第9話「賢い杖の選び方」
工場を後にしたリンとテオは商店街の中にある杖屋を目指した。平日の昼間だというのに商店街は大勢の人で賑わっている。リンとテオは商店街の奥にある杖やにたどり着くまで人ごみをかき分けるようにして進まなければならなかった。
商店街は様々な種類の看板に彩られている。食料品店の看板、雑貨屋の看板、薬屋の看板、あるいは得体の知れない意味不明な看板もあった。
リンは物珍しそうにキョロキョロしながら、テオの後について行く。やがて商店街の一角にある杖屋まで辿り着いた。
店に入るとすぐに売り子が駆け寄ってくる。
「いらっしゃいませ。何をお探しですか」
「質量の杖」
テオがぶっきらぼうに答える。
「こちらになります」
売り子は気を悪くするでもなく売り場まで案内してくれた。
質量の杖コーナーには何十種類もの杖が棚に置かれている。しかしその中で100キロの荷重に耐えられるものは2種類だけだった。
一つはテリウルの杖。もう一つはデイルの杖。値札を見るとテリウルの杖は1,000レギカ、デイルの杖は20,000レギカだった。リンはどちらの杖を買うべきか考えてみた。
デイルの杖を買うと少しばかり今月の生活費を切り詰めなければいけない。テリウルならそこまで切り詰めなくても済むだろう。
(テリウルの杖にしようかな)
そう考えているとテオが杖を物色し始める。テオはテリウルの杖には見向きもせずデイルの杖を一つ手に持ってしばらく振り心地や手触りを確認した後、リンに差し出してきた。
「これにしとけ。作りがしっかりしてるし、明らかに質がいい」
「でもテリウルの杖の方が安いよ」
「安物はやめとけ。長い目で見ればデイルの杖の方が絶対に得だ」
「けれど安い方の杖を買ったほうが、もしもの時のための蓄えになるよ」
リンは不安だった。ここでこんなにお金を使ってしまって大丈夫だろうか。もし何か入り用になった時のために出来るだけ多くお金を残しておいたほうがいいんじゃ無いだろうか。
テオは冷笑を浮かべた。
「ハハッ。もしもの時ってなんだよ。そんな考えだからお前は奴隷になるんだ。いいか、よく聞け。俺達は商品を買うんじゃない。時間を買うんだ」
翌日、リンは早速工場での仕事に取り掛かる。責任者によって仕事を割り当てられると、昨日買ってきたばかりの杖で重い荷物を動かす。
リンは杖を振って積荷をエレベーターからエレベーターに移す。積荷はリンのイメージ通りの軌道を描いて滑らかに空中を飛んでいき、静かに着陸する。
(なるほど。良い道具を使うと仕事が捗るのか)
工場で働くリンの手には高い方の杖、すなわちデイルの杖が握られていた。
テオの言ったことの意味はすぐ分かった。
——俺たちは商品を買うんじゃない。時間を買うんだ。——
高い杖の方が安い杖よりも明らかに作業効率が良かった。
リンは初めての作業であるにもかかわらず、素早く思い通りに荷物を浮かせて運ぶことができた。
一方でテリウルの杖、安い方の杖を使っている者はそうはいかない。リンのすぐ隣で作業している子はテリウルの杖を使っていた。しかしその操縦はいかにも危なっかしい者だった。荷物は空中に浮かんでいる間、ガタガタと揺れ着地も不安定だ。積荷には魔法がかけられた特殊な箱で梱包されているため、中身が傷つくことはなかったが時折コントロールし損ねた箱があさっての方向へ飛んでいき危なかった。もちろん仕事は捗らない。テリウルの杖を使っている者は消耗も激しかった。高い集中力を要するようで常に目を凝らして積荷を見つめているし、腕の筋肉もピクピクと痙攣して肉体的負担も少しとはいえかかっているようだった。
デイルの杖とテリウルの杖で、一個一個の荷物を運ぶのにかかる時間は数秒〜数十秒程度の差だが、数を積み重ね、魔力を消耗していくにつれてその差はどんどん広がっていった。
隣の子が手こずっているのを尻目にリンは早々とノルマを達成してしまう。リンが作業を終えたのはまだお昼を過ぎたばかりの頃だった。
「お、もう終わったのか?」責任者がリンを見ていう。
「はい。200個終わりました」
「よかろう。今日の分の給料を振り込んでおくよ。もう帰ってもいいぞ」責任者がリンの仕事をチェックして手元の書類に記載する。
「リン、急げ。図書館に行くぞ」
すでに作業を終えているテオが声をかけてくる。テオの方はというと帰りの支度まで済ませている。
(待っていてくれたのか)
リンも急いで帰りの支度を済ませた。
工場を出たリンとテオは図書館に駆け込んだ。
平日の昼過ぎにもかかわらず自習室は人でいっぱいだった。幸いにも二人分の机と椅子は空いていた。
机を確保するや否やテオは本と余った紙を机に並べて読み書きを始める。
リンはその様子を見て感心した。
(やっぱり頭のいい子なんだな)
リンもテオを見習って読み書きを始める。トリアリア語の翻訳文が併記された魔法語の本を持ってきてわかる範囲で学習した。
途中、工場でリンの隣で作業していた子が自習室を覗きに来た。しかしその頃には自習室の席は満杯で彼の座る余地はなかった。彼はうなだれながら自習室を後にした。
翌日も翌々日も同じような展開が続いた。リンが隣の子よりも早く仕事を終える。リンより一足早く仕事を終わらせたテオがリンを待っている。二人で図書館の自習室に行く。テリウルの杖を使っている子はかなり遅れて自習室にやってくるがその時には自習室は満席になっている。テオとリンが快適な図書室の机と椅子を使っている間、安物の杖を使っている者達はドブネズミの巣の固いベッドの上で勉強しなければならない。ドブネズミの巣には机と椅子は備え付けられていなかった。
日が経つにつれてリンの作業スピードはさらに上がっていった。終わる頃には必ずテオがリンの少し前に作業を終わらせて帰り支度を済ませている。どうやらテオはリンのスピードに合わせているようだった。彼はリンの帰り支度がすむまで必ず待っていてくれた。
リンがここで働き始めて2週間ほど経った時、事件は起こった。リンの隣で働いていた子の杖が作業中に真っ二つに折れたのだ。積荷はあえなく途中で落下し、けたたましい音を立てる。その場にいた者達は何があったのかと集まってくる。
「あちゃー、杖折れちゃったか」
「負担をかけすぎたんだな」
「まあテリウルの杖で2ヶ月もったんだからいい方でしょ」
テリウルの杖は物持ちも悪かった。使って1ヶ月もしないうちに調子が悪くなったり、場合によっては真っ二つに折れて壊れてしまうこともあった。テリウルの杖を使う者は比較的頻繁に買い換えなければならなかった。
一方でデイルの杖はいつまでたっても壊れる気配がない。リンはデイルの杖の価格に改めて納得した。
(高いだけのことはあるな)
「仕方ない。杖を買いに行ってくるよ。リン。悪いんだけれど僕が途中まで運んだ積荷最後まで運んでおいてくれる?」
杖の壊れた子がリンに頼んでくる。彼の落とした荷物は未だそのまんまに放置されていた。このままでは邪魔になってしまうだろう。
「うん、いいよ」
リンは正直ホッとした。テリウルの杖を使う彼のことが不憫でならなかったからだ。彼はいつも図書館の自習室を利用したいと思いながらとんぼ返りしていた。けれども今日からデイルの杖に買い換えて作業の能率を上げれば、自習室を利用することができるだろう。今週は、買い物に行ったロスで週末まで仕事がもつれ込むのは避けられないだろうが、来週からはきちんと勉強時間が確保できるはず。彼の真面目さが報われるのだと思うとリンも他人事ながら嬉しく感じた。しかしリンの予想はあっけなく裏切られる。買い物を終えて工場に帰ってきた彼の手に握られていたのはまたもやテリウルの杖だったからだ。
その後も同じ展開が続いた。リンとテオが早めに仕事を切り上げて図書館に駆け込む。他の見習い魔導師達は遅くまで仕事をする。テリウルの杖を買う者達は時間を浪費していった。
リンにとって不思議なのはこれだけテリウルの杖が不便であるにも関わらずみんな買い続けることであった。
(皆もデイルの杖を買えば良いのに……)
壊れた杖を買うのにも時間がかかる。彼らは杖を買い換えるために貴重な週末の時間も棒に振った。
毎日遅くまで仕事して休日は杖を買いに行って……、彼らはいつ勉強するのだろう、試験対策は大丈夫なんだろうか。リンは不思議だった。
(なぜ皆デイルの杖を買わないんだろう)
ある時、隣で作業している子がコントロールを誤ってリンのすぐ隣に数十キロの積荷を落下させてしまう。リンは危うく潰されそうになって冷や汗をかいた。
「ゴメン。大丈夫?」
「うん。でもそのテリウルの杖じゃ危ないと思うよ。デイルの杖を買いなよ。すごく使いやすいよ」
その子はリンのことを怪訝な目で見てきた。その目は「こいつは何を言っているんだ?」とでも言いたげだった。
結局テリウルの杖からデイルの杖に変えたのは数えるほどで、ほとんどの者はテリウルの杖を使い続けた。
リンはデイルの杖で作った時間を最大限に利用し、着々と知識を蓄えていった。
仕事が終われば図書館の快適な自習室に駆け込み閉館時間まで一心不乱に魔法文字の読み書きと文法を覚えた。ドブネズミの巣に帰った後も明日の仕事に支障が出ない範囲で学習に取り組んだ。机と椅子がないためベッドの上でできる範囲のことをテオがランプの灯りを消すまでに行う。
リンの余計な知識の入っていない頭はみるみるうちに魔法語の文字と文法を吸収していった。
月日はあっという間に過ぎていく。
やがて季節は冬になり、試験の時期が訪れる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?