第61話 「リンとシーラのオフィスタイム」
翌日からリンとシーラは一緒の事務所で働くことになった。
シーラが事務職をしていたのは本当のようだった。
リンが少し業務を教えただけですぐに要領をつかみ教えていないことについても自分で勝手に仕事を覚えていく。
その日が終わる頃には雑務のほとんどをこなせるようになっていた。
「助かりました。僕一人ではとてもこなしきれない量だったので」
「あんたは要領が悪いのよ貸してみなさい。こうすればもっと効率よくできるわ」
シーラは妖精魔法を駆使してリンが1時間かけていた仕事を30分で終わらせてみせる。
(さすがに高級クラスの魔導師なだけあるな)
リンはシーラに感心するとともに過剰な業務から解放されてホッとした。
その日は太陽石の光がまだ明るいうちに事務所を出ることができた。
「今日は本当にありがとうございました。また明日からもよろしくお願いします」
「ええ。それよりテオは? 事務所に顔を見せなかったけれど」
「テオは外回りの仕事に専念しているので今日も夜遅くに事務所に帰ってきてそのまま寝るんだと思います」
「チッ。あいつもちょっとは事務所に顔を出しなさいよ。どうせ私達に仕事を押し付けて自分はサボってるに違いないわ」
「えっ? そんなことないですよ」
リンはテオが働き者であることを知っていたので否定した。
「何よ。あんた随分テオのことかばうわね」
「かばうというか……。本当のこと言っただけですよ」
「ふーんそう。まあいいけど」
シーラは不承不承という感じだった。
その日はそれでシーラと別れることになった。
リンは久方ぶりに訪れた自分の時間を満喫した。
(ふー。よかった。この調子で仕事を回すことができれば週末ユヴェンと約束しているお茶会に行くことができる)
イリーウィアのお茶会が上手くいってからユヴェンはリンを自分の参加しているお茶会に連れて行くようになっていた。
彼女は意外と義理堅い性格のようで「借りは返す」とばかりにリンにも自分のよく参加しているお茶会に顔を出させる。
これで問題は解決し、全てが上手くいくかのように感じられた。
ところが二日目、早速シーラは愚痴を言い始めた。
「リン。これ終わったわよ。次は何するの?」
「あ、はい。じゃあ、商会への請求書を……」
「それももう終わったわよ」
(は、早い)
リンは困ってしまった。今日他に彼女にやってもらいたい仕事は特になかった。
「えーっとじゃあ何か他に適当なことやっててもらっていいですか。掃除とか書類の整理とか」
「そんなことするくらいならあんたが今やってるその仕事を私にやらせなさいよ」
シーラがリンの手元の書類を奪おうとする。
「あ、これはダメです」
リンは手元の書類をサッと隠した。エレベーターの運用に関するものだった。
これについては企業秘密のためシーラにも渡すわけにいかなかった。
シーラはジトっとした目でリンを見る。
「まあいいわ。それよりもあんた達なんでこんなに安く商品を仕入れることができるの? レンリルでも似たような仕事したことあるけれど。レンリルの雑貨屋よりもずっと安い値段で仕入れてるじゃない」
「それはまあ、企業秘密ってやつですね」
シーラはまたジトッとした目でリンを見る。
「あんたもテオと一緒で生意気になってきたわね」
シーラはそれだけ言うと仕事に戻る。
「それにしても本当に破格の値段じゃないこれ。テオは相当悪どいことやっているに違いないわ。リン、あんたもいつまでもテオの悪事に付き合ってちゃダメよ。悪友とはちゃっちゃと別れなさい」
「いやそんなことは……。僕達はちゃんと合法的な範囲内で取引していますよ。悪いことなんて何もやっていません」
「いいえ、奴はきっと何か悪事を働いているに違いないわ。私には分かる」
「そんなことないですってば」
リンがそう言うとシーラは不満そうに俯く。
リンはちょっと困ってしまった。シーラのテオへのイメージは日に日に悪化しているようだった。彼女も本気で言っているわけではないことは分かっていたが、リンとしてはシーラとテオの仲が悪いのは心苦しかった。
とはいえ、その日はシーラもそれだけで済まし黙々と書類の整理をして終わった。
次の日、シーラのやる気は目に見えて減退していた。
彼女は何をやるにも気怠そうでしばしば手を止めていた。
「シーラさんどうかしたんですか?」
「ん? 何が?」
「いやなんだか今日は調子が悪いようだから」
「いいじゃない別に。どうせ早く終わらせてもやることないんでしょ」
「ええ、まあ」
リンは居心地が悪く感じた。
以前は仕事が多すぎて困っていたが、やることがないのもそれはそれで大変だなと思った。
「あの、シーラさん。今日は僕これで帰りますね」
「ハァ!?」
シーラが素っ頓狂な声を上げる。
「私の就業時間まだ終わってないじゃない」
「ええ、なのでシーラさんはこのままお願いします。終わったら勝手に帰ってもらっていいので。事務所の鍵のかけ方は知ってますよね」
「あんたこんな時間に仕事切り上げてどこ行くのよ」
「ちょっとお茶会に……」
「お茶会って……。そういえばあんた王室茶会に呼ばれたらしいわね」
「ええ、今日は別のところですが」
「ふーん。それで私をほったらかして帰るんだ。いいの。そんなことして。私が問題起こさないとも限らないんじゃない?」
「大丈夫ですよ。僕はシーラさんのこと信頼しているんで」
シーラはジトっとした目で見てくる。ジト目は彼女の特徴的な仕草だった。
「リン。あなた変わったわね」
「そうですか?」
「変わったわよ。あーいやだわ。これだから。ちょっと出世するとみんな変わってしまう」
シーラは悲嘆に暮れるように言った。明らかに大げさな言い方だった。
「あなたも最近は全然レンリルの食堂に顔を出さないじゃない。お金持ちになってアルフルドの高い食堂で食べれるようになったから、もう私達は用済みってことね」
シーラにはこういうところがあった。貧乏根性というかいつまでも昔と変わらずいることを最上の美徳にして他人にもそれを求めるような。
「いやそんなことは……」
「そんなことあるわよ。テオなんてあいつ最近学院ですれ違っても露骨に私のこと無視したのよ。あのクソガキ」
(クソガキって……。今はテオがあなたの雇い主なんですけれど……)
「私はずっとあなたのことを可愛がってあげたのに。あなたはお金持ちになった途端私を見捨ててしまうのね」
(そんなこと言われても……)
せっかく会社を立ち上げて工場の発給と単純労働から解放されたのに。これでレンリルに頻繁に降りるようじゃ何のためにアルフルドに引っ越したのか分からない。
リンはどうにかシーラの機嫌を取りたかった。
「えーっとじゃあどうですか? 来週の週末一緒にアルフルド中央劇場に行きませんか?」
シーラは例の彼女特有のジトッとした目でリンを見た。
「高い劇場ね。私の時給ではとても行けないわ」
「先日、ちょうどいいことに友達からチケットをもらったんです。それで行きましょうよ」
「リン。あなたそんなことして私が喜ぶと思ってるの?」
シーラが冷ややかに言った。
「私も惨めなものね。年下のあなたに恵んでもらわなきゃいけないなんて。落ちぶれたもんだわ」
「分かりました。じゃあ残念ですけれど諦めます。本当はシーラさんと行きたいけれど、今回はクラスの女の子と一緒に行きますね」
「待ちなさいよ。誰が行かないって言ったの。行くわよ」
(どっちだよ)
リンは心の中で突っ込んだ。
「でもあの劇場ドレスコードとか厳しいでしょ。私、そんな高い服持ってないわ」
「じゃあ僕がプレゼントしますよ」
「ダメよ。年下のあなたにそこまでさせるわけにはいかないわ」
(めんどくせぇぇぇ)
リンはちょっとうんざりしてきた。今のリンはお金よりも時間が欲しかった。あんまり手を焼かせないで欲しかった。ただでさえユヴェンとの約束の時間が迫っている。
「じゃあこういうのはどうですかね。以前、取引先の商会の方から頂いた女性用のドレスがあってですね。僕は女性服なんて持っていても仕方がないのでシーラさんその服を受け取っていただけませんか」
シーラはため息を吐きながら了承する。
「じゃあいいわ。それでいきましょう」
リンは休みの日を劇場のチケット購入とシーラに似合いそうな服探しに費やした。
劇場に一緒に行ってもシーラはあんまり嬉しそうではなかった。むしろ彼女は落ち着かないようだった。
そして職場では相変わらず愚痴っぽかった。
「ロレア徴税請負事務所……。またこいつらか。いい加減しつこいっての。何度も同じ内容の手紙寄越してきて。リン。またロレアから手紙きてるわよ。これ捨てていいんでしょ?」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
シーラは乱雑に手紙を燃やす。火の粉がリンのデスクにまで飛んできた。リンは慌てて書類を避ける。彼女は苛立たしげに請求書を取り出した。
「チッ。また取引先増えてるじゃない。またテオの奴に金が入ってくるわね。忌々しい。あーあ、いいわねリン。あなたは働けば働くだけ収入が増えて。私は時給換算だからどれだけ働いても同じ給料よ」
「えっと、じゃあシーラさんの給料を上げてもらうようテオに言ってみましょうか?」
そう言うとシーラは俯いてしまう。
「リン、あなたには私の気持ちがわからないのね」
(うぜえええええ。なんなんだよこの人。僕にどうしろっていうんだよ)
さすがのリンもシーラに辟易してきた。
最近の彼女は特に理由もなくリンに絡んできた。以前、彼女が不貞腐れて以来リンは差し障りが無い範囲でエレベーターの運用に関する業務も細分化してシーラに回していた。彼女より早く退社することもなくなったし、彼女の言うようにレンリルで一緒に昼食をとり機嫌をとった。
にもかかわらず彼女は何かとリンに対して不平不満をあげつらい、リンを困らせてきた。職務怠慢も酷くなってきていい加減業務に支障を来すレベルになりつつあった。
リンには彼女がいったい何を不満に思っているのか分からなかった。
どうも彼女はリンよりもテオに対して引っかかるものがあるようだった。
確かにテオはシーラに対して敬意に欠けるかもしれないが、彼女もテオのおかげでそれなりの給与をもらっているのだから、リンとしてはそこは割り切って欲しいところだった。
彼女はひとしきりリンに対して絡んだ後、締め括りには必ずテオへの当てつけを言うのであった。
とにかくリンはどうにかこうにか彼女を言いくるめて仕事に向かわせなければならない。このままではせっかくアルバイトを雇ったのに出費だけ増えて業務が滞ることになってしまいかねなかった。
今日も今日とて彼女は同じことを繰り返している。
「あーあ、どれだけ私が頑張って働いてもあの悪徳なテオの元に金が入るんだわ。私が報われることは決してない。やってられないわよ」
(また言ってるよ……)
リンはうんざりした。
(ん? 待てよ)
リンはふと思いついた。
そういえばシーラばかりテオの悪口を言っていてリンは一度もテオの悪口を言っていなかったな、と。
リンは試みにテオの悪口を言ってみることにした。
「でも実際のところですね。テオも酷いヤツだと思うんですよ」
「そうよね! 実は私もそう思ってたのよ」
シーラはものすごい勢いで食いついて来た。堰を切ったように彼女の口からテオへの悪口雑言が吐き出される。彼女はさも嬉しそうにリンに対してテオの悪口を言い立てた。
実際、彼女はこの職場に来てから今までで一番嬉しそうだった。
まるで彼女は何らかの免罪符を得たかのようだった。それを見てリンは彼女の欲しかった言葉をついに言い当てることができたのだと分かった。
「あーすっきりした。さーて残りの仕事をさっさと片付けちゃいましょう」
シーラは今までにないくらい集中して仕事に取り掛かった。他でもない彼女の嫌いなテオの会社のために。
おかげでその日は大いに仕事がはかどった。連日溜まりに溜まっていた案件を一気に消化してしまう。
仕事終わりに彼女は気持ちよさそうに背伸びをしながら言った。
「あ〜、今日はたくさん働いちゃったわね。リン、帰りに何か食べていきましょう。私が奢ってあげるわ。高いお店に行きましょう」
「あ、はい。ありがとうございます」
彼女は上機嫌だった。
(なるほど。シーラさんは僕にもテオの悪口を言って欲しかったのか)
後日、リンはテオにこのことを話してみた。
告げ口とかそういうことでなく単純に人間の心理に関する興味深い話題として語ってみたのだ。テオの意見が聞きたかった。
テオはニヤリと笑いながらこう言った。
「だから言っただろ? 大したことないやつだって」
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