第87話「炎の鎖」
ルシオラの生成した鎖はそのまま彼女によって操られ、加速し、リン達の方へ向かってその切っ先が飛んでくる。
「くっ」
まずはじめにテオとユヴェンが加速魔法でその場を離れて逃げ出し、次に少し遅れてリンとザイーニが回避行動をとった。
鎖は反応が遅れたアルマの顔面に向かっていく。
鎖の切っ先はアルマの顔に当たると同時に爆発した。
紫色の火花が散る。
紫色の炎を上げてアルマの顔面が炎上し、アルマはその場でのたうちまわる。
「ああああああ」
「アルマ!」
リンはアルマの元に駆け寄り、助けようとする。
ザイーニはリンを援護するように脇を固めながら移動する。
ザイーニは移動しながらも今しがた放たれたルシオラの魔法に違和感を感じる。
(炎? ここは無魔の霧があるから妖精魔法が使えないはずじゃ)
(妖精魔法を使わずに一体どうやって炎を……)
テオもルシオラの魔法を見て同じ感想を持った。
「妖精よ。アルマに纏わりつく炎を剥がせ」
リンは妖精魔法の呪文を唱えるものの、妖精は一向に反応しない。
(くそっ。やっぱり妖精魔法は使えないのか)
仕方なくリンは脱いだローブでアルマの顔をはたき、炎を消そうとする。
「まずは一人戦闘不能ね。リン、あなたは最後よ。楽には死なせてあげないから」
ルシオラが柔らかいが酷薄な笑みを浮かべる。
リンはその笑みにゾッとした。
彼女はきっとこの柔らかい笑みを向けながらエリオスやその他たくさんの人間を殺してきたのだ。
「リン。私の後ろに隠れなさい」
ユヴェンがリンの前に庇うように立つ。
「私は貴族よ。攻撃できんの?」
「あら。そうだったわね。どうしようかしら」
「ふん。200階クラスだかなんだか知らないけれど、新しい魔法を試すちょうどいい機会だわ。『物質生成』、『加速』」
ユヴェンが呪文を唱えると杖の先が光り、鉄球が現れる。
さらに杖を振ると、鉄球はルシオラに向かって発射される。
スピルナの二人組に比べれば速度は遅いが、それでも十分な速さの砲弾になった。
しかしルシオラはそれをあっさり杖で弾く。
砲弾は明後日の方向に飛んで行った。
「チッ。なら直接ぶっ叩いてやるわよ」
ユヴェンがルシオラの方に走って近づこうとする。
しかしルシオラとの距離は一向に縮まらない。
それどころか景色も前に進まない。
(あれ? どうして? 私、全然進んでない。まさか!)
ユヴェンが下方を見ると、いつの間にか自分とルシオラの間に線路のような魔法陣が光り輝きながら横たわり、二人の足下をつないでいる。
「凄いでしょ。『位相魔法』っていうのよ。自分と対象者の位置や距離、方角を自在に固定できるの」
ユヴェンはより一層地面を強く蹴って走ろうとするが、位置が変わることはなかった。
(ダメ。確かに地面を蹴っている感触はあるのに。距離が縮まらない。この場所から移動できない)
「あなたにはちょっとの間、遠くに行ってもらいましょうか」
「くっ、この」
ルシオラが指を動かして何か指示する仕草をするとユヴェンは走っている動作とは裏腹に後退していき、遠ざかっていく。
ユヴェンの声はどんどん遠くなり、ついに聞こえなくなった。
「ユヴェン!」
リンが名前を呼ぶも返事は返ってこない。
「さて、あと三人ね」
「来るぞ」
テオが叫んで警戒を促す。
「やられる前にやるしかない。リン、同時に攻撃するぞ。『物質生成』」
リンとテオは物質生成で同時に鉄球を作り打ち出す。
しかしルシオラは音もなく、動作もせずに平行に移動して巧みに火線をかわし、弾ける分については杖であっさりと弾いてみせる。
「ダメだ。この距離じゃラチがあかない」
「加速魔法で攪乱しながら近づくぞ。左右から挟み撃ちにするんだ」
二人は左右に展開しながら加速して距離を詰めようとする。
しかしルシオラはまた音もなく後退し、一定の距離を保ち続ける。
二人は加速から停止する際、反動で毎回姿勢が崩れて次の攻撃が遅れる一方、ルシオラは加速しても体制が崩れることはない。
彼女は二人と同じ速度で動いているにもかかわらず、姿勢も体の向きも一切変えずに、あくまで静かな足取りで後方へと下がっていった。
ルシオラは二人よりも一段階上の移動魔法が使えるようだった。
十分な距離を維持できているため、二つの方向から別々に来る鉄球にも落ち着いて対処してみせる。
(近づけない。二人がかりでも歯が立たないなんて。これがルシオラさんの実力……)
(ダメだ。こっちの質量も加速度も完全に見切られている。敵に対して自分に有利な間合いを保ち続ける。これが200階魔導師の戦い方なのか)
リンとテオはルシオラの力を前になす術もなく攻撃を途切らせる。
「あら、もう終わりなの? それじゃあこっちからいくわよ」
またルシオラが杖の先を光らせた。
光は鎖を形成していく。
「ヤバイ。あの鎖が、炎の鎖が来るぞ」
テオとリンは先ほどと打って変わり、ルシオラに背を向けて加速し始めた。
しかし彼女の放つ鎖は蛇のようにその身をしならせ、テオをどこまでも追いかけて行く。
すでに鎖の先端は紫色の火花をあげている。
「テオ、僕の後ろに隠れろ」
ザイーニがテオの前に躍り出て杖を掲げる。
「空気中の水滴よ杖の先に集まれ」
ザイーニの杖の先に水分が集まり、水の盾を作る。
「へぇー。質量魔法で水を集めるなんて。そんなことできるんだ。器用ね。でも……」
鎖は水の盾を突き破り、炎は消えるどころかむしろ勢いを増して進み、ザイーニの肩に当たる。
「ぐああっ」
ザイーニのローブに紫色の炎が燃え移る。
ザイーニはうずくまった。
鎖が彼の腕に巻き付く。
「このっ」
テオがザイーニの肩に巻きつこうとする鎖を杖で叩き切る。
すると今度は鎖がテオの杖に巻きついてまた爆発した。
テオはとっさに杖を手放し、加速魔法で逃げる。
「ザイーニ。大丈夫?」
リンがザイーニに声をかける。
「ああ、なんとか」
ザイーニはローブを脱ぎ捨てどうにか炎から逃れる。
しかし火はしっかりインナーを焦がして、ザイーニの肩に火傷を作っていた。
「ザイーニ。火傷が……」
「なんでもないっ。しかしあの鎖。一体どういう原理で炎を。水で消せないどころかむしろ勢いを増すなんて……」
ザイーニのその言葉を聞いてテオがハッとする。
(妖精魔法ではない炎、水で勢いを増す……)
「そうか。分かったぞ。こいつが使っている魔法。それは冶金魔法だ」
ルシオラの眉がピクリと動く。
「金属の中には常温で発火し、水をかけても消えるどころか、むしろ強烈に反応するものがある。そう、アルカリ金属だ。そして紫色の炎。奴が使っているのはおそらくカリウム。こいつは鎖が届く瞬間に冶金魔法をかけて先端部をカリウムに変え、発火させているんだ」
「よく見抜いたわね。でも見抜いても防げなければ意味がないのよ?」
ルシオラが再び紫色の炎のついた鎖を飛ばして来る。
「なら防いでやるよ」
テオは指輪を光らせて前面に魔法陣の盾を作った。
「『冶金魔法』。魔法陣を通過する金属を全て金に変えろ」
鎖の先は黄金色に変わっていく。
テオは鎖を素手で掴んで引っ張る。
「金は金属の中でも最も反応しにくい。これなら燃やせないだろ」
「チッ、冶金魔法が得意な奴がいたか」
ルシオラが鎖を引っ込める。
「今だ、リン! 撃て」
「うおおおおお」
リンがルシオラが怯んだ一瞬の隙をついて加速魔法で射程距離まで詰め寄り、指輪に光を集める。
それを見てルシオラも指輪魔法で応戦しようとする。
「ハッ。学院魔導師の指輪魔法なんてどうせ『ライジスの剣』とかそんなもん……」
しかしリンの指輪はルシオラの予想に反して強い輝きを放つ。
その輝きは大剣となり、ルシオラに向かって真っ直ぐ放たれる。
大剣はルシオラの指輪が作った光の剣を弾き飛ばし、彼女の右腕を切り落とした。
(『ヴェスペの剣』……だと?)
「ぐっ」
ルシオラが膝をつく。
右腕の傷口をかばうようにもう一方の手で肩を押さえ、苦悶の表情を浮かべる。
傷口からは血がポタポタ落ちた。
リンをギロリと睨む。
「うっ」
リンはルシオラの形相と彼女の腕からこぼれる血の滴に怯む。
彼女の形相はまさに追い詰められた獣が見せる威嚇の表情だった。
リンが怯んでいる隙にルシオラは腕と一緒に床に落ちた杖を拾おうとした。
しかしその前に鉄球が飛んで来てルシオラの杖を潰してしまう。
「ふー。帰ってきたわよ」
鉄球の飛んできた方向には杖を構えたユヴェンがいた。
急いで走ってきたらしく顔には汗が玉となって浮かび、滴り落ちていた。
「小娘が……」
「ここまでだな。その腕では加速魔法を使うのも辛かろう」
ザイーニが火傷の痛みに顔をしかめながらも杖をルシオラの方に向けてジリジリと詰め寄る。
「動くなよ。動けば攻撃するぜ」
テオも指輪を向けながら距離を詰めた。
リンも二人を見て慌てて指輪に光を集める。
今や形勢は完全に逆転していた。
4人は扇型の陣形を作り、ルシオラを包囲しつつあった。
それぞれの方向から彼女に杖や指輪を向けている。
ジリジリと距離を詰めていく。
ルシオラは四人を威嚇するように見回した後、諦めたようにため息をつく。
「ふー。さすがに冶金魔法のエキスパートとヴェスペの剣の使い手相手にこの装備ではキツイわね。おとなしく退散させてもらうわ」
「逃すと思ってんのかよ。ここで人を殺しても不問になるのはお前だけじゃないんだぜ」
テオがルシオラを逃すまいと間合いを狭める。
「アルフルドまで一緒に来てもらうぞ。協会に出頭してしかるべき罰を受けてもらう。殺したくはないが、抵抗するなら命は保証しない」
ザイーニも前に出た。
リンも二人に倣って一歩前に出る。
「ふふ。ここが100階だということを忘れているようね。あなたたちにとって未知の空間だということを」
ルシオラはイヤリングを外して地面に投げつけた。
砕け散ったイヤリングから魔力が漏れ出し、煙になっていく。
「何をっ」
テオが鋭く叫んだ。
地を這うように重く垂れ込める紫色の煙は、急速に線を引いて広がっていく。
煙の触れた地面からは壁がせり上がっていく。
「なっこれは……」
「迷宮魔法だ。みんな煙から離れろ。巻き込まれるぞ」
ザイーニが声を張り上げた。
ルシオラは自分の腕を拾うと壁の向こう側に消えていった。
「ハハハ。じゃーなガキども。せいぜい100階層とこの私の迷宮をさまよって野垂れ死ぬがいいわ」
リンは煙の向こう側でつまずいていた。
リンと三人の間に壁がせり上がる。
「リン!」
「くっ」
テオが急いでリンの方に駆け寄ろうとするが、間に合わず壁に遮られる。
そうこうしているうちに迷宮はどんどん広がっていく。
「くそっ」
テオが苛立ちまぎれに壁を叩く。
今や迷宮の中に迷宮が出来上がっていた。
100階層を構成する巨大な迷宮は、ルシオラの作った迷宮によって分断されている。
リンとテオ達は完全に離れ離れになる。
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