第17話「スクールカースト」
学院に入学して1ヶ月。
リンとテオは相変わらず試験と課題に追われる日々を送っていたが、それでもずいぶん慣れてきて幾らか余裕が出てきていた。
「今日は物質生成魔法の授業だな。課題終わってるか?」テオが学院の書を開いて歩きながら、リンに話しかける。
「あと最後の仕上げだけ。休み時間のうちに終わるよ」
「じゃ、教室でやれるな。早めに行って席とっとこーぜ」
「うん」
まだ授業が始まるには早いが、二人は教室に向かうことにした。
「あれ?テオじゃん。今日は早いね」
「あ、テオ。おはよう」
道行くすがらすれ違う生徒たちがテオに声をかけていく。
彼らはみんな同じ授業を受けている初等クラスの魔導師達だった。
「おう、また後でな」
テオは適当に返事をしてさっさと歩いていく。
リンはなるべく目立たないようにしてテオの後についていく。
学院に通い始めて1ヶ月経つが、リンにはいまだにテオ以外の友達がいなかった。
故郷に同世代があまりいなかったリンは学院というものを塔の中で初めて体験した。
授業は自由席で座るので仲のいい子同士で固まって座ることになる。
それぞれの固まりは身分や出身国、性別によってあからさまにグループ分けされており閉鎖的だった。
入学式で大勢の子供達が一堂に集まっているのを見て全員と友達になれるんじゃ、と期待していたリンは少々失望した。
どこの授業に出ても奴隷階級出身の者はいなかったので自然とリンはテオにくっついて回ることになった。
テオはすぐに誰からも一目置かれる存在になった。
リーダーという感じではなかった。
しかし彼の自信に満ちた態度、機知に富んだ喋り方、それでいて他人を寄せ付けない一種の気高さは誰をも惹きつけた。
あんまり特徴のないリンは自然と『なんかテオと一緒にいる地味な奴』『いつもテオの後ろに付いている奴』という扱いになる。
リンとテオは教室に人が少ないことを期待して早めに入ったが、入った後で自分達の選択を後悔した。
扉をくぐったところで中から甲高い女子の声が聞こえてきたからだ。
しかもその声は二人がなるべく会いたくない人物のものだった。
「あんたテオのことが好きなの?やめときなさいよあんな平民。あんた可愛いんだから貴族と結婚しなさいよ」
「チッ。またあいつか」
テオが忌々しげに舌打ちする。
リンも気が重くなった。
声の方を向くと案の定ユヴェンがいた。
彼女もこちらに気づき声をかけてくる。
「あら、テオじゃない。相変わらずシケたツラしてるわね。何か不景気なことでもあったの?」
「シケたツラなんてしてねーし、不景気なこともねーよ」
二人のやりとりにユヴェンのグループの女の子がみんなこちらを向く。
彼女らはみんな少し派手目だった。リンは彼女らに好奇の目を向けられるだけで緊張してしまう。
「あら、そう。じゃああなたは常日頃からそういう不景気な顔してるってことね。アハハ」
それだけ言うとユヴェンはすぐまた彼女のグループの方に向き直ってしまう。彼女らのグループはクスクス笑いながらこちらの方をチラチラと横目で見てくる。
「チッ、なんなんだよあいつらは」
テオがイライラした口調で呟く。
「行こうテオ。授業の準備しなくちゃ。あそこの席空いてるよ」
リンはテオを急かして空いてる席に座る。
リンはできるだけユヴェンから離れた席を選んだがそれでも彼女の高い声はよく響いてきた。
「結婚するなら貴族ね。それも外国の貴族。トリアリア語圏の男ってあんまりカッコ良くないし。キャハハハ」
彼女はテオやリンも含むトリアリア語圏の少年達にも聞こえる声で言った。
「気にすんなリン。あんな奴の言うことなんか無視しとけばいいよ」
そう言いつつもリンはテオがピリピリしているのが分かった。テオは腕を組み足を組み、貧乏ゆすりしながら難しい顔をしている。
それは彼がイライラしているときの癖だった。
リンがテオのイライラを感じつつテストの準備をしていると、教室に貴族階級の中でも一際身なりのいい上品な雰囲気をした男子生徒のグループが入ってくる。
その中の一人、黒い前髪をきっちり切りそろえたいかにもお坊ちゃんという感じの生徒を見るとユヴェンは急に押し黙り、さっと身なりを整えた。
彼が席に着くや否や、ユヴェンは一直線に彼の元に行き話しかける。
「おはよう。テリム。涼しい顔してるのね。その様子だと課題はもう終わったの?難しくなかった?」
ユヴェンはテオに対する態度とは打って変わって猫撫で声でテリムに話しかけた。
「やあ、ユヴェン。その様子だと君は課題に苦労したみたいだね」
「そうなの。『有と無の境界線』の部分が難しくって。まだちゃんと理解できていないの」
「ああ、その部分はね……」
二人はすぐに和やかな雰囲気で話し始める。
テリムはアリント国出身のやんごとなき身分の子弟だ。
リンやテオ、ユヴェンにとって外国の貴族にあたる。
ユヴェンは彼女の言う通り外国の貴族階級の子弟の前では、平民階級の前で見せる冷たく棘のある声は鳴りを潜め、あからさまに媚を売っていた。
彼女はいつもこの調子だった。教室に誰がいるかによって、あるいは目の前で話している相手が誰かによってコロコロ態度を変えていた。
その様子を見て、テオはますますイライラを募らせた。リンもユヴェンが同じ教室内にいる時は内心、穏やかではいられなかった。
彼女が同じ空間にいると心が落ち着かなくなるのは、彼女の声が癇に触るというのもあるし、平民階級に対してトゲトゲしいということもある。
しかしこれらは副次的な原因に過ぎない。
一番の問題はユヴェンの容姿であった。
ユヴェンは可愛かった。
とにかく可愛かった。
初等クラスの女魔導師たちの間で一、二を争う可愛さだった。
その小顔と白金色の髪、時折見せる意地悪そうな表情も含めて全て愛らしかった。
これで醜い女の子であればそこまで気にならなかったかもしれない。
けれどもユヴェンのような可愛い女の子からの評価を気にせずにいられる男なんて存在するのだろうか。
リンは彼女がテリムの前で見せる甘い笑顔が視界に入ってくるたびに心がざわついた。
けれども心のざわめきを取り除く方法がないことはわかっていた。
なぜなら彼女はリンとは別世界の住人なのだから。
塔が貴族階級の社交の場としての側面があることをリンが知ったのは、学院に来てからすぐのことだった。
ある時テオが話してくれたのだ。
「この塔は貴族達が縁故を結ぶ場でもあるんだ。特に外国の貴族と繋がりが欲しい貴族にとってのね。ったく。婚活なんざヨソでやれっつーのな」
実際に始めから婚姻目当てで両方の親が合意のもと塔の学院で初めて会ったかのように装うこともあるし、あるいは何かの間違いで親の意に沿わぬ形で子供たちが結ばれてしまうということも、さらには間違いの結果、戦争一歩手前まで発展する事態になったこともあるらしい。
過去を遡ると学院にはそういう話がゴロゴロ転がっていた。
貴族の子弟達についている師匠はそのようなことを防ぐための存在でもある。
彼らは魔導師としての師匠でもあり、お目付役でもあるのだ。
このように細心の注意をもって間違いが起こらないように取り計らわれている上級貴族の身辺だが、むしろ上級貴族と関係を持とうと子供を学院に紛れ込ませて、親ぐるみで間違いを起こそうという輩が後を絶たなかった。
ユヴェンもその一人というわけだった。
とはいえほとんどの子供達は大人の事情を彼らなりに察しており、無謀な行動は起こさないようにしていた。
特に貴族階級の子弟は親に言い含められているのか、自分の立場を弁えており、間違いを起こさないよう心がけていた。
リンはこの話を聞いてからすぐに教室内に一種の不文律が存在していることに気づいた。つまり貴族階級は貴族階級で、平民階級は平民階級で固まって意図的に身分の違う者同士で関わらないように注意しているのだ。
授業の必要上、異なる階級同士で共同で作業して場合によっては仲良くなることもあったが、その様はどこかよそよそしく、お互いに深入りしすぎないよう気を遣っていた。
下級貴族のユヴェンはこのような教室にあって階級間の壁を象徴する存在であった。
下級貴族という身分から平民階級とも上級貴族とも分け隔て無く付き合えるにも関わらず、彼女はそのような曖昧さを許さなかった。
上級貴族と結ばれたがっている彼女は、平民階級の子が気安く話し掛けようものなら無視したり、場合によっては手厳しい言葉を浴びせたりする一方、貴族階級に対しては露骨にしおらしい態度をとった。
彼女は平民階級向けの態度と貴族階級向けの態度を上手に使い分け、 教室の中にいる者に否が応でも自分の身分を思い出させた。
リンはユヴェンと親しげに話すテリムを半ば羨望の眼差しで、半ば哀れみの眼差しで見つめた。
というのもユヴェンにとってはテリムですら本命ではなかった。
彼女は現在、クルーガ・ミットランという学院五年目の魔導師にご執心だった。
クルーガはスピルナ国の上級貴族ミットラン家の次男だ。
やんごとなき家柄というだけでなく魔導師としての才能も申し分なく、塔の将来を担う存在として期待されているそうだ。
彼の魔導競技と学業における輝かしい成績のうわさは大して交友関係の広くないリンでも知るところだった。
リンは一度だけ学内で発行されている新聞で彼の顔写真を見た事がある。
真っ黒な黒い瞳と目元までかかった長めの黒髪で少し影があるけれど、それがまた涼しげな印象を与えていて、これなら女の人にもモテそうだな、とリンは思った。
「クルーガ様とお近づきになりたいわ」ユヴェンはテリムのいないところでことある毎にそう公言していた。
「クルーガ様に飛行魔法について手ほどき願いたいわ。彼は飛行魔法の名手ですもの。上達するためには彼に教えてもらうのが一番よ。あーあ、どうにかクルーガ様に飛行魔法を手取り足取り教えてもらう方法はないかしら。あくまで後学のためにね」
彼女の願望が言葉尻どうりでないことは誰の目にも明らかだった。
とはいえ彼女の願望は決してありえないものでもなかった。
平民が貴族と結婚するというならいざ知らず、下級貴族が上級貴族と結婚するというのはそこまでハードルの高いことではない。
学院5年目のクルーガは現在、90階層にて行われる授業に主に参加している。
彼女とクルーガを阻むのは受講できる授業の違いだけである。
リンがユヴェンと住む世界が違うと最も強く感じるのは学院の出口でのことだった。
学院の階段を降りた出口には二つのエレベーターがある。
一つは90階層、つまりはアルフルドの一等地へと繋がっている上りのエレベーター。
もう一つは10階層、つまりは工場地帯であるレンリルへと繋がっている下りのエレベーターだ。
ユヴェンは上りのエレベーターに乗り、リンは下りのエレベーターに乗る。
リンは貴族階級の子達がおめかしして上りのエレベーターへ乗り込むところをよく見かけた。
聞くところによると彼らは放課後、お茶会なる貴族のパーティーに出るらしい。
ある日、リンはよく一緒に工場にアルバイトに行くクラスメイトに尋ねてみた。
「ねぇ。貴族のお茶会ってさ。やっぱり楽しいところなのかな」
「貴族たちがお茶を飲みながらダラダラお話ししてるだけだろ。別に行けなくても何の問題ないよ」
そう言いつつも彼の顔には嫉妬と羨望の気持ちが滲み出ていた。
本当は自分も行きたくて仕方がないようだった。
リンは彼女の姿を見る度に、あるいは彼女の声を聞く度に心がざわめいたが、それをどうすることもできない。
彼女の姿は目立つため、探すとすぐに見つけることができた。
彼女はいつも白金色の髪を気品のある髪飾りで留め、学院の深紅のローブを着こなし、ステッキ型の杖をついて歩いていた。
その様はいかにも都会的で華やかだった。
教室内であれ廊下であれ彼女の声が聞こえるとついついユヴェンの姿を探してしまう。
ユヴェンが見つかると彼女の姿を探してしまっている自分に気づき嫌気がさした。
ユヴェンの姿が見つからず気のせいだと分かるとそれはそれでがっかりした。
貴族階級に対してばかり話しかけるユヴェンだったが、彼女が自分から話しかけに行く平民階級が一人だけいた。
テオである。
彼女はテオに対しては、平民階級であるにもかかわらず、何かの儀式のように事ある毎に絡んでいた。
とはいえ、それは挑発的な意味合いの方が強く親愛の表現とは言い難かった。
そして彼の隣にいるリンについてはやはり歯牙にも掛けないようだった。
リンは彼女の存在によってざわめく心をざわめくままに任せるほかなかった。
奴隷階級出身のリンが無理に話しかけてユヴェンに相手にされるとは思えなかった。
しかしリンが彼女に話しかけられる機会は思わぬ形でやってくることになる。
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