第60話「訪れたアルバイト」
相変わらずリンは事務処理に忙殺されていた。
(あーもう。仕事が追いつかないよ)
リンにはやることが山のようにあった。
エレベーターでの輸送作業はアルバイトを雇うことでどうにか賄うことができていたが、その管理はリンがしなければならなかった。
しかも他の人にビジネスモデルを真似されないように営業秘密を守りながら管理する必要がある。
リンとテオはエレベーターでの輸送作業を細かく分担することで営業秘密を巧みに守っていた。
具体的なやり方はこうだ。
レンリル側で荷物を積んでエレベーターを出発させるのはまだアルフルドに立ち入ることができない見習い魔導師にやらせる。
アルフルドで荷物の受け取り作業をするのはアルフルドに労働力として連れてこられた魔法の使えない者にやらせる。
さらにレンリルで商品を仕入れる者、アルフルドでそれぞれの小売店の倉庫に出荷する者もそれぞれ別の者に任せるといった具合にそれぞれの仕事を別々の者に従事させる。
商品を仕入れた者はエレベーター近くの倉庫まで品物を運ぶが、それがエレベーターによって運ばれるとは分からない。エレベーターを操作して品物を輸送する者はエレベーターがどこに向かっているのか分からない。アルフルドで荷物を受け取る者は品物がどこから来たのか分からない。アルフルドの倉庫から品物を出荷する者はこの品物がエレベータを介して来たとは露とも思わない。
かくして他人に作業させながら営業秘密を守っているリンとテオだが、それらを管理するのは全てリンの役割である。
リンは彼らに対して、いついつまでにどれだけ品物を仕入れ、どれだけレンリルからアルフルドに輸送し、どれだけ各商店に品物を出荷するかを指示しなければならない。
それだけではない。従業員への給与の支払い、商店への請求書の発行、各種キャンペーンやマーケティングデータの処理、魔導師協会への届け出などなど、さらにエレベーターで何か問題が起こったとなれば現場に駆けつけて解決しなければならない。
このように営業秘密を守ろうとしているのは、テオが他の人間が気付いていないうちに流通とエレベーターの経路になりそうな土地を抑えてしまおうと企んでいるからだった。
そのためテオは対外的な交渉に専念して、その甲斐あって販路は拡大し売り上げは伸びる一方だったが、そうなるとまた輸送作業及び事務処理の増加により、リンの負担が増えていった。
(もう無理だよぉ。マジでこのままだと過労死しちゃうよぉ)
リンは机に顔を横たえてぐったりする。
(せめて雑用とか事務処理の一部だけでもアルバイトにしてもらうことができればいいんだけど)
しかしなかなか魔法文字を読めて初級クラスの魔法を使える魔導師はリンとテオの会社に来てくれなかった。
他よりもかなり条件のいい求人を出しているはずにもかかわらず、人手不足なのか、あるいは胡散臭がられているのかとにかく人が集まらなかった。
(そりゃそうだよね。何やってる会社か全くわかんないもん。僕だって敬遠するよ)
もう事業内容を公開してもいいんじゃないかと思うのだが、テオは隠したがっている。しかし情報を公開しないと社員は来てくれない。エレベーターを敷設できる土地を買い占めるか販路を独占するまで我慢するしかない。でもその前にこのままじゃ過労で死んでしまう。しかし情報公開しないとアルバイトは来てくれない……。最近のリンはこの堂々巡りだった。
リンが黄昏ていると妖精が机の上に手紙を持ってくる。リンは机に顔を横たえただらしない姿勢のまま手紙に目を通す。
差出人には『ロレア徴税請負事務所』と書かれている。
(徴税請負事務所? なんだそりゃ。魔導師協会には届け出を出して税金も払ってるんだけど。まだなんか取られんの?)
リンは手紙の内容を読んでみた。
手紙には、テオの商売への非難、自分達がいかに迷惑をこうむっているか、一度うちの事務所までやってくるように、といった内容が書かれていた。
(はいはい。またこの手の輩ね)
「妖精よ。この手紙を焼却してしまえ」
リンが呪文を唱えると妖精は手紙を燃やしてしまう。
(僕は忙しいんだよ。こんな意味不明なクレームに構ってる暇なんてありません)
リンとテオの事業が回り始めてからこの手のライバル企業からの苦情はちょくちょく来ていた。始めはいちいち気にしていたが最近はもはや一顧だにしなくなっていた。
(そんなことよりも人出だよ。切実になんとかしないと)
しかしこのような状況にも光明がさしつつある。ようやく一人目の応募者が今日面接に来る予定だった。
(早く来てくれないかなあ新しいアルバイトの人。仕事できる人だといいんだけど)
アルバイトの応募者が面接に来る時間。
リンは衣服を正してドキドキしながら待っているとノックの音が部屋に響く。応募者が来たようだ。
「どうぞ」
リンが声をかけると黒髪の女性が扉を開けて入ってくる。
「こんにちは。アルバイトの応募を見て来ました。以前も雑貨屋で事務職していたので事務には自信が……。って、えっ? リン?」
「あれ? シーラさん」
入ってきたのはシーラだった。
「あなたもここでバイトしてるの?」
「いえ、僕はこの会社の共同経営者です」
「えっ? あんた経営者なの?」
シーラは目を丸くする。
「ええまあ。まさかシーラさんが面接に来るとは思いませんでしたが」
リンは恥ずかしそうに笑う。
「求人見たけど時給結構高かったわよ。大丈夫なの? 払えるの?」
シーラは疑うように会社の内装を訝しそうにキョロキョロ見回す。
「ええ、大丈夫ですよ」
「いや、確かに会社名見た時にちょっと首を傾げたけれど。まあでもそんなに珍しい名前でもないし。まさかあなた達の会社だったなんて。てことはテオもいるのよね。どうしようかしら」
リンは慌てた。一刻も早く人手を増やさないと自分の体が持たない。ただでさえ人が来ないのにせっかく来てくれた彼女を逃せば次に人が来るのはいつになるかわかったものではない。
「お願いします、シーラさん。うちで働いてくれませんか。人手が足りなくて困っているんです」
シーラはなおも首を縦に振らなかったが、リンは懇願し続けた。
「シーラさんのような頼りになる人が一緒に働いてくれればとても心強いです。僕を助けると思って手を貸してください。お願いします」
シーラは苦笑しながら了承してくれた。
「仕方ないわね。あなたにそこまで言われたら断れないわ。ここで働いてあげる」
テオはシーラを雇うのに難色を示すが、リンの説得によって渋々雇うことに了承した。
うららかな午後の昼下がり、ロレアの手下はアルフルド28番街の一角にある事務所の前に立っていた。
看板には『テオとリンの会社』とある。
彼の用事があるのはここで間違いないはずである。
彼はドアをノックしながら声を張り上げた。
「テオ殿。テオ殿。いらっしゃいますか。私はロレア徴税請負事務所からの使いの者です。いらっしゃれば出てきてください。お話ししたいことがあります。テオ殿。テオ殿」
彼はしばらくドアをノックし続けたが、返事は返って来ない。どうやら留守のようだった。彼はため息をついた。
(全く。何度来ても留守。よほど忙しいのか)
仕方なく彼は扉で佇んでいる妖精に手紙を預けてその場を後にする。
できればテオが帰ってくるまで待っていたかったが、彼にも本来の徴税回収の業務がある。最近は納税を滞らせている業者も多く忙しくなるばかりだった。
(私にも魔法が使えればもっと効率良く仕事が回せるのだが……)
彼は魔導師によって連れてこられ、アルフルドに住まわされている人足、あるいは奴隷に過ぎなかった。彼に移動の自由はなく、エレベーターでの移動すらままならない。彼は定期的に運行している貨物用のエレベーターに乗せてもらうことで、どうにかアルフルド内を移動していた。
魔導師を雇うことができればこんな方法をとらなくても良いのだが、魔法文字の読める労働者はどこも不足しているし、魔導師として未熟なことにコンプレックスを持つロレアは自分より強力な魔導師が職場に来ることを恐れている。
ロレア本人が魔法を使って仕事をすればいいのだが、あいにく彼女は怠惰な上、仕事があまりできなかった。
だからこそ彼のような魔法の使えない人間が重要な仕事を任され、魔導師並みの待遇が得られるわけなのだが。
(テオという少年。まだ10代そこらじゃないか。未来ある若者の命を奪うのは忍びない。和解に応じてくれればいいのだが。しかし話し合いで済まないとなれば容赦するわけにもいくまい。アンシェ・マルシエの縄張りを荒らしたのが運の尽きだったと思って諦めてもらうほかないな)
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