第48話「再会」
エリオスの葬式にリンは立ち会うことができなかった。
というより葬式がされたかどうかすら分からないと言うのが本当のところだ。
100階層で死んだ魔導師の葬儀は100階層に所属する魔導師にしかできないというのが塔の慣わしだそうだ。
塔において魔導師は自分の所属する階層以上の場所にいかなる理由があろうとも侵入することはできず、全てがこの原則に支配されていて絶対だった。
リンにできることといえば、100階層に所属する見ず知らずの誰かがエリオスの遺体を丁重に葬ってくれているよう祈ることだけである。
エリオスの遺品が魔導師協会を通して返ってきた。シーラとアグル宛だったが、リンとそしてこの日はさすがにテオも受け渡しに立ち会った。遺品といってもささやかな日用品だけである。衣服や家具、ペンや書類などの備品。どこにでも置いてあるものだけでエリオスを表すようなものは何一つ無かった。
「部屋に残っているのはこれだけだったんだ。」
遺品受け渡してきた協会の担当者はそう言ってきた。
エリオスは協会の管理する部屋に住み込んでいた。
彼はしばらくの間は期限通りにきちんと家賃を払っていたが、数週間前から家賃を滞納するようになった。
やむなく協会はエリオスの家に踏み込んだが、家はもぬけの殻。本人を捜索してみたものの見つからず。エリオスから転居したという知らせもない。
協会はエリオスを死亡扱いにした。
部屋に残っていた以外のもの、つまり死の際に彼が身に付けていたものがどこに行ったのかは分からないということだった。
おそらく殺害者によって略奪されたのだろう。
(嘘だろ……こんな最期だなんて)
リンはエリオスの遺品をぼんやりと眺めるがどうにも彼が死んだという実感が湧いてこなかった。
「全くバカなヤツだな」
シャーディフが言った。
リンは機巧魔導の授業でシャーディフにエリオスのことを相談してみた。気持ちを整理したかったからだ。
しかしシャーディフの答えは返ってリンを憂鬱にさせるだけだった。
「お前の言っていたエリオスってやつ。たまにいるんだよ。学院の平等の雰囲気にごまかされて自分の実力を勘違いするやつがな。これだから世間知らずってやつは。チッ」
シャーディフは頭をボリボリかきながら喋った。もう何日も風呂に入っていないようで頭からはシラミがパラパラと落ちている。
「やはり平民階級では貴族階級に勝てないんでしょうか。」
「当たり前だろ。考えてもみろ。貴族階級の資質があるやつらは幼い頃から魔導師の英才教育を受けているんだぞ。その時点でこの塔で初めて魔法の授業を受ける平民とは既に埋めがたい差が開いてるんだよ」
シャーディフが面白くなさそうに言った。
「本当はな。協会や学院としても別に貴族階級だけ集められりゃいいんだよ。普通に考えて幼い頃から英才教育を受けている貴族階級のエリートに平民や奴隷が敵うはずないだろ。階級にこだわりなく生徒を受け入れるなんてのは建前にすぎん。実際には貴族階級と平民階級の進路を分けるよう、つまり平民階級が塔の上層にたどり着けないように巧妙に制度が施されている。この授業もその一つに過ぎん」
「ではなぜ協会はわざわざ平民階級や奴隷階級の人間を塔に集めて、しかも平等であるかのようにみせかけるんですか。この授業のように低賃金の労働力として体よく使うためですか?」
「それもある。低賃金の労働力、特に魔法を使えてかつ低賃金で雇える人間はどこも不足しているからな。しかし本当の目的は別にある」
「本当の目的?」
「たまにいるんだよ。マジモンの天才ってやつがな。身分のハンデをものともせずに這い上がってくるような真の天才が。塔はそういう人間を探しているんだよ」
妖精魔法の授業。
教室には相変わらず淡々とケイロン先生の上品な声が響いていた。
リンの彼を見る目は以前と変わっていた。以前は教師というだけで無条件に尊敬していたが、今はそこまで単純なものの見方は出来なくなっていた。
リンはふと教室内を見回してみた。
皆、当たり前のように授業を受けている。
単位を取るために、学院を卒業するために、塔のより上層に行くために。
リンは突然教室の光景が異様なものに思えてきた。
今まで当たり前だと思ってきたものがそうでないような気がしてくる。
(何だ? 皆何でこんなに普通に授業を受けているんだ。おかしいと思わないのか。自分のやってることに疑問を感じないのか?)
リンは気分が悪くなってきた。
ある日、リンは授業もサボりテオと行っている共同事業もすっぽかして塔の外に出た。
とにかく何でもいいから塔の外に出たかった。
レインだけ服の中に潜り込ませてエレベーターに乗り込もうとするとシーラと鉢合う。
「シーラさん」
「リンどうしたの? こんなところで。今は授業のはずじゃ」
「ちょっと……塔の外に出たくなって」
「そう」
シーラはそれだけ言うと深くは問い詰めなかった。この短いやりとりだけでリンの気持ちを察したようだった。
彼女はこういうところ本当に鋭く、他人への気配りが上手でやさしかった。
「ゆっくりしてきなさい。たまに授業をサボってもバチは当たらないわ」
「はい。ありがとうございます」
ふとリンは彼女が課金授業についての本を持っていることに気づいた。その中には物質生成の本もあった。
「シーラさん、それって」
「ああ、これね。100階層に行くためには無課金の授業だけでは足りないことが分かったから」
「やっぱり100階層を目指すんですか」
「ええ、目指すわよ。目指すに決まってるじゃない。だって納得いかないものエリオスがこんな終わり方するなんて。少なくともエリオスの墓場にたどり着くまではやめないわ。どんなことをしてもたどり着いてやるんだから」
シーラは決意を示すように真上を見た。おそらくエリオスの死んだ場所を見据えて。
「シーラさん……。すみません。僕にも何か手伝えることがあればいいんですが……。今は何も考えられなくて」
「いいのよ。あなたは無理しないで」
シーラは優しい笑みを向けた。
「今日は塔の外に行きなさい。外の空気に触れればすっきりして考えも整理できるわ」
リンは晴天を期待して外に出てみたが、あいにく雨の後だったようだ。
空は灰色にどんよりと曇り、道端には水溜りができている。
またいつ降り出してもおかしくなさそうだった。
グィンガルドの大通りは相変わらずたくさんの人で賑わっている。
リンはしばらく大通りの雑踏に流されるまま身を任せて歩いていたが、しばらくすると人いきれに目眩を起こしてしまう。
やむなく大通りの外れで休憩することにした。
人のいない静かな場所で段差に腰掛けて気分を落ち着ける。ふと顔を上げると石像があった。
ガエリアスの像。
(確かこの街、グィンガルドに来た時にもここに寄ったっけ)
リンはこの街に来た時のことを思い出した。
もうずいぶん昔のことのように思えた。
像は相変わらず厳しい顔で呪文を唱えるポーズをとっている。
リンはこの像を見ていると不思議な気分になってくる。
「ねぇ。ガエリアス。君は何であんな塔を建てたの? 君のせいでエリオスさんは死んじゃったじゃないか」
リンは淡々とした口調で尋ねてみた。
無論答えが返ってくることはなかった。
リンは虚しくなってきた。
(帰ろう。ここにいても仕方がない。どれだけ嫌な場所だとしても、どうせ僕には塔以外帰るところなんてないんだ)
リンはため息をついて立ち上がろうとするが、突然溌剌とした声に呼びかけられる。
「あら? 珍しいわね。私以外でここに来る人がいるなんて」
声の方を向くとそこには白いローブを着た少女がいた。
「あなたは確か……リン? 何してるのこんなところで」
「……アトレア」
リンはアトレアが祈りを捧げているのを何ともなしに見ていた。
不思議な気分だった。
彼女が祈りを捧げているのを見ているだけでリンは時間がゆったりと流れているように感じられて心が落ち着いてきた。
ここしばらくめまぐるしい毎日を送っていたリンは久しぶりに安らぎを感じることができた。
祈りが終わるとアトレアはリンの方に向き直る。
「お待たせ。ごめんね。なんだかつき合わせちゃったみたいで」
「ううん。いいよそんなの。僕が勝手に見てるだけだから」
「それで、どうしてあなたはこんなところにいるの? この石像に用でもない限りこんなところに来る理由なんてないはずだけれど」
「僕は……ちょっと塔から離れたくって。君はどうしてここに?」
「私はいつも出張の帰りにここに寄ることにしているの」
「出張?」
「ええ。昨日までウィンガルド王国へ出張に行ってたの。そこでしか手に入らない魔石があって。タルゴニの魔石っていうんだけれど知ってる?」
「……いや知らないね」
「それは勉強不足ね。タルゴニの魔石っていうのはね……」
アトレアは以前と同じようにリンの知識不足をたしなめた後、ペラペラと薀蓄をしゃべり始めた。
リンは思わず苦笑する。彼女は本当に以前と全く変わりなかった。その事実はリンを妙に安心させる。
(本当に魔法が好きなんだな)
「どうしたの?」
リンが笑っているのを見てアトレアが不思議そうな顔をして聞いてくる。
「いや、以前と全然変わってないなって思ってさ」
「あなたは少しだけ変わったわね」
「そうかな」
「少なくとも学院魔導師になったわ」
アトレアがリンの紅色のローブを指差して示す。
「なるほど。確かに何の魔法も使えなかった頃に比べれば少しは進歩したかもね」
「その割に何だか浮かない顔ね」
リンは困ったように笑う。
「実は……知り合いの人が亡くなっちゃってさ。」
リンは俯いた。
アトレアはなんともなしに聞いている。
「僕はその人に色々お世話になって、尊敬していて……。なのにその人は卒業して塔の100階でも全く通用しなくってさ。今まではその人の言うとおりにして模倣すればいいと思ってた。でも彼が死んで色々わからなくなってしまったんだ。これからどうすればいいのか。本当にこのまま塔の上層を目指すべきなのか。そもそも塔の上層を目指す意味があるのか」
リンは素直に気持ちを吐き出しているのが自分でも不思議だった。
あまり親しくない人に対して話すのにふさわしくない話題であることはわかっていたが、なぜかアトレアに対しては思いの丈を正直に打ち明けることができた。
親しくない人だからこそ返って話しやすいのかもしれない。あるいは彼女の神秘的な雰囲気がそうさせているのかもしれなかった。
「故郷を飛び出して別の場所に行ければどこでもいいと思ってた。でも本当にここにきて正しかったのかどうか……。僕にはもう何が正しいのかわかんないよ。でもかといってここ以外行くところもないし。そもそも奨学金を借りてしまって借金を返すまで離れることもできない。今まで通り授業を受けて卒業するために頑張るしかないんだ。そう考えると憂鬱でさ」
「時計よ。現れろ」
おもむろにアトレアが呪文を唱えて腕に紋様時計を出現させる。
「アトレア?」
「待ち合わせまでまだ少し時間があるわね」
アトレアは少し思案した後、言った。
「リン。私とゲームでもしない?」
「ゲーム?」
「ええ、魔法を使ったゲーム」
アトレアが立ち上がる。
「塔の上層を目指す意義を知りたいんでしょう? 見せてあげるわ。塔上層の高位魔導師が使う魔法を」
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