肩にかぶせる。
「今後二度と貴族に刃向かわないことだね。それとこれは親切心で言うことだけれど……」
ナウゼはリンに背を向けて立ち去りながら言った。
「君に魔導師の才能はない。さっさとこの塔から立ち去ったほうが身のためだと思うよ」
ナウゼ達が走り去っていく足音が聞こえる。
リンは一人そこに取り残された。
「くっそぉ」
リンは床に這いつくばったまま悔しそうに呻いた。
リンはナウゼに痛めつけられた後、しばらく痛みで動くこともできずにうずくまっていたが、ふと誰かが近づいてくるのを感じた。
リンが顔を上げるとそこにはニヤニヤしたユヴェンがいた。
「大丈夫?」
ユヴェンがしゃがみこんで、うずくまるリンの顔を覗き込む。
リンとしてはあんまりこういう姿を見せたくない相手だった。
「ユヴェン。どうしてここに……」
「この子に教えてもらったの」
ユヴェンの後ろからチーリンがひょこっと顔を出す。
「うぅ」
リンは体を起こそうとしたがうまく足腰に力が入らなかった。無理に動かそうとすると痛みが走る。
「やーい。負けてやんの」
ユヴェンは面白がってリンの体の痛めているところを指でつついてくる。
「イテテ。あの、ユヴェンさん」
「ん?」
「ちょっと手を貸してくれませんかね。自分じゃ起きられなくって」
「……しょうがないわね」
ユヴェンが乱暴にリンを起こす。
「いって。もうちょっと優しく」
「贅沢言わないの」
ユヴェンはリンを助け起こすだけでなくそのまま肩を担いで医務室まで一緒に歩いてくれる。
それは思いの外、優しい対応だった。
彼女は自分の服、おそらく買いたての新しいものに血がつくのも厭わずリンを抱えて医務室まで連れて行ってくれる。
体を助け起こしてもらったもののうまく歩けなくてリンは医務室までユヴェンに肩を貸してもらいながら歩くしかなかった。
痛められたところは歩くたびに痛んだ。
「うぅ」
リンが顔をしかめる。
「弱いのに喧嘩なんかするからよ」
「……はい」
(何もそんな傷口に塩を塗らなくても……)
今のリンにとってユヴェンの遠慮のなさは泣きっ面に蜂だった。
「貴族に逆らう必要なんてないわ。大丈夫よ。あんたのことは気に入ってるから。私の家来にしてあげる。それでいいじゃない。守ってあげるわよ」
リンは無言でうつむくだけだった。
医務室の先生はリンの姿を見て心配するよりも眉を顰めた。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと階段から落ちちゃって」
「ふーん」
医務室の先生は明らかに怪しんでいる風だったけれど深くは聞かないでくれた。
「まあとにかく横になりなさい。奥のベッドが空いてるから」
彼女はリンを空いているベッドまで招き寄せて寝かせ、怪我の具合を見る。
骨折している部分に魔法の湿布を貼ったり、ひどい場所には注射を射つ。
リンは痛みに顔をしかめたが、みるみるうちに体の傷が治っていくのを感じた。
「ま、こんなところね」
先生は一通りの処置を終えるとリンを安静にさせて机に向き直り手元の書類を書き始める。
「それ本当に階段から落ちてした怪我なの?」
リンが一休みして油断していると急に先生が聞いてくる。
「えっ?そ、そうですよ」
「それにしてはひどい怪我ね」
「ちょっと長い階段でして」
「ふーん。まあそれならいいけれど」
彼女は書類に記入する手を休めず、机の方に顔を向けたまま話を続けた。
「毎年いるのよ。あんたみたいにボロボロになって医務室に来る子が。階段から落ちたんじゃなくてスピルナの子と喧嘩してね」
「へ、へえ。そうなんですか」
「あそこは身分制度が厳しくて階級闘争が激しいの。平民と貴族が激しく憎み合ってるわ」
先生は醒めたような態度で言った。
それはリンの心を妙に落ち着けた。
「毎年、スピルナの子は塔の学院の文化に馴染めず問題を起こしている。あそこは文化や価値観もかなり特殊だからね」
先生はあくまで静かな口調で話し続ける。
それは数々のどうにもならない現実に直面して諦観に達した人間の態度だった。
リンは無言で聞き続けた。
「気に入らないかもしれないけれど、それぞれの国にはそれぞれの事情があるの。深く立ち入ってはダメよ。我慢しなさい」
彼女はそこまで言うと書類の記入を終えて整理を始める。
「まあそれでもたいていのスピルナの子達は高等クラスに入る頃には大人しくなってるわ。クルーガも中等クラスの頃は狂犬みたいな感じだっけれど、ドリアスにシメられて大人しくなったし。高等クラスに入った頃にはすっかり丸くなっちゃったわ。スピルナのやり方では通用しない相手もいるってわかったんでしょうね。」
先生は初めてこちらの方に体を向けて言った。
「塔の攻略には平民の協力も必要だし。どれだけ嫌でも歩み寄らざるを得ないわ。あなたも平民階級なんでしょう?」
「いえ、僕は奴隷階級出身です。」
「……そうか。それはちょっと難しいわね」
先生は腕を組んで考え込んでしまう。
「いえ、大丈夫です。いろいろ教えてくださってありがとうございました」
リンはその日、医務室に泊まって一夜を明かした。
次の朝、起きる頃には魔法の湿布と薬の効果が体内に浸透して骨折を始めとする重症はすっかり治っていた。
残りは擦り傷くらいである。
出勤してきた先生に脈を測ってもらい退院の許可が下りる。
リンが宿に帰るとテオが心配して駆け寄ってくる。
「おいどこ行ってたんだよ。心配したぞ。っていうかお前、その怪我どうしたんだよ」
テオがまだリンに残っている生傷を見て驚く。
「事情は後で話すよ。それよりもテオ。僕は決めた。魔導競技に出場するよ」
リンは決意を込めた目でテオの方を見る。
「勝たなくちゃいけないんだ。知恵を貸してくれ」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?