第97話「深刻なこと」
魔導競技当日。
リンは前日に交わしたエミルとのやりとりを思い出しながら会場への道を歩いていた。
「いよいよ明日、リンはナウゼと試合ね」
「はい」
「大丈夫?」
「えっ?」
「あいつら、スピルナの連中は気にくわないところもあるけれど勇猛さは本物よ。仮にあんたがナウゼを追い詰める寸前まで行ったとしましょう。でもあいつらは杖を失っても実剣で戦ってくる。剣が折れても素手で組みかかってくる。血まみれになっても決して相手を倒すまでは戦いをやめない。そういう奴らよ」
「はい」
「まあ私はそういう奴の頭カチ割ったことあるけど」
「はい。……えっ?」
「師匠そんなんだから、彼氏できてもすぐ別れるんですよ」
テオが茶化すように言った。
「うるせーよ。ほっとけ」
エミルはテオを叩きのめし気絶させ、口を塞いだ後でリンの方に向き合った。
「まあとにかく! 勝負にはそういう残忍さも必要よ。テオはまあ問題ないでしょうけれど、あんたはちょっと戦うには優しすぎる。優しいのは悪いことじゃない。でもそれは時に優柔不断にもつながるわ。手負いの獣ほど危険なものはない。中途半端なことをしているとあんたの方がやられちゃうわよ。あんたはそういう相手に容赦なくとどめをさせるの?」
「師匠はそういう時、どういう心構えで対応するんですか?」
「手を抜かずとどめを刺すこと。それが立ち向かってくる敵に対して払える唯一の敬意だと思うから。私はそう考えて戦っているわ」
闘技場では魔導競技の開会式が行われていた。
開会式はこれから行われる血なまぐさい行事とは裏腹に静かで厳かなものだった。
前年優勝者であるクルーガがトロフィーを返還して競技場に宿る精霊に祈りを捧げる。
魔導士としての誇りと矜持に則って正々堂々戦うこと、決して臆病風に吹かれて逃げ出さないこと、そして勝利はこの塔の礎となった過去の英霊達に捧げられることを宣誓した。
会場からは拍手が沸き起こる。
クルーガは開会式を終えた後、会場の控え室につながる通路を歩いていた。
「やあ。クルーガ」
「あんたは……ティドロか」
二人は通路の途中で向き合う。
ティドロはクルーガの表情を見て苦笑した。
完全に目が据わっていた。
「すごい形相だね。普段は誰に対しても気さくな君なのに。毎年この日は別人のようだ。気合が入ってるのが伝わってくるよ」
「悪いが今日は負けるつもりはないぜ。こればっかりは相手が誰であろうと譲れない。国の威信がかかってるんでな」
「それなら僕も同じだよ。ギルドの威信がかかっている。優勝を狙わせてもらうよ」
ティドロはクルーガの態度にもたじろがずそう言った。
「まずはお互い一回戦の相手に集中しようじゃないか。足元をすくわれないようにね」
そう言ってティドロはクルーガの肩を叩き会場の方へと向かう。
クルーガはそんなティドロの背中を見ながら呟いた。
「分かってねーなあんたも。あんたらにとっては遊びでも俺らにとっては違うんだよ」
(俺達スピルナ人はガキの頃から一緒になって目の前で見てきたんだ。戦争を。反乱の鎮圧を)
リンは控え室で競技の準備をしていた。
パンツ一丁になって大会運営の係員に灰色の塗料を塗ってもらう。
彼はリンに塗料を振り掛けると杖を向けて呪文をかける。
胴体、背中、腕、脚と順番に魔法文字の紋様が刺青のようになって広がっていく。
やがて文字は頭皮や指の爪、体の端々にまで到達した。
「……これが『城壁塗料』」
「いかにも。これで君の全身には城壁の硬さ、分厚さと遜色ない鎧を着込んでいるのと同じ効果があらわれる」
試しにリンが腕に触れてみようとすると、確かに厚みと硬さ、ザラザラした感触のものに手が遮られるのを感じた。
「それを纏っていれば光の剣も炎も効かない。大砲の直撃を受けてもダメージから身を守ってもらえる。しかしダメージが加わればその部分の装甲は剥がれるからね。危険だと判断した時点で降参しなければいけないよ」
「はい」
「その装甲は非常に防御力が高い代わりに魔力の消耗も激しい。森や迷宮で使われないのはそのためだ。魔力が底をついて装甲が維持できなくなったらすぐに杖を落として降参するようにね」
リンはすでに魔力の消耗が始まって体に疲れが溜まっていくのを感じた。
「杖と指輪に靴、他に装備するものはないね」
「他の装備……」
リンは少し迷ったが、『リトレの魔石』を首飾りにしてかけることにした。
(敵討ちってわけでもないけど。見守っていてくれザイーニ)
「それは? 武器のようには見えないが……」
「えっと。お守りみたいなものです」
「そうか。まあいい。では行っておいで。くれぐれも無理はするなよ」
係員はリンの一回戦の相手を知ってか知らずか心配そうにしながら言った。
リンは服とローブを着直すと試合会場まで歩いていく。
会場に出る前に『リトレの魔石』に口をつける。
魔石に溜め込まれた冷たい清水が少しだけしたたり、喉を通り過ぎて体に浸透してゆく。
ユヴェンはやきもきした気持ちで観客席から闘技場に立つリンを見下ろしていた。
「全くもう。あいつったらバカなんだから」
「あら? あなたはユヴェンさんじゃありませんか」
「あっ、イリーウィア様」
イリーウィアはデュークにアイシャ、ヘルドを伴って会場の観客席を歩いていた。
「どうしてこんなところに。まさかイリーウィア様もリンの試合を見に来たんですか?」
「いいえ。私達は『猛獣回し』の会場を下見しようと思いまして」
「『猛獣回し』?」
「ええ、アイシャとヘルドが午後から出場する競技です」
「我々ウィンガルド人は杖で戦うよりも魔獣を操って戦わせる方が得意でね」
ヘルドが言った。
「それよりもリンが今からここで戦うのですか?」
イリーウィアが目を輝かせながら言った。
「ええ、そうなんですよ」
「では見なければいけませんね。誰か観戦の準備を」
「失礼。では私が……」
イリーウィアが命令するや否やヘルドが進み出る。
妙に準備良く客席に王室御用達の敷物と日除け用の天幕、飾り付け、飲み物と食べ物を置く簡易の置物台を取り出し、安物大衆向けだった席を一瞬にして王族用の一等席に変えてしまう。
周囲の人々は天幕にウィンガルド王室の紋様がついているのを見ただけでその一帯に近づくのを遠慮した。
ヘルドは引き連れていた奴隷にブドウ酒とつまみを持ってくるよう指図する。
「さすがはヘルド。気が利きますね。おや? リンの一回戦の相手、ナウゼ・アルウィオという少年は確かスピルナの上級貴族ではありませんか?」
イリーウィアがパンフレットを見ながら言った。
「えっ? そうなのですか」
ヘルドがまるで初めてその事実を知ったかのような様子で言った。
「しかも競技は『杖落とし』ですよ」
アイシャが言った。
「ふむ。ではリンに勝ち目はありませんね」
イリーウィアはきっぱりと言った。
「やっぱりそうなんですか?」
ユヴェンがすがるような調子で言った。
「ええ、スピルナの貴族は幼少の折から厳しい軍事訓練を受けています。到底リンの敵う相手ではないでしょう」
「私もリンにそう言ったんですよ。なのにあいつときたら。本当にバカなんだから」
「そうですね。もう少し賢い子だと思っていたのですが……」
イリーウィアが失望したようにつぶやく。
ヘルドはその様を見て内心でほくそ笑んだ。
(バカなやつだ。鳥籠の鳥でいればいいものを。自ら醜態を晒すとは)
ヘルドは目を細めて闘技場に立っているリンに視線を走らせる。
(王侯貴族なんてどいつもこいつも外聞がすべての生き物だよ。所詮この女も同じだ)
会場の闘技場ではリンとナウゼが向き合っていた。
「また君か」
ナウゼは現れたリンを見てうんざりしたように言った。
「あれだけ痛めつけたのに。まだ懲りないとはね」
ナウゼはひとしきりため息をついた後、リンを睨んで、彼特有の静かな敵意を放つ。
「ここでこれから行われるのは神聖なことだ。ここはお前のような人間がおいそれと立ち入っていい場所ではない。奴隷の子供が一体何をしに来た!」
ナウゼは傲然と言い放った。
リンは瞳をそらさずまっすぐに彼の敵意を受け止める。
「僕の故郷ミルン領は、何もないけれどおおらかな場所だった」
リンは少し黙った後で喋り始めた。
「身分の差はあったけれども、スピルナのように階級闘争なんてなかったよ」
「お気楽なもんだな」
「そう僕は気楽だった。だから最初は分からなかったよ。なんでみんなが身分のことでこんなに怒ったり焦ったり、必死になっているのか」
「……」
「でもアディンナが滅びて、ザイーニが死んで、そして君に痛めつけられたあの日! あの日、君の憎悪をこの身で受けて、ようやく分かったよ。これは……、これは深刻なことなんだって。中途半端な覚悟で踏み込んではいけない問題なんだって」
「それで?」
「君が国のために必死なのは分かったよ。でも僕だって魔導士になるために故郷を飛び出してきたんだ。一回ボコボコにされたくらいで引き下がるわけにはいかない! 君が僕を排斥しようとするのなら、僕は僕の居場所を守るために君と戦う」
「いいだろう。なら見せてやるよ。スピルナ魔導師の戦い方を」
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