第68話「イリーウィア、正義の鉄槌を下す」
イリーウィアはアルフルドにある別荘の庭でくつろいでいた。
庭には湖が張られ、その周りには森が生い茂っている。
湖の水は妖精たちにせっせと運び込ませたもので、森の木々は外から持ってきた土に苗を植え魔法の力で育てられたものだ。
湖にも森にも彼女が研究対象にしている魔獣が放し飼いにされている。
大量の魔導師を動員できる財力がなければ作れない庭だった。
彼女の別荘はアルフルドの中でも最も太陽石からの日当たりのいい場所に位置している。
この庭にいる者は燦々と降り注ぐ太陽石の光を浴び、湖の静かなせせらぎを聞きながら、森の優しい緑色で目を休めることができる。
イリーウィアは庭に設置されたテーブルと椅子に腰掛けながら、森や湖の中から時折姿を表す魔獣達を見て優雅に暇をつぶしていた。
彼女がくつろいでいると待っていた人物がやってくるのが見えた。
リンとテオだ。
イリーウィアが立ち上がる。
「まあ、リン。よく来てくださいました」
「この度は別荘へ招いていただいてありがとうございます。イリーウィア様」
リンが恭しく一礼する。
「嬉しいですよ、リン。あなたの方から連絡をいただくことができて」
イリーウィアはいつにも増して嬉しそうにニコニコしている。
(そういえばこっちから連絡するのは初めてだったな)
リンはいつもイリーウィアに会うときは彼女の方から誘われていたことに気付いた。
「そちらにいる方ですか? 私に紹介したいと手紙で言っていたのは」
イリーウィアはテオの方を見て言った。
「はい。紹介します。学院の同期生で会社の共同経営者でもあるテオです。実は彼が折り入ってイリーウィア様にご相談したいことがあるそうで……」
「テオ・ガルフィルドです。イリーウィア様。この度は突然の申し出にもかかわらず、寛大な対応をしていただきありがたく存じます。」
テオもリンにならってお辞儀する。
「堅苦しいご挨拶は結構。塔の外側の身分を意識する必要はありません。ここは魔導師の塔。ウィンガルド王国ではありません。私とあなたは同じ学院魔導師。対等です。ここにはデューク以外にウィンガルド人もいないので遠慮も無用。どうかあなたもそのように接してください」
イリーウィアが誰にも振りまく分け隔てないのない親しみのこもった態度を見せた。
「そういうわけにはいきません。今日、折り入ってお話ししたいのは、個人としてのイリーウィア様に対してではなく、ウィンガルド王族としてのイリーウィア様に対してだからです」
「ふむ。そうですか」
イリーウィアの顔に一瞬寂しさと憂いが現れたかと思うと、少しの間目を瞑り、それまでの柔らかで親しみのこもった表情を消える。代わりに彼女の表情に冷たさと威厳がまとわりつく。
リンは彼女の雰囲気の変化にギクリとした。
「では聞きましょう。魔導師テオよ。跪いて話をしなさい」
「はっ」
テオは片手片足を地面について跪きこうべを垂れた。
リンは二人のやり取りに面食らう。
今や別荘の庭はイリーウィアの威厳を前に水を打ったように静まり返っている。
小鳥はさえずるのをやめ、森や湖に潜む魔獣たちでさえ死んだように活動を止めて気配を消していた。
リンは自分もテオに倣うべきかどうかわからず狼狽する。
ふとデュークの方を見ると彼は手でリンを制していた。
君はやる必要はない、と言っているようだった。
テオがこうべを垂れたまま話し始める。
「今日は折り入って聞いていただきたいことがあって参りました。お尋ねします。イリーウィア様やウィンガルド王室が懇意にしている大手商会の面々。彼らがアルフルドで取引しているロレアという人物をご存知ですか?」
「ロレア? いえ、知りませんね。その方がどうかされたのですか」
「実は彼女の事業に問題がありまして……」
テオはいかにロレアの課している徴税が法外であるか、それによりアルフルドの街の商人たちがいかに困窮しているか、さらには財力に乏しい魔導師の学業を阻害しているかを訴えた。また自分達の取引がいかに正当なものか。
「アルフルドの商人は皆、彼女の圧政と乱暴狼藉に苦しんでおります。彼女は自由な商行為の敵。彼女がいては安心して商いを営むこともできません。大手の商会であればロレアの徴税にも耐えられることができるでしょう。しかし中小零細の商会はロレアの徴税に喘ぎ苦しんでいます。しかもこれらの搾取は由緒ある権威ではなく暴力と脅迫によって成り立たっているのです。彼女の行為はまさしく悪辣外道にして残虐非道。このように歪な現状、見過ごしておけば世界から尊敬を集める魔導師の塔の信頼を損ねるでしょう。すでに彼女の支配は市場原理を歪め貧困と富の偏在、そして経済の停滞を招いています。しかもそれらは全て彼女自らの私利私欲を満たすためだけに行われているのです」
テオはあくまで自己の利益のためではなく、公の利益のために訴える姿勢を貫いた。そしてその際、商人達の総意を代弁しているかのように言うのを忘れなかった。
「僕達は決して自分達の私利私欲のためにこのようなことを言っているわけではありません。僕たちはこの不公平な状態をどうにかしたいだけなんです。この不条理な課税は当然、輸出にも影響を与えているはずです。徴税をなくすことができればウィンガルド王国はもちろん世界のあらゆる国に輸出されている魔道具が適切な価格で取引されることになるでしょう」
イリーウィアはテオの話を聞いている間、何度も深く頷いて相槌を打っていた。
「なるほど。テオさん。あなたの言うことはよくわかりました。そのような者と王室御用達の商人達が関係しているとなれば、それはウィンガルド王室の沽券にもかかわる問題。見過ごせません。私の方から大手の商会に圧力をかけておきましょう」
「ありがとうございます。アルフルドの商人一同、イリーウィア様の慈悲と公平さに感謝を抱き、このご恩を忘れることはないでしょう」
その後二人は詳細について話し合い、来週の初めに大手商会に圧力をかけるということで合意した。
リンはテオとイリーウィアのやりとりを聞きながら首を傾げていた。
(あれ? ロレアさんと和解するんじゃなかったのか)
リンは疑問に思ったが、テオにはテオの考えがあるんだろうと思ってその場は特に何も言わないでおいた。
「さて」
イリーウィアが手を胸の前でパンと叩いて合わせる。
次に彼女の顔を見たときにはいつもの和やかで親しみのこもった表情に戻っていた。
「難しい話はこれでおしまいですね。ではお茶を淹れましょう」
張り詰めた空気はすっかり無くなりリンは力が抜けるのを感じた。
「さあ、そのように立ったままでいては疲れるでしょう。二人ともお座りになって」
彼女がそう言うとデュークが杖を振る。
風切り音とともに椅子が二つ分どこからともなく現れてテーブルの周りに追加される。
頃合いを見計らったかのように給仕の者がポットとお菓子を持ってくる。
イリーウィアの別荘からの帰り道、リンはたまらずテオに質問してみた。
「ねぇテオ」
「んー、何?」
「ロレアさんとの和解を進めてもいいんだよね。」
「うん。そうだよ」
(うん? なんか言ってることとやってることが逆なような…)
リンは疑問に思ったがあえて何も言わないでおいた。
(まあテオは頭がいいからね。きっと何かいい落とし所があるんだろうな。とにかく僕は和解を進めるだけだ)
イリーウィアはいつも通り自室で一人になった後、精霊を呼び出した。
「シルフ。あのテオという子の本音を教えて」
シルフは言われた通りイリーウィアに耳打ちする。
「ふむふむ。なるほど。やはり公の立場を装って私を利用し、自分の敵を排除しようという目論見ですか。フフ。なかなかしたたかな子ですね。まあ今回は王室にとっても見過ごせない問題ですし。利用されてあげることにしましょう。リンのために動く口実にもなりますしね」
「大手商会の皆さんへ
皆さんの仕入れ先や卸売りが税金を支払っているロレア徴税事務所なる組織がいかに暴利を貪っているかご存知でしょうか。
私はこのいびつな状態を看過しておくことはできません。
今後、ウィンガルド王室はロレア徴税事務所の管理するエレベーターを利用して仕入れている商会との取引を一切停止します。
イリーウィア・リム・ウィンガルド」
(ふぅ。こんなところですかね)
イリーウィアが執務室で手紙を書き終えて一息ついた。
(それにしてもあのテオという子が言ってくるまで全然気づかなかったわ。こんなあからさまな中間搾取が横行していたなんて。とはいえそれも仕方のないことか。王侯貴族はレンリルまで降りることなんて滅多にないし。身分差と塔の構造を巧妙に利用した手口というわけね)
彼女がしばし手を休めて考え込んでいるとデュークが部屋に入ってきた。
「お呼びですか。イリーウィア様」
「デューク。この手紙をウィンガルド王室と取引のある全ての大手商会に届けてください」
「大手商会? 商人どもと謁見する時期はまだ大分先のはずでは?」
「いえ、今回は別件です。ロレア徴税事務所の件で少し……」
「ああ、例の裏口入学の女ですか」
「えっ? 裏口入学?」
「我々協会の人間の間では公然の事実ですよ。彼女が裏口入学で学院に入っていること。しかも学業にはついていけないし、卒業もできないので仕方なく毎年留年して学院にとどまり、協会と癒着して私腹を肥やしている。我々にとっても喉にかかった骨のような存在なんですよ」
「ふむ。そういう事情もあったんですね」
(ではついでにそのことについても学院長に圧力をかけておきましょう)
「学院長殿へ
学院に在籍するロレアという女性をご存知ですか。
彼女は裏口入学によって学院に入学しただけでなく、卒業する気もなくアルフルドで悪徳商売をするためだけに留年を繰り返しています。
学院長はこのような生徒が在籍していることについてどうお考えなのでしょうか。
学院に多額の寄付をしているウィンガルド王室としては、このことについて他の生徒への悪影響、風紀の乱れ、アルフルドの治安悪化、学院の権威失墜などの懸念を感じずにはいられません。
学院長殿には即刻彼女へのしかるべき対処をしていただくよう期待しています。
イリーウィア・リム・ウィンガルド」
(これでよしと。指示はあまり具体的にしない方が相手は勝手に色々やってくれるものです)
イリーウィアは手紙を何度も読み返した後、手紙を出そうとしてふと手を止めた。
(テオは来週までにと言っていましたがもう少し早めにしておきましょう。早くするに越したことはありません)
「デューク。この手紙を今日中に届くように手配してください」
イリーウィアは一仕事終えて満足気に紅茶をすすった。
(これでよし。リンもきっと喜んでくれるはずですね)
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